第34話 兄妹と兄弟

 午後20時、ミュリエルたちは、看護の手を薬師見習いや、兵士たちに任せて、ヴィラ・レ・ドニへと戻ってきた。


 ジゼルたち家族が出迎えてくれた。

「ミュリエル、おかえりなさい」ジゼルはミュリエルを、ぎゅっと抱きしめた。


「ジゼルさん、ただいま帰りました」


「お腹が空いたでしょう。着替えておいで、食事にしましょう。あなたが呼んだオベール男爵の妹さんは、昼過ぎに到着したわよ」


「お人形さんみたいに可愛いから、びっくりしちゃいました」ギャビーが言った。


「アンネリーゼ伯爵夫人と、エルフリーデ様が出迎えられました。オベール男爵令嬢様は、平民の私たちにも、ご挨拶してくださいました」イザベルが言った。


「とってもいい子でね、お兄さんのことを心配してたんだけど、無事だと知って安心してたわ。食事をご一緒する予定なんだけど、構わなかった?」ジゼルが訊いた。


「はい、もちろんです。明日の朝、お兄様のところへ、お連れしましょう」


「ええ、そうね。それがいいわ」


  ミュリエルと、フィンと、モーリスは、着替えてからレストランへと向かった。


 マルセル滞在初日に利用した、オープンエアのレストランに併設された『ジョワ・アンフィニ』には、ミュリエルの家族と、フィンの家族が集まった。


 それぞれテーブルを囲んで、楽しくお喋りしている光景は、ミュリエルに癒しの力を与えた。


 ミュリエルは、車椅子に座っているイザーク・ブルトンの妹——顔色が悪く、青紫色の儚げな少女は、薄いラベンダー色のストレートヘアを、ツインテールにしている——と、その車椅子を押している20歳くらいの青年——キャラメルブラウンの髪が、くるくるとカールしていて、深いブラウンの瞳に太い眉が、暖かくも凛々しくも感じられる——に挨拶した。


「初めまして、私は薬師のミュリエルです。こちらは婚約者のフィリップ・グライナー卿です」


 フィンは手を差し出し、車椅子に座っている小さな女の子と握手した。「フィンと呼んでください」


「お会いできて光栄ですわ。私、シルヴィー・ブルトンと申します。彼は、ジョルジュ・ドパルデュー。私の護衛をさせるために、連れて参りました。以後お見知り置きを」すまし顔で挨拶した8歳の少女は、満面に笑みを浮かべて言った。「私、ミュリエル薬師を尊敬しておりますの。慈愛の精神と、疫病に立ち向かう、戦士のように勇猛なお姿、私の憧れなのです」


 仕草は8歳の少女だけれど、話す言葉は貴婦人のようなチグハグさに、ミュリエルは暖かい気持ちになった。

「遠くまで足を運ばせてしまい、申し訳ありません。お兄様が、あなたのことをとても、心配しておられたので、お呼びいたしました」


「お兄様は、無事ですか?爆発に巻き込まれ、今は治療を受けていると伺いました」笑顔だったシルヴィーの顔が、途端に曇った。


「ご心配はいりません。腹部の裂傷と、肋骨を骨折していましたが、今は快方に向かっています。他の患者の治療を手伝ったり、食事の世話をしたりと、精力的に動かれて困っています。病人は病人らしく、ベッドで大人しくしていてもらいたいのですが、言うことを聞いてくれません。明日、お兄様のところへご案内しますので、シルヴィー嬢が、叱ってくださいますか」


「はい!承知しましたわ。お兄様は私の言うことに、逆らえないのですわ。この私に、お任せください」


 悲しそうな顔が、また明るくなって、よかったとミュリエルは思った。


 ミュリエルたちは運ばれてくる料理を楽しんだ。

 この数日、ジゼルと、イザベルと、ギャビーと、シャンタルは、アンネリーゼと、エルフリーデから、テーブルマナーを教わっていた。


 ザイドリッツでの結婚式の前夜は、親族や友人を招いての食事会が開かれるし、結婚式の翌朝は、親族揃って朝食を食べるという習慣がある。


 フランクールほどマナーにうるさくないし、基本をおさえておけば大丈夫だと言い、レッスンに付き合ってくれている。


 ただし、ザイドリッツの宴は、お祭り騒ぎで、明け方まで続くので、覚悟しておくようにと言われた。


「支配人が、シルヴィー嬢を、お迎えに上がったと伺いました。問題はありませんでしたか?」ミュリエルがシルヴィーに訊いた。


「お気遣い感謝いたします。実は面白いことがあったのですよ。私の話し聞いてくださいます?」


「ええ、お話しください」


「お兄様が負傷し、ミュリエル薬師が呼んでいると伺ったときは、心臓が止まりそうなほど驚いたのです。グロージャン様は、とても親切にしてくださいましたわ」


「それは良かったです」


「それで、お兄様にお会いしたいけれど、私が家を開けてしまえば、叔父夫婦は屋敷に上がり込んで、めちゃくちゃにしてしまう。『当主不在の家を守るのが、私の責務です』と、お伝えしたところ、グロージャン様は叔父夫婦に『ロイヤルプライベートヴィラ レ・ドニから参りました。我が主人より、シルヴィー嬢をご招待するよう、仰せつかって参りました』なんて仰るのですもの、叔父夫婦は、泡を食ってましたわ」


