第5話
「何考えてんですか!?」
手首を強く引かれて、怒鳴られた。
え? 何って、それは……
「どうして、はだかなの?」
さっきまでの事は
「あっ、いえ、これは……その………気にしないでください!」
そうは言われても、難しい。
だって、ここは外だよ? 周りは森だけど、何もないし。夏ならまだしも、あーでも裸なのはわからないけど、川遊びには寒いし、息白いし。
「んー、なんだろう」
掴まれてない方の手を顎にかざし、考える。
「あー、もう! とにかく、離れますよ!」
そう言ってわたしの手を強く引き、名前の知らない裸の彼女は歩き出した。
彼女が唯一身に着けているタオルは明らかに小さくて前しか隠してない。それなのに大幅で歩くものだから、綺麗な背中やお腹のくびれが気になってしょうがない。
あ、ナリちゃんが昨日注意してたのってこれの事か、確かに目が離せないや。
「うーん」
「どうしたんですか?」
「いや……うん! あなたって思った以上に
こんなに細い腕なのに、助けてくれたんだ。
んな! と目の前の彼女は顔を赤くして反応を返し、握った手にさらに力を入れて、歩く速度を早めた。
そんなに強く握られると、さすがに腕が痛いな。
ん? 腕? と何かが気になって下を向くと、わたしの腕を掴む彼女の手から、しとっと一滴の赤い雫が落ちた。
「あー! 傷っ!」
大声を出して、立ち止まる。
わたしの腕を握っていた手を掴んで剥がし、その手のひらをみた。
「血が出てる」
「え? あぁ、さっきまでは止まってたんですけど、また傷が開いたんですね。少ししたらまた止まると思いますよ」
「どうしよう……痛くない?」
「痛いですけど、もう慣れました。それよりごめんなさい、また汚してしまいましたね」
「ごめんなさいって、わたしのせいなのに」
はぁーー、と大きなため息が聞こえて来た。
「私の心配より、自分の心配をして欲しいんですけど……」
「え?」
「わからないならいいです。あと、その……すみません。そろそろ服を着たいんですけど……」
そう言うと彼女は、森の手前に綺麗に畳まれた服を指差した。
着替えるところをじっと見ていたら、怒られたので、仕方なくまた渓流を眺めていた。
さっきまでは興味を感じていた渓流も、今は何も刺さらない。音だって、ただうるさいと感じる。
「あんなに惹きつけられたのになー」
もう見る気もしなくて、上を向いた。木々の隙間から見える空は穏やかで、小さな雲がゆっくりと流れている。
それを眺めて、うとうとして来たところで、声をかけられた。
「お待たせしました」
振り向くと、出会った時と似たような格好をした彼女が立っていた。
むすっと機嫌が悪そうで、何か言いたい事があるみたいだけど、それを我慢しているみたいだ。
手元にはプラスチックの容器に、シャンプーとかボディーソープなどの洗面用具を入れて、それを隠すように、腕で抱えていた。
川、はだか、容器、あーっと思って、謎が解けた。
「お風呂に来てたのか」
お湯じゃないけど。
そう言うと彼女は頬を赤く染めて目を逸らし、髪の毛の先をつまみ、気まずそうに頷いた。
冷たそう。納得、はできてないけど、まあそう言う事なのだろう。
「臭うのは、嫌なので」
「ふーん」
彼女に近づき顔を寄せて、目を瞑る。
少しすっぱいような、でも周囲の森と同じ自然の香り。
「んー、まだ大丈夫かな」
「………何ですか?」
少しはねた、冷たい声に対して、
「まだいい匂い」
彼女がバッとこちらを向いて数歩下がり、まるで警戒した猫のように、こちらを睨んだ。
「ああ、ごめん。ねえ、もしかしてあなたってあの廃墟に住んでるの?」
「だとしたら……通報しますか?」
「まさか。しないよ」
そんな事したら面倒そうだし、おもしろくなさそう。
「おかしいと………思わないんですか」
「んー、疑問はあるけど、でもいいね」
「何がですか?」
「楽しそう」
今までは誰かがいて、周囲と同じように学校に行くのが当たり前って考えてきたけど、この誰もいない、自由な感じも悪くないかもしれない。
その言葉を聞いてか、彼女は一度目を大きく開いて、そしてすぐ目を細めて落ち着いた声で、話し出した。
「あなたは、やめた方がいいです」
「どうして?」
「きっと誰かが縛っていないと、あなたはどこかへと飛んでいってしまいます」
そう言って彼女は空を見上げたので、わたしもつられて上を向く。
相変わらず隙間から見える空は雲がゆっくりと動いていて、確かに飛んで行けるのなら、あそこに行くのも悪くないと思った。
そうやって、しばらく二人で空を見上げていると、彼女の方から口を開いた。
「ははは、何をしているのですかね。さて、また麓まで送るので、そろそろ行きましょうか」
そう言って彼女は振り向き、一人歩き出した。今度はわたしの手を引いてはくれないようだ。
歩いて行く彼女の傷だらけの手を見て、それから自分の手のひらを見た。
筆記用具以外のものは握ったことのないわたしの手は、皮膚が薄く、やわらかくて傷一つない、つまらない手だ。
あのわたしを助けてくれた手とは違う。
彼女は、わたしを送った後はどうするのだろうか?
またここに戻って、はだかになって、あの渓流の水で体を洗うのだろうか?
見ていた手を口に近づけて、はあーと、ゆっくり手にむかって息を吐いた。
白くてあたたかな空気が、少し冷え出していた指先を温めて、やめるとすぐに外気に負けて、また冷えた。
ここは寒い。きっと水も冷たくて、ふつうに体を洗うのだって大変なはずなのに、彼女はあの傷ついた手でも、それをしようとしているのだ。
冷たく痛む、その手のひらで。
「ねえ!!」
歩いていく彼女の背中に、声をかけた。渓流の大きな音に遮れないくらい、大きな声で。
彼女がそれに反応して、足を止めて振り向いた。よし、ちゃんと届いてる。
止まった彼女に、少し小走りで近づいてそれからまた話しの続きを口にした。
「わたしを
「まあ……そのつもりですけど」
「なら、わたしの家に行かない?」
「え?」
「体を洗おうとしてたんでしょ? ならわたしの家のお風呂を使いなよ」
お風呂、と言う単語に一瞬だけ彼女が明るく反応して、でもすぐに、落ち込んだように目を曇らせた。
「でも……家族の方がいるでしょ?」
「あはは、それなら大丈夫だよ」
彼女の手を取った。
「わたし、一人暮らしだから」
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