第5話 仇なす敵は突く
我が姫、エマはまだまだ未熟者です。
貴方を守るために鍛えた我が槍は、貴方を泣かせた男を突き刺すことが出来ませんでした。無念です。
脳裏に浮かぶイマジナリーイヴァンジェリン王女はええんやでと言わんばかりの微笑を浮かべておられますが、私自身が情けなくて仕方がありません。
ですがここで諦めはしません。貴方の涙に報いる為、必ず辺境伯の呪いをこの槍で解いて見せます。見ていてください我が姫。エマ・ベルンシュタインはやり遂げて見せます。
そう、今すぐにでも!
「雑念が多い」
「くっ、気付かれたか!」
型の確認と見せかけて近づいて来る男に槍を突き出したが、予想されていたらしい。軽く避けられた。無念。
獅子の様な赤毛に、狩りをする肉食獣の様な琥珀の瞳。戦う辺境伯なだけあり、騎士というより戦士の様な男。
精神世界の為か、眠っているはずのレアンドルはしっかり武装した姿をしている。
今にでも戦闘に出られる様な戦闘服。それは心休まらないという意味なのか、単に呪われたときその格好だったのか不思議だ。
「普段姿を見せないと聞いたが、私に何か用か? 辺境伯」
「姿を見るなり斬りかかって来る相手の動向は、安全の為確認したくなるだろう。人として」
「いいや、気にせず過ごしてくれ。実家の様に寛いでくれて構わない」
「実家の様な安心感を覚える空間じゃないんだ
やはり心休まらないからこその戦闘服だろうか。しかしそれも仕方のないことだ。
何せ彼は今、呪われている。呪われてここにいるのだから、心休まるわけがない。
その証拠に会話しながら戯れに穂先を繰り出すが、全て腕でいなされた。素早く柄の部分に手刀を放ち軌道を変えられる。単に一度攻撃したから、常に動向を注視されている所為かもしれないが自然体で捌かれる斬撃に舌打ちが零れそうだ。剣を抜け剣を。素手で対応するな。
この男、やはり強い。
自ら戦いに出る辺境伯だけあり、戯れの様な攻撃は彼にとって間違いなく戯れ。仔猫をじゃらしているようなもの。その力量差を実感し、呻きを噛み殺した。
我が姫! エマは未熟者です!!
このままでは何のお役にも立てず心配をおかけするだけ…なんとしても、この男の呪いを解かなくては。いや、呪いを解かなくてもこの精神世界から脱出する方法を探さなければ。
国王がエマの失敗で懲りてくれればいいが、懲りなければ我が姫に被害が及ぶ。王太子殿下の采配を信じたいが、聖女に関しては狂信者化する国王がどう動くのかわからない。
我が姫の為、エマは一刻も早くここから出なければならない。
だがこの庭園には薔薇しか咲いていない。白い石柱や天使の彫像はあるが庭園の一部。調べてみたが怪しい所は何一つない。庭園でしかない。
令嬢たちが読んでいる本は彼女たちが現実世界で一度目を通したもの。庭園に本棚はなく、何かを調べられるような空間もない。
このままではいけない。令嬢たちの精神は限界だ。
むしろ三カ月…いや、彼女たちにとっては一年、よく保った。恐らく令嬢が一人でなく、複数いたからこそだろう。彼女たちは励まし合いながら何とか一年を乗り越えたのだ。
(だがそれも長くは続かない…私が来たことである意味均衡が崩れている。さながら私は湖面に投げ入れられた小石だ。どうしてここにいるのかわからないが、平坦だった一年に降って湧いた私が分岐点と期待されてもおかしくない)
変化の無かった精神世界に介入したエマ。今までとは違う方向からのアプローチ。遠い目で時間をやり過ごしていた令嬢たちは、動き回るエマを視線で追っている。
エマが何か、変化をもたらすと期待している。
ご期待に添いたい気持ちはあるが、何をどうしろと?私に出来るのはせめて鍛錬を積んで油断したレアンドル・レオニハイドに不意打ちして暗殺することくらいだ。是非ご期待に添いたいところだ。
しかしそれも望みが薄である。エマはレアンドルとの力量差をちゃんとわかっていた。今の自分では蟻と象。悔しいがこの男、かなり強い。
く…っ! 今まで出会って来たどの男たちよりも強いぞ。王都の騎士団団長より若いのに。隣国に狙われる辺境の地を守って来ただけある。私一人では勝てない。そう、一人だから勝てない。
この庭園で援軍足り得る令嬢は居ない。孤軍奮闘するしかなく、その場合の勝機は天が味方しない限り訪れないだろう。正直絶望的な力量差だ。
―――だが、だからと言って諦めるわけにはいかない。
一年間、飲まず食わず眠らずにいるのはどう考えても負担だ。必要しないからと言って、精神が疲弊しないわけがない。令嬢たちがお茶会もどきをしているのだって一種の安定剤。この精神世界は何も害が無いようで、長居すればするだけ精神を疲弊させる場所だ。
そんな場所に誰よりも長く居るのだ。レアンドルが疲弊していないわけがない。
今は無理でも、必ず隙が出来る! 私はそれに備えて鍛錬あるのみだ!