「我が主人は、王族の皆様方ですが、現在の主人代理は、ミュリエル薬師ですから、嘘ではございませんよ」グロージャンが、ミュリエルとシルヴィーの、空いたグラスに水を注ぎながら、片目をパチリと瞬いて言った。


「おかげさまで、叔父夫婦は屋敷に近づかないと思いますわ。ありがとうございます」


「いいえ、お役に立てて何よりです」グロージャンは下がっていった。


 ミュリエルとフィンは、数時間前までの信じられない光景が嘘のように、楽しい時間を過ごした。


 今晩を楽しく過ごせた人が、マルセルに何人いるだろうかと、ミュリエルは考えた。大勢の人が亡くなり、家族や友人は、失った人を愛おしく思い、泣いているだろう。

 ミュリエルの大事な家族はここにいて、大切な友人たちは、安全なパトリーにいる。そのことが、ミュリエルの心に安堵をもたらした。そして、罪悪感を抱いた。


「大丈夫?」ヴィラに戻ってきてから、フィンはグラスにウィスキーをついで、夜の海を眺めていた。


 ミュリエルは、ミントの葉とライムが色鮮やかなモヒートを飲み、疲れた身体をほぐした。フィンはカクテルに詳しい。美男子が手際よくカクテルを作る姿に、ミュリエルは心が蕩けた。

「このマルセルで、幸せを噛み締めている人が、どれだけいるだろうかと、考えていました」


「そうだね、大切な人を失ってしまった人もいるんだよね——シリルのバーで、今日、息を引き取った重症患者がいたそうだ。さっきホテルに、治療の手伝いで来ていた薬師見習いの子が、看取ったと言っていたよ」


 マルセル駅から救助されたものの、生きていることが奇跡だと思うほど、損傷が激しく、彼女は、腰から下を失っていた。ミュリエルの魔力をもってしても、助けることは不可能な状態だった。


「マルセル駅の被害者の中で、最後の重症患者です。助けられなかったことを、不甲斐なく思います」


「ミュリエルはよくやったよ。家族が到着するまで粘ったじゃないか。患者に意識は無かったけど、家族はさようならが言えた。それは、とても大きなことだと思うよ」


「サンジェルマン宰相閣下にも家族がいるのですが、包帯を巻きつけられた顔では、誰だか分からないでしょうね」フィンがミュリエルの頭を優しく撫でた。「ガルディアンとサンジェルマン宰相閣下の間に、何があったのでしょうか。人を火炙りにするほど恨むこととは、何でしょうか」


「1階のパーティー会場にいた8人と同じ理由なのか、それとも違う理由なのか。違う理由だとしたら、一か所に集めて同時期に殺すって、随分効率的な感じがして、恨みの強さと比例しない気がする。同じ理由で恨んでいるとすると、モーリスさんが言ったように、処刑って感じが強くなるんだよな。目には目を歯には歯をって言うだろう?モーリスさんも、火刑は放火犯に課せられる罰だって言ってたから、火が関係しているんじゃないか?」


「サンジェルマン宰相閣下が、過去に放火を犯したことがある、ということですか?」


「アンドレ王子はサンジェルマンを、気に入らない奴がいたら、社会的に抹殺するくらいの冷酷さを持っているって評価してた。ガルディアンに繋がる誰かを抹殺した、そのことでガルディアンが反撃に出たのかもしれない」


「抹殺するような事案、書面として残してはいないでしょう。そうなると、関係者から話を聞くしかありません。サンジェルマン宰相閣下が、奇跡的に目覚めたとしても、話しをするのはおそらく、不可能でしょう。ガルディアン本人に、直接聞くしかありませんね」


「ミュリエルは、ガルディアンがデュヴァリエ伯爵だと思うか?」


「第一容疑者は、デュヴァリエ伯爵だと思います。デュヴァリエ伯爵ならば、爆弾の材料を揃えることができる。コルディエ元少尉ならば、爆弾の製造も可能でしょう。それに、旧館の鍵を何の痕跡も残さず開けることが、彼にならできたでしょう。二人の共謀説に賛成です。フィンさんは違うのですか?」


「いいや、俺もガルディアンは、デュヴァリエ伯爵だと思うよ。サンジェルマンのことはさ、長年積もりに積もった、積年の恨みってものかもしれないなと思ったんだ。一方は宰相で、美丈夫で、若い頃は、令嬢から言い寄られることも多かっただろう。そういうのに、男は嫉妬するものだからね。そして、もう一方は、大陸戦争で負けた東邦人の母から生まれた子。たった2つしか離れていない腹違いの兄は、尊敬され、称賛される。弟が——デュヴァリエ伯爵が日の目を見ることは、なかっただろうなって思ったんだ」


 フィンには英明な兄が3人いる。比べられることも多かっただろう。そして、ミュリエルは、気に入らない女の子供だというだけで、冷遇を受けてきた。フィンの言うことも理解できると、ミュリエルは思った。

 しかし、フィンにも、ミュリエルにも、思い通りにならない境遇を、撥ね除けるだけの根性があった。

 ミュリエルは、侯爵令嬢の肩書に、何の未練もなかった。デュヴァリエ伯爵は、栄誉ある伯爵という称号を得ながらも、その地位に満足することなく、より高い地位を羨望してしまったのだろうかと、ミュリエルは嘆じた。

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