朝のホームルーム

 幼馴染というのは結構やっかいなものだと思う。「ひょっとして私を口説いているの?」などという言葉が何の躊躇ためらいもなく自然に出て来る。

 日和ひよりは俺を異性として全く意識していないのだ。

 何しろよちよち歩きの頃からのつきあいだ。

 小学校に入ってからは従兄の雷人らいととその他数人の近所の同級生とともに遊んだ仲だった。

 小学一年生の頃から日和も祖父じじいの道場に通い出し、空手と剣道は筋が良いと褒められたりしていた。

 段位こそとっていないが切れの良い動きは今も健在だ。それが巫女のまいの際に個性として現れる。

 観た者はみな日和の虜となるのだった。


 いつもより早めに教室に姿を現したから、馴染みの顔はまだ登校していなかった。

 いるのは一年生の二月にして早くも受験生の鎧をまとった優等生か、グループで行動しない独り者ぼっちが数人。

 そして学級委員の佐内一葉さないかずはとその友人たちだ。

「おはよう、鮎沢あゆさわ君」

 一葉かずはは気後れもせずに俺に声をかける。とりまきの友人たちは見守るだけだ。俺とは少し距離がある。

「おはよう、だぜ」俺は崩した敬礼のように片手を上げた。

「今日は早いのね。何かあったのかしら」

「いいや、単に目覚めが良かっただけ」

「授業中寝なければ良いのだけれど」

「寝るな、きっと」俺は笑った。

 一葉かずはは無表情だったが、一葉の友人たちがくすくす笑っている。

 グループの異なる俺と一葉の絡みがクラスのまとまりにつながる。ふだんからよく見られる光景だった。

 やがて、徐々に俺の悪ダチどもが登校しはじめ、教室内はうるさくなっていった。

 こうして早朝の教室から授業開始直前の教室へと全く別のものに変貌するのだ。

 それはまるで曇っていた空が徐々に晴れていくような感覚。

 雲の切れ間から射した日の光が、くすんだ色をしていた野の草や花を照らして命を吹き込むような光景。

 そのような表現が、陽キャグループが善で、陰キャグループが悪のようなイメージを与えるかもしれないが、そうではない。

 どちらかだけでも不健全。さまざまなキャラが混在してこそ自然の姿なのだ。

 またつまらないことを語ってしまったな。反省しよう。


 授業前のショートホームルーム。俺たちのクラスの担任が姿を現した。

 芦崎雪あしざきゆき。担任団の中では最も若い女性教師。

 若いと言っても二十代後半なのだが、その美貌はこの学校一だった。

 彼女が登場すると男子生徒は落ち着かず、憧憬と羨望の目を向ける。

 もちろん俺も例外ではない。

 少し茶色がかった黒髪は染めているものではない。ピンでとめて額を出し、後ろで髪留めを使ってまとめていた。

 雪のように白い小顔。あまり白目の部分が見えない切れ長の目。

 筋の通った鼻と小さな唇が絶妙のバランスで配置されていて嫌みのない美貌を形づくっていた。

 少しラメが入ったようなグレイの上着とタイトスカート。

 スカート丈は測ったようにいつも膝丈だった。

 そして冬場は黒タイツに黒の革靴。華奢な細身にはそれがよく似合っていた。

「おはようございます」芦崎がホームルームを始めた。

「二月に入り、三年生は受験等で登校していない生徒も多くなっています。登校している三年生の中には神経が高ぶっている生徒もいるようなので、あまり刺激しないように」それは俺たち悪目立ちグループに向けられた言葉だったかもしれない。

「そしてあなたたちも四月から二年生。クラス分けをするにあたり、理系クラス、文系クラス、混合クラスのどれを希望するか、最終確認を行いますので、書類の提出を十四日までにしてください」

「二月十四日かあ」わざと声に出して言う男子生徒がいた。

「何かあるの?」芦崎が訊く。

「いえ、別に」その生徒は頭を掻いた。

 チョコくれアピールをする男子生徒が一部いることに気づいているのは、やはり一部の生徒だけだ。芦崎は全くわかっていないようだった。

「文系、理系、どうする、決めた?」

 ふだんからときどき話し合っている話題だったが、改めて周囲に訊く生徒は多く、しばしの間私語が流れた。

「みなさん、くれぐれも、数学が苦手だから文系、などという安易な決め方はしないで下さい。将来何をしたいのか、よく考えて選択してください」

「そんなこと言ったって、将来何をしたいかなんてわからないよ」正直に口に出す者もいる。

「親の後を継ぐのでなければ、どこかの勤務者になるわけだろう。ものをつくる会社か、ものを売る会社、そうでなければ何かサービス業。そんなのどれが良いのかわかるわけがない。やったこともないことを想像するなんて無理」

「何でも良いんじゃね。要するに食っていければ。オレは趣味に生きるぜ」その男子生徒はギターを弾く真似をした。

「イメージしやすい職業ってのは、親の職業か、そうでなければ学校の先生かな。学校の先生、大変そうだな」

 それを聞いて芦崎はわずかに苦笑した。

 それは一部の生徒にしかわからなかっただろう。芦崎はほとんど感情を表に出さないからだ。

 俺はずっと芦崎を鑑賞してきたから、芦崎の軽微な表情の変化を読み取ることができるようになっていた。

「芦崎先生、学校の先生って楽しいですか?」遠慮なく訊く男子生徒は俺の悪ダチ連中だ。

「楽しくはないけれど、やりがいのある仕事だと思います」

「楽しくないんかい!」そのツッコミで笑うのも陽キャ連中だった。

 そもそも芦崎は何かを楽しいとか思わない性格なのではないか。

 別に楽しくなくても生きていけるのだ。

 それはそれで幸せな人種かもしれない。

 俺は自分のことを考えた。

 祖父と叔父は大工の仕事をしている。おそらく後を継ぐとしたら従兄の雷人の方だろう。生真面目だしな。

 俺も雷人と同じ道を選んだとして彼らは何も言わない。別に一子相伝の世界でもないのだから。

 ただ、俺は何か別の仕事を選択する気がしていた。

 それが何かまではわからないが、俺はいずれあの家を出て行くことになるだろう。

 ここまで育ててくれた祖父と叔父一家には感謝するものの、ずっと一緒に暮らす自分をイメージすることはできなかった。

 騒がしいホームルームは、予鈴が鳴って終わった。

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