結局結論:力技である。
春空色の瞳を真夏の太陽の様にぎらつかせるエマ。相対するレアンドルはどれだけいなしても衰えない殺る気に嘆息した。
「何なんだお前は。ベルンシュタインの令嬢じゃないのか」
「間違いなくベルンシュタインの者だ。ベルンシュタインは騎士の家系。女だろうとその気があれば騎士を目指すし、幸運なことに年の近い王女殿下の護衛に選ばれることもある」
エマの場合はまさしくそれだ。
年が近いと言っても15歳のイヴァンジェリン王女に対し、エマは4つ年上の19歳。しかし護衛という立場から、年が近すぎるのも良くない。むしろちょっと近すぎた。
しかしエマ以外に年の近い女騎士がおらず、イヴァンジェリン王女がエマに懐いたことから護衛が決定した。その頃ベルンシュタインで年の離れた
ちなみに弟とこれと言った確執はない。むしろ時々顔を合わせる弟はお姉様お姉様と慕ってくれてとても可愛い。姉として弟に恥じるようなことは出来ない。
暗殺? それは基本気付かれないようにするものだ。
ベルンシュタインは騎士の家系。かつて戦乱の世を強制的に鎮めた黒の悪夢と恐れられる将軍を世に出し、真実の愛で王族の呪いを解き王妃にまで上り詰めた娘の生家―――聖女と名を残す乙女も暗殺者に襲われた際に一人で撃退した実績を持つらしいので総合的に騎士の血筋だ。忠臣と称えられ王女が降嫁したこともあり、王家の外戚の一つでもある。
実に混沌とした家系図だが、軸は騎士だ。
ベルンシュタインは
「ベルンシュタインと聞いて聖女を想像するのは構わないが…我々は騎士だ。ベルンシュタインは敵と定めた相手に必ず一矢報いる」
そう、
ちなみにレアンドルは王の無茶振りでエマの主君が泣いたことなど一切知らず、エマの過剰なほどの殺意の理由がさっぱりわからない。完全にとばっちりである。
実はベルンシュタインの女は、思い込めば一直線という困った性質を持っていた。
***
レアンドルは困っていた。
全ては敵の罠にかかり、眠り病などという呪いによって精神世界…この薔薇の庭園へと拘束されたことから始まった。
気が付けば見知らぬ庭園。
何とか脱出しようと練り歩いたが、この庭園は歩けば歩くほど広がり最果てが見えない。時間は余るほどあるので歩き続けたこともあったが、気付けば元の場所に戻って来たので最果てを探すことは諦めた。
その後、この庭園には令嬢がぽこぽこ沸いた。誰もかれもが眠っているレアンドルに口付けてここまで来たという。
無防備な状態でべたべたちゅっちゅされたのかと思うと不快だが、その所為で眠り病になったと騒がれるのは更に不快だった。勝手に盛り上がって勝手に見当違いな想いを抱かれていたこちらの方が怒鳴り散らしたかった。
どいつもこいつもレアンドルに恋している自分に盛り上がっている。レアンドルの為にではなく、自分が良い思いをしたいから恋をしていると思っている。レアンドルの肩書を求めた者は居ても、レアンドル自身を求めた者はいなかったのだろう。あれだけ令嬢がいたのにそれもむなしいことだが、ほぼ顔と名前の一致しない令嬢たちなので当然の結果だった。
つまり彼女たちは、レアンドルという偶像に恋をした。
呪いを解く真実の愛の口付け。真実の、というだけあって、相手の本質を好んでいなければ通用しないのだろう。
中には下心満載の者もいて…むしろそれでよくもまぁ、真実の愛チャレンジなど出来たものだと呆れる。
大方、眠り病の噂を甘く見て、レアンドルに口付けるという一大イベントに喰い付いてしまったのだろう。本当に自業自得だ。
