第44話 直接対決
ミュリエルとフィンは、鼠に先導させアンドレが泊っているヴィラへと向かった。鼠に先導させたのは、他にも敵が潜んでいるかもしれないと考慮したからだ。
「エクトル」フィンがエクトルを小声で呼んだ。
エクトルはそれに気がつき、音を立てないよう静かにミュリエルたちに近づいた。
「フィン、ミュリエル嬢、アンドレ王子殿下が人質に取られた。油断していた僕の失態だ」エクトルは悔しそうに口を歪めて言った。
「エクトル卿、肩を治療します」ミュリエルはマジックワンドを取り出した。
「いけません。ただのかすり傷です。この先何があるか分かりませんから、ミュリエル嬢の魔力を無駄に使うわけにはいきません」
「いざというとき、あなたの正確な銃の腕が必要なのです。エクトル卿には万全の状態でいてもらわなければなりません」
「——分かりました」エクトルは渋々ミュリエルの治療を受け入れた。
そして、ミュリエルは警察署から飛んで帰ってきた理由をエクトルに説明して、部屋の中の様子を伝えた。
「アンドレ王子殿下と、イザーク卿は寝室の奥にいて、壁と向かい合う姿勢で立たされています。警官らしき男は、アンドレ王子殿下とイザーク卿の後頭部に銃口を向けていて、グロージャン支配人は、部屋の入り口に立ち、体に爆弾が巻きついているシルヴィー嬢の腕を、後ろ手に捻りあげています……」シルヴィーをヴィラへ招待したことを後悔した。
フィンは慰めるようにミュリエルの肩を撫でた。「アンドレが素直に捕まったのは、シルヴィー嬢が人質になってたからだろうな」
「あの爆弾が起爆すれば、ドアの前と窓の外で突入の合図を待っている兵士たち全員が、死ぬことになるでしょう」ミュリエルは気を取り直して言った。
「我々はアンドレ王子殿下の命を優先しなければなりません」
「分かっています。イザーク卿とシルヴィー嬢のことは、私に任せてください。絶対に死なせません。私が犯人たちの気を引きます。その間にエクトル卿はアンドレ王子の救出をお願いします。グロージャン支配人が捨て身の覚悟でいるのならば、あの爆弾は確実に起爆されます。ですから、爆発を最小限に抑えます」
「分かりました。それでは急いで突入の手順を全員に共有しましょう」エクトルが言った。
エクトルが突入の合図を待っている各班のリーダーと、手順の確認をしている時に、犯人たちが立てこもっている部屋の中から一発の銃声が聞こえた。
「突入!突入!殿下の身柄を確保!殿下が最優先だ!」エクトルが無線機に向かって叫びながら部屋の中に飛び込んだ。
ミュリエルは廊下と部屋の中を繋ぐポータルを開き、エクトルたちよりも先に室内に入った。すぐさま風を操り、ランプの灯りを消す。夕陽はいつの間にか姿を消していて、辺りは暗闇に包まれた。
ミュリエルは十数匹の鼠の目を使い周囲をサッと見渡した。鼠は夜行性で視細胞が人より多く、動くモノの知覚能力が人より高い。
「揺れ動けノーム!レストレイント!」
床材はニョキニョキと枝を伸ばして警官の足を捕らえ、壁際のチェストは銃を握る腕を捕まえた。
「飛べよシルフ!ウィンドブレード!」
ミュリエルがマジックワンドから放った一撃で、グロージャンの右手は起爆装置と共に宙を舞い、ミュリエルはその起爆装置を手ごと受け取った。
「殿下!」
エクトルと数人の兵士が、銃口を四方八方に巡らせながら寝室になだれ込んできた。その混乱のさなか、ミュリエルはグロージャンとシルヴィーを見失った。
「轟けサラマンダー!ライトニング!」ミュリエルはマジックワンドから一瞬だけ稲妻を放ち、エクトルに室内の様子を確認させた。
エクトルがアンドレを確保し、先導しながら寝室の外に連れ出すのを確認するとミュリエルは血の匂いがする方へ近づいた。
「イザーク卿」
「ミュリエル薬師、妹をどうか、どうかお願いします」イザークは床にしゃがみ込み、胸から血を流していた。喋るたびに口から血があふれ出る。
「今すぐ治療しなければ」ミュリエルはマジックワンドをイザークの胸に掲げた。
「妹を助けて下さい!僕はどうなってもいいんだ。ここで助かっても、どのみち死刑だ」
「それは分かりません!あなたは脅されて加担しただけです。情状を酌量してもらえるかもしれません!」ミュリエルの頬をぽろぽろと涙が流れた。ミュリエルは連日の治療に加えて、犯人の捜索に魔力を使い続けたせいで、ほとんど魔力が残っていなかった。
「妹に俺が死ぬところを見せたくない。お願いですミュリエル薬師、同情してくださるなら、ここで死なせてください」胸元を押さえているイザークの手の間から、ドクドクと真っ赤な血が流れた。
「駄目です。死ぬことは許しません。あなたは生きて罪を償わなければなりません」
「ミュリエル」フィンはマジックワンドを握りしめるミュリエルの、怒りに震えた拳をそっと包み込んだ。「イザーク卿には俺がついているから、ミュリエルはシルヴィー嬢のところへ」
