酔いどれ叔父

 バイトを終えて帰って来ると九時になる。

 実は年齢制限の関係もあって午後八時までの勤務のはずだが、片づけというサービス残業を自ら進んでしているから帰るのは遅くなる。

 俺は遅い夕食をとった。こういう日が週に三度はあるのだ。

 祖父の晴明はるあきは寝るのが早い。九時にはもう床についている。そして起きるのは四時だ。

 その代わりといっては何だが、叔父の歳也としやが茶の間で焼酎を飲んでいた。

 そういう時、叔父歳也としやの相手をするのが俺の役割だった。

「今日もサービス残業か?」叔父が俺に訊く。

「片づけ手伝っているだけだから」夕餉を食いながら俺は答える。

「お人好しだな。それともバイトの子目当てか?」

「まあ、女の子の手伝いするのは好きだから」

 学生のアルバイトは多い。中には女子大生もいた。

 俺はこどもの頃から年上女性に可愛がられるタイプだったから、女子大生バイトとも仲良くやっていた。

「若いっていいなあ」叔父は酔っていた。「よりどりみどーり」

「叔母さんに聞こえるよ」

「おっと、いけね」

 叔父は叔母に頭があがらない。どうも鮎沢家は代々そういう家のようだ。

「うちは女系家族だな。たまにオレみたいに男が生まれるけれど、女きょうだいの陰で小さくなっているしかない。そして嫁いできた嫁の方が力をもつ」

「家の中は叔母さんの天下だけど、叔父貴おじきはちゃんと仕事してるよ」

 祖父も叔父も大工として居住用の家を建てている。そのかたわら、小江戸といわれる古い街並みを構成する家の修理修繕もしていた。

 このあたりには他にも古き街並みや伝統行事の保存に関する職についている人々がいて、隣の家は造園業をしていて名のある庭師でもあったし、毎年開かれる大きな祭でつかう山車だしや人形のメンテナンスにかかわる職人もいた。

 そして神社だ。

 市内に有名な神宮があり、その下部組織としていくつもの神社が散在していて、俺の家の近くにも神社があった。

 そこの娘が胡蝶日和こちょうひよりだったのだ。

「もうすぐ……」そこで叔父がむせた。

 バレンタインと言おうとしたのかと思ったが違った。

「……祈年祭だな。日和ひよりちゃんは神宮で舞を披露するんだろ」

「みたいだね、あの日和が」

「節分のときは見違えたよ。すっかり美人になって」

「でも飛鳥あすかも日和の後を追っているんだろ、二年後は心配だね」

「そうだなあああ」叔父は嘆いた。

 ただの娘大好き親父だ。

 中学生になってどんどん女らしくなっていく我が娘を思うと何も手につかなくなるようだ。焼酎は放せないようだが。

「その日和ちゃんをお前と雷人らいとでとりあっているんだろ?」

「別にとりあってなんかいないよ。日和はものじゃねえし」

「俺はお前のことも息子だと思っているから、複雑だな。どっちかが勝ってどっちかが負けるというのは見ていられるものではない」

「見なきゃいいじゃん。てか、勝ち負けじゃないだろ」

 実際当事者の問題だ。外野が勝手に騒ぐのは困る。

 もし俺と雷人が告白しても、選ぶのは日和なのだ。

 もっとも、ふたりとも告白できるかが問題なのだが。

 ぽっと目の前に現れた女子なら簡単だった。これまで俺はぱっと閃いた相手に告白してつきあってきたからだ。

 もちろんつき合うと言っても歳相応の幼い交流の連続だったが。

 しかし日和は違う。幼馴染でつきあいも長い。下手に告白して、振られるだけならまだしも、今後のつき合いにまで影響を及ぼすとしたら問題だ。

 そう考えると二の足を踏んでしまう。

日和ひよりには、好きな子とつきあってもらいたい。それが俺だったら最高だけれど、雷人らいとだったとしても俺は祝福する。そしてまた二人ともふられたとしても俺たちは日和と今まで通り友人でいたいよ」

「お前、そんなこと言うようになったのか。大きくなったなあ」

 酔った叔父は泣き上戸だ。見ていて気持ちの良いものではない。

 いや、むしろみっともない。俺は早くこの場を離れたかった。

「姉さんに見せてやりたかったよ、お前の今の姿……」

 叔父のいう「姉さん」とはもちろん俺の実の母親のことだ。

 叔父が酔っている時でない限り、母親の話が出ることはなかった。

 俺は実の母親の写真すら見たことがなかった。

 母親の記憶がないのだから、むしろ初めからいなかったことにする。それが祖父の考えだったようだ。

 だから祖父から母親の話を聞いたこともなかった。

 最愛の娘をなかった存在にできるなんて、ある意味尊敬に値する男だ。

「俺の母さんは叔母さんだし、父さんは叔父貴だよ。今更実の母親なんて興味ない」

「そういう風に言ってくれて俺はうれしい。でもやっぱり姉さんが可哀相だ。あんな思いをして、あんな体でを産んだのに、思い出してももらえないなんて」

「お前たちって?」

 俺の問いに叔父は答えなかった。

 そのまま焼酎入りの湯飲みを手にしたまま卓袱台に突っ伏してしまった。

「寝たふりかよ……」俺は呆れた。

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