第2話

「こっちです。落ち葉に隠れて木の根があるから、足元に気をつけてください」


 眉間みけんしわを寄せながら、町へと続く森の中の獣道を歩いていた。


「ねえ、わたしここにくる時に、向こうの道路を歩いてきたんだけど⋯⋯」

「ならわかりますよね? 道路は崩落してて、夜歩くのは危ないです。それに、こっちの方が近い」


 さっきまでいた場所は町から少し離れた山の上にある廃墟団地で、元々はそれなりに栄えていたらしく、民家の他にアパートや集会所のような廃墟が見受けられた。

 ずっと昔に酷い土砂崩れがあって、一部の建物と道路が崩落。車が通れる道路はそこだけで、救助は難航したらしい。


 幸運な事に、数名の怪我人を出しただけで死者はなし。しかし道路と共に水道管と電線も崩落。救助を待つ人のために、どうにかして飲み物や食べ物を届けようとして使われた道の名残が、この獣道。


 事が落ち着いたあと、団地の地盤を調べると埋め立てた時の欠陥が見つかって大騒ぎ。直すには多額のお金と時間が必要で、それなら別の場所に住むと誰も出資せず、結果的に崩落寸前の立派な建物が並ぶ廃墟団地が完成したらしい。

 

「ねえ?」


 無視した。

 あまり話したい気分じゃない。


「ねえ?」


 さっきよりも大きな声がした。

 うるさい、案内しながら危ない場所がないか確認をしているのだから、黙っててほしい。


「ねえ! 早いって!」


 はっとして立ち止まって振り返ると、彼女とは十歩くらい離れていた。


「ごめんなさい」

「いいって、わたしこそ遅くてごめんなさっうぉっと」


 喋っている途中で彼女が木の根でつまずき、急いで駆け寄って地面に顔面をぶつける直前に手で受け止めた。

「……っつ!」


 手のひらに激痛が走った。

 怪我をしていたのを忘れてた。


「ごめんなさい!」


 彼女が慌てて私の手から離れて、そのときに再び痛みが走って顔を顰める。


「だい、じょうぶ、」


 目の端に涙がたまる。

 アドレナリンが引いたせいで、痛みが誤魔化されずに伝わってくる。


 痛い、けどそれだけだ。我慢していれば、大丈夫。


「ちょっとみせて」


 彼女の伸ばした手が、私の手に触れた。冷たい指先が傷の近くを軽くなぞってくすぐったくて、痛みよりもそっちが気になった。


 じーっと、傷を見つめる物悲しそうな彼女の表情に、さっきまで荒げていた感情がふしぎとどこかへ消え去っていく。

 

 くすぐったくて、わらうのをこらえていると、ようやく彼女は触るのをやめて、ポケットからハンカチを一枚取り出し、片方の手の傷に被せて軽く縛った。


「ごめん、一枚しかないから片方だけだけど」

「ありがとう」


 その行為に少しだけ驚いて、素直に感謝した。これなら手をついたときに直接ものに触れることはない。片方だけでも、今までよりずっと行動がしやすい。


 えへへ、と彼女は微笑み、再びわたしの手を見て神妙な顔をして口を開いた。


「どうして助けてくれたの?」


 ? としか聞こえなかった。


「・・・しなせたくなかったから」


 それしか考えてなかった。


「誰かわからないのに?」

「そう。もう行きましょう。まだ歩かないと、ふもとにはつかないので」

「ねぇ、敬語やめてよ。歳変わらないでしょ?」

「行きましょう」

「怒ってる?」

「怒ってません」

「ううん、絶対怒ってるよ」

「あー! もぉ!」


 あまりにも意味のないやり取りに、流石に嫌気がさした。


「私に会う為になんて鹿鹿理由で自殺しようとした人に、怒ることなんてありません!」


 ただ腹が立つだけ、いろんな事に。深い理由もなくて、それをぶつける気もない。

 

 急に怒鳴ってしまったからか、彼女は驚き、固まってしまった。


「ごめんなさい。でも、もう行きましょう。ここは冷えるので」




 ゆるやかだけど、障害物の多い道をしばらく歩くと木の間から街の光が見えてやがて道路に突き当たった。


 見知った場所なのか、彼女は道路が見えた途端「わぁ、ここに出るんだ」と走って道路に飛び出していった。

 危ないなあ、車が来たらどうするのか、せっかく助けたのにそんなことは嫌だけど、私はその場で立ち止まり、そこから声をかけた。

 

「あとは一人で帰れますね。それじゃ」

「あっ、待って」


 呼び止められて、一応振り返る。


「名前、教えてもらってない」


 名前、か。と思って、悩んでから正直に話そうと口を開いた。


「ないです」

「うん? 教えられないって事?」

「いいえ、捨てました」

「どういう事?」


 不思議そうな顔をして、彼女は首をいていた。ヒリヒリがむずむずに変わったのかもしれない。


 ゆっくりと彼女に向かって歩いて、首を掻いている手に触れて、どけた。そのあと服のえりを触り、着崩れて首にあたっていた部分を直してあげた。

 

 今気づいたけど、彼女の方が背が高いらしくて、少し下を向くだけで、首元が間近に見える。どうしてか負けた気分になって、ふっ、と笑った。


「かゆいかも知れませんが、あまり触らないでください。せっかくの綺麗な肌なんですから、跡が残ったりしたら、もったいないですよ」

「⋯⋯⋯ありが、とう?」


 感謝の言葉は少し疑問形で、ほんと分からない人。

 でも、おもしろい子だと思った。どこかほっとけないし、もしかしたら学校でもマスコットのように皆から可愛がられてるのかもしれない。実際、かわいいとは思うし。


「もうあそこには行かないでください。私の事も、忘れてください。あなたの死には、あそこは似合わない」


 ちるのを待つよりも、もっとすべき事がある。あんな場所に一人で来たのだから、きっとなんだってできる。

 だから、私みたいな人間なんて忘れた方がいい。廃墟にも・・・あの初めから欠陥建築けっかんけんちくで、誰からも見捨てられ、朽ちていく場所には行かない方がいい。


 少し口をまるくし、ぼーっとしている彼女の襟から手を離し、そのまま後ろを向いて、来た道を戻った。


 帰り道はどこか気が楽で、普段は見ない場所に目を凝らして、夜道を楽しんだ。

 今は十月のはじめ、少しすれば秋が終わって冬が来て春になる。

 わたしはそんな世界から離れて、あの廃墟のように朽ちていく。そうしたいと願い、そうすると決めたのだから。

 でも、その時までは、


「生きてやる」

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