「シルヴィー嬢を連れてきますから、それまで生きていてください。絶対に」
ミュリエルは立ち上がった。
グロージャンは、シルヴィーの首にナイフを突きつけ礼拝堂へと引きずり込んだ。
「イザークめ、役立たずが邪魔をしやがって!」銃口はアンドレに向けられていたが、銃弾を受けたのはイザークだった。彼はアンドレを庇ったのだ。「アンドレを殺せれば俺はそれでいいんだ。願いが叶えば、お前のことは解放してやる。だから、囮になってもらうぞ」
爆弾を体に巻き付けられたシルヴィーは恐ろしくて、ずっとすすり泣いていた。兄からどんなに大丈夫だ、心配するな、助けてやるからと言われても、安心できなかった。
ジョルジュはシルヴィーを守ろうとして、銃で撃たれた。シルヴィーが連れていかれる時、ジョルジュはピクリとも動かなかった。きっと死んだんだと思うと、心が引き裂かれるように痛んだと同時に、これまで感じたことのない怒りがこみ上げてきた。シルヴィーの腕を捩じりあげる男の腕に噛みついてやりたかった。
銃口の前に飛び出した兄が、胸から血を流して倒れるところを凍りついた瞳で凝視した。それ以来シルヴィーは、茫然としていて、まるで人形のように心を失ったようだった。大好きなジョルジュも、最愛の兄も失った。シルヴィーにはもう何も残されていない。
「オラス・グロージャン支配人。もう終わりです。投降してください」ミュリエルは礼拝堂の入り口に立って言った。
「断る。俺は復讐を果たすと妻と子供の墓前に誓ったんだ!」
「——奥様と、お子様を、29年前のレセプションパーティー立てこもり事件で失ったのですね」
「そうだ、妻は身重だった。腹に私の子がいたんだ。あの子はこの世に生まれてくることも許されなかった。なのに、あの男は5人も子を儲けた。不公平ではないか」グロージャンの頬に涙が一筋流れた。
「あなたの復讐は、ホテルで彼らを焼き殺すことで遂げられたのですか?」
「あいつらにとって、あの立てこもり事件は他人事でしかなかったんだ。大事な誰かを人質に取られてはいなかったから、だからあいつらは、人質解放の交渉に反対した。私の妻と子を——被害者を見捨てた。ガルディアンの要求をのむふりさえしてくれていれば、妻も子も助かったはずなんだ」
「あなたの奥様も、お子様も、罪なき被害者です。そして、今あなたが人質に取っている彼女もまた、罪なき被害者です」
「私は……私は……善き夫であり善き父になるはずだった。だけど、あの日にすべてが崩壊した。私の中で何かが壊れてしまった。どこを見ても幸せが溢れている。私にはないものを皆が持っている。それが憎くて全てを壊してやりたくなった。妻と子がいなくなって、空っぽになってしまった私の心に憎しみが日に日に増幅していった。皆私のように不幸になればいい、そうすれば、私の気も少しは晴れるだろう」グロージャンは虚空を見つめた。
「晴れましたか?」
「……何も感じない。何もだ。喜びも悲しみも怒りさえも失ってしまったようで、ただ破壊への欲求があるだけだ。どんなに破壊しても満たされない。私はあの時、妻と子の後を追うべきだったんだ」
それは一瞬だった。シルヴィーの喉に突きつけられていたナイフがグロージャンの首を掻き切った。
ミュリエルは、グロージャンの自殺を止めようと思えば出来たのかもしれない。でも、ミュリエルはそうしなかった。シルヴィーの保護を優先したからだ。
血しぶきを浴びずに済んだシルヴィーの体は、ミュリエルが操る風に運ばれ、ミュリエルの腕に抱きとめられた。
首に血が滲んでいる。ナイフの先が首に喰い込んでいたせいだろう。心を閉ざしてしまったような瞳をミュリエルに向けている。
ミュリエルはシルヴィーの体に、ガムテープで固定されている爆弾を慎重に外した。
「シルヴィー嬢、もう大丈夫ですよ。お兄様のところへ行きましょう。お兄様が待っています」
ミュリエルはシルヴィーを抱き上げた。病弱なシルヴィーは、一般的な8歳の女の子よりも体が小さく、とても軽かった。そのことがミュリエルの痛む心をより一層締めつけた。この子は一人ぼっちになってしまう。一人ぼっちだったミュリエルには家族ができた。この子にも、そんな幸せが、いつか訪れるだろうかと憂慮した。
ミュリエルはシルヴィーを抱えて走った。フィンが待っている寝室に飛び込むと、フィンは悲しそうに頭を横に振った。
シルヴィーは大好きな兄に、さようならが言えなかったのだと、ミュリエルは悟った。うつろな瞳のシルヴィーを強く抱きしめて、ミュリエルは声を上げて泣いた。
そんなミュリエルを、フィンは優しく包み込んだ。
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