令嬢たちに良い印象はないが、逃げ場の少ないこの庭園で衝突するのはよくない。レアンドルはなるべく令嬢たちと接触しないように努めた。むしろ何故、眠り病は感染した者の精神を一つの庭園に囲うのか。一緒に閉じ込めるな。別々に分けろ。
この頃レアンドルは、何をしても呪いは解けず、出来る事もなく完全に腐っていた。困るというより腐っていた。何ならどうせ俺は誰にも愛されていないと拗ねていたのかもしれない。あれだけ令嬢がいるのに、誰もかれもが不発なのだから。
そもそも辺境伯夫人となるのなら、それなりに肝の据わった女性でなければならない。見知らぬ場所で取り乱したり、自分の行動を誰かの所為にして泣き喚いたり、すぐ気絶するような令嬢はお断りだ。小競り合いの多いレオニハイドなのだから、夫人となる女性は戦いを知る者が良い。戦えなくとも、砦を守れるだけの度胸が必要だ。そう考えるとレアンドルにのぼせている若い令嬢はとてもじゃないが向かない気がする。娶るなら、心得のある者でなければこの地は守れない。
この地を守るのに真実の愛は必要ない。そもそも真実の愛ってなんだ。らしくもなく、そんな命題で迷走もした。何せレアンドルも暇だったので。何をしても改善されない現状に腐っていたのだ。
しかし今、レアンドルは困っていた。
その原因は最近現れた庭園の新入り、エマ・ベルンシュタイン。
真実の愛の口付けで愛する人を救った聖女の血縁者。聖女の血縁者ならば呪いを解けるに違いないと王が妄信し、派遣された女。
…そのはずだが、彼女がレアンドルに贈るのは口付けではなく強烈な突き。しかも槍。女性騎士本気の急所を狙った的確な突き。
とても純粋な殺意だった。
いや、何故。
レアンドルを殺して呪いを解くと言うが、精神世界に招かれたことだけが殺意の理由ではないだろう。躊躇がなさすぎる。これは初めから決めていたやつ。
しかしその理由が一切わからない。何せ精神世界で初対面。因果がわからん。
確かに小競り合いの多い辺境の地。敵意を向けられることには慣れているが、それとはまた違った敵意だ。敵意というか殺意。
最初はこちらの気を惹くための演技かとも思ったが、殺意が純粋過ぎて考えを改めた。彼女の行動に小細工はない。本気でレアンドルの急所を狙っている。何故だ。
彼女の突きはなかなかで、騎士としての実力が窺える。青黒い髪を赤いリボンで束ね、長物を振り回す度に髪が尾の様に揺れる。凛々しい姿だが、春空色の目元はどこか幼い。その外見から、初対面では少し侮ってしまった。しかし押さえ込んで気付いたがしなやかに筋肉がついていた。あれは実戦向きの鍛え方。流石ベルンシュタイン家の騎士。
そこで思いついたのがエマの主であるイヴァンジェリン王女の存在。
エマは騎士だ。その行動は主を守ること。ならばこの殺意にも関係があるはずだ。
レアンドルの知るイヴァンジェリン王女は、国の祭典などで遠目に目にする程度の愛らしい少女という認識しかない。その護衛の一人としてエマを見かけたかも知れないが記憶にはない。レアンドルはいつも祭典の為に王都を訪れるが、基本的に用事を済ませてすぐ辺境へと戻る。社交も熟すには熟すが最低限で、情報は子飼いに集めさせていた。その中に、イヴァンジェリン王女のモノは多くない。良くも悪くも、噂になるようなことはしていない王女だ。
まさか、そのイヴァンジェリン王女がレアンドルの抹殺を命じたのだろうか。あの幼い姫が?
そういった命令は胡散臭い笑顔の似合う王太子の方が得意そうだ。曇りの無い笑顔でとんでもない発言をする王太子の方が、謀略を得意とするのはわかっている。何度か挨拶を交わしたが、レアンドルはどうにもあの男が苦手だ。
レアンドルは国に忠誠を誓う父から領地を引き継いで間もない。王家への忠誠よりも、育った土地を守ることを考えている。忠誠心が薄いのを見透かされて、もしやこの呪いを契機にもっと忠誠心ある輩にこの土地を任せるつもりなのではないか。
眠り病という下手を打った自覚があるだけに、現状に焦燥が募る。現実の時間がこちらより遅い流れと分かっても、こちらを窺う隣国のことを思えば呪われているレアンドルは邪魔にしかならない。
なので、エマの殺意に納得してしまう部分もある。殺されてやるつもりはないが、その行動理由に納得はできる。
しかしエマは、そんな政治事情は知らぬとばかりに曇りの無い目でレアンドルを狙っている気がする。使命に燃えると言うより私怨に燃えている。
その割にとてもさっぱりしていた。ドロドロとした憎しみではなく、精錬された恨みが込められている。
一体どんな感情だ。一体俺が何をしたのだ。
どれだけ考えてもわからないので、レアンドルは直接問い質すことにした。
何よりここは精神世界。現実の煩わしい建前など必要はない。たっぷり時間があるとはいえ時間の無駄だし、自分たち以外にいるのは令嬢たちのみ。荒事の得意ではない令嬢たちしかいないのだ。いくら暇だからとはいえ、令嬢たちが二人の死合観戦でその道の道楽に目覚められてはいけない。
なのでレアンドルは、鍛錬中のエマの様子を窺うのをやめて直接問い質した。
「俺はお前に何かしたのか」
こちらが知らぬだけで、恨みを買うことなどよくあることだ。
なので、何らかの形でエマの恨みを買ったのだろう。しかし心当たりはない。
誰かに命じられたのかという問いは敢えてしない。騎士であるエマが、簡単に命令を明かすわけがないと分かっていたからだ。
鍛錬していたエマは構えを解かぬまま、いいやと否定する。
「辺境伯は特に何もしていない。だが元凶だから一突きさせて欲しい」
「心臓か頭部を狙う奴に許可は出来ない。だが何もしていないなら、そこまでの殺意を抱いているのは何故だ」
「我が姫が泣いたからだ」
「?」
「お前が呪われて我が姫が泣かされたからだ」
レアンドルは宇宙を背負った。
泣いた? 泣かされた? イヴァンジェリン王女が? レアンドルが呪われたから?
関連性の無い事柄に、話が見えず情報が完結しない。
しかしレアンドルが宇宙を背負っている間にも、エマはぐっと眉間に皺を寄せて言葉を続けた。
「姫様の愛らしい顔が、楚々とした花の様な御姿が雨に打たれた花の様に切なげに…身に余ることを強要され、姫様は泣き崩れた」
「待て」
「あまりの痛々しさに私は元凶を必ず仕留めると誓った」
「槍を向けるな」
「それでもあの方はお前を庇ったが、それはあの方がお優しいからだ。私は絶対に涙の理由を許しはしない」
「落ち着け身に覚えがない」
「覚えがない…そうだろうな…だからこそ腹立たしい」
「語弊のある言い方をしていないか? そうだろう?」
はっと視線を感じて振り返る。
庭園のあちらこちらで、こちらの様子を窺っていた令嬢たちが皆口元を手や扇で隠していた。
いつの間にか、ほぼ全員が会話の聞こえる範囲内にいる。白い石柱や薔薇の影からこちらを覗いていた。
令嬢としての嗜みはどうした。ガン見じゃないか。
彼女たちはざわざわと聞こえてきた内容に騒めいている。
「まあ…」
「レアンドル様が王女に何を…?」
「まさかレアンドル様…」
「まさか年若い王女に…」
「そんな…」
「誤解だ!!!」
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