第32話 8人の被害者

 午後16時、ミュリエルとモーリスは手分けして、真鍮しんちゅうのルーペを使い、8体の遺体を——5時間もの間、火の中にいたことで、炭のようになってしまっている——隅々まで調べ、小さな証拠物をピンセットでつまみ取り、蓋つきのガラス皿に採取した。

 フィンとエクトルは、2人が告げる遺体の身体的特徴を、診療録に記録していった。


「女性はいません。男性ばかりです」ミュリエルが言った。


「以前、要職についていた人たちの集まりなんだよな。そういう奴らは、恨みも買いやすいんじゃないか?」モーリスが遺体に近づけていた顔を上げて言った。


「ガルディアンは私に、腹を立てているのだと思っていましたが、真の目的は何でしょうか」


「俺が言ったろ。こういうことをする奴は、いつも何かしらに腹を立ててるもんだ。自分の見てくれを、馬鹿にされたってだけで、腹を立てたのかもしれないし。自分より幸せな奴が目障りだってだけで、腹を立てたのかもしれない。俺たちには理解できない思考回路なんだよ」


「モーリスさんの言う通りだよ、ミュリエル。爆破犯の考えていることなんて、一生かかっても理解できないさ」フィンはミュリエルを慰めるように言った。「犯人がサンジェルマンだと仮定して、彼らとの間に、何かしらのトラブルがあったってことだろう?サンジェルマンは激昂するタイプなのか?」


「サンジェルマン宰相閣下を、よく存じ上げませんが、そのように感じたことはありませんでした」ミュリエルが答えた。


「何か分かったか?」アンドレが氷室に入ってきて訊いた。


「被害者は全員男性。身体的特徴は記録してありますが、今のところ、これといった目ぼしい物は見つかっていません」ミュリエルが報告した。


「こっちは、パーティーの主催者が分かった。デュヴァリエ伯爵フェルディナン・サンジェルマン——サンジェルマン宰相の叔父だ」アンドレは額に手を当て、大きく息を吐いた。「招待客名簿も手に入った。既に身元が確認できている人は、チェック済みだ。行方不明者は別紙にまとめてある。性別、年齢、身長、体重、それから、既往歴を分かる範囲で記入してある」


 こんなに早く入手できるとはと、海軍の特殊部隊にミュリエルは感服した。


 アンドレに差しだされた——海軍はミュリエルが指示した通りに、行方不明者名簿を作成してくれたようで、とても見やすくできていた——2枚の書類を、ミュリエルは受け取った。招待客名簿の名前の横に、チェックマークが付けられている招待客は、確認済みということなのだろうと、ミュリエルは理解した。


 ミュリエルとモーリスは、行方不明者名簿と、診療録を見比べて、空欄になっていた名前を埋めていった。


「ここには、遺体が8体。行方不明者は9人。1人足りません」ミュリエルが、モーリスから、名前の入った診療録を受け取って言った。


「ジョン・ドゥか?」アンドレが訊いた。


「身体的特徴が一致しません。見当たらないのはデュヴァリエ伯爵です。彼は年齢73歳、ジョン・ドゥは多く見積もっても65歳未満です。身長も合いません。デュヴァリエ伯爵は165㎝、ジョン・ドゥは約178㎝です」


「デュヴァリエ伯爵は小柄なのか」アンドレは意外だと思った。サンジェルマンの父親は背が高かったからだ。


「確か、サンジェルマン様のお父上様とは、腹違いの兄弟だったと記憶しています。デュヴァリエ伯爵のお母上様は、東大陸から嫁いできた姫。ですので、西大陸の一般的な男性より少し小柄で、容姿も、お母上様の特徴を、色濃く受け継がれていました」エクトルが記憶を辿りながら言った。


「ジョン・ドゥに東邦人の特徴は無かった。東と西では骨格が違うんだ。容姿が東邦の人間に似ているとするならば、骨格も東邦の人間に近いはずだ」モーリスが口を挟んだ。


「それじゃあ、デュヴァリエ伯は、爆発があった時、ここにはいなかったってことか?サンジェルマンと共犯?何だか信じられないな。2人は仲のいい叔父と甥って感じじゃなかったと思うぞ。サンジェルマン家は敬虔なカトリックで、家督を継ぐ男は皆、教会を敬う意味で名前がつけられる。ジャン=バティスト〈洗礼者ヨハネを意味する〉とかな。でも、デュヴァリエ伯はフェルディナンだ。ゴート語で『勇敢な旅人』要するに生まれる前から、トゥーサン伯爵は継がせないと言われているようなものだ。兄と弟、そして叔父と甥、彼らの間には、それなりに、軋轢があったようだ」


「サンジェルマンは、どんな奴なんだ?」フィンが訊いた。


「厳格。古い人間。格式張っている。口うるさい。まあ、俺にとっては、目の上のたんこぶだな。不満があるなら、その場で口にするタイプだし、気に入らない奴がいたら、社会的に抹殺するくらいのことは、平気でやってのける冷酷さはあれども、根に持つようなタイプじゃない」アンドレは何かにつけて説教してくるサンジェルマンを、少しだけ鬱陶しく思っていた。

 そして、両陛下同様、サンジェルマンもミュリエルを気に入っていたらしく、婚約を破談にした後、しばらくグチグチと文句を言われて、アンドレはうんざりした。


「同感です。宰相という立場の方ですから、清廉潔白とは言えないでしょうが、道徳に反することは、なされない方だと思っていました。ですが、先程モーリスさんが言われたように、人の思考は、他人からは理解できないものなのかもしれません」エクトルが残念そうに言った。


「サンジェルマン宰相閣下も、デュヴァリエ伯爵も、爆弾に関する知識は乏しいように思います」ミュリエルが言った。


「そうだった。エクトルから聞いたが、シクスト・コルディエ元少尉について知りたいんだったよな。あれは厄介な奴だよ。危うくベルジェと戦争になりかけたのは、シクストがヴルツで貴族令息をレイプしたからだ」


「そんな奴が、なんで不名誉除隊で済んでるんだ?軍法会議にもかけられていなかった」そんなクソヤローに、温情など必要ない、陰茎を切り落としてやればいいとフィンは憤慨した。


「込み入っているんだ。女性に聞かせたくない話だが……仕方ない。シクストは元々素行の悪い奴で、陸軍は頭を抱えていたんだ。赴任地で少年をレイプしたことは、一度や二度じゃない。部下に対する態度も、叱責されるようなものばかりだった」


「今まで、どうして処罰されなかったんだ?」モーリスは不快そうに顔を顰めて言った。


「被害者が報復を恐れて、訴え出なかったんだ。ああいう連中は、虐げる人間を選ぶんだよ。反論できない弱い立場の人ばかりを標的にする」アンドレは不快感を顔に滲ませた。


「それが、貴族に手を出した」フィンが言った。


「そうだ。陸軍は処罰するきっかけができたんだから、軍法会議にかけて、実刑を言い渡し、軍を追い出す気でいた。だけど、肝心のベルジェが、公にしないでほしいと要求してきたんだ」


「被害者側が事件を揉み消そうとしたのか」この手の犯罪が、いつもスッキリしない展開で終わることを、モーリスは悲嘆した。モーリスは薬師として、そういった被害に遭った人を、性別に関わらず、治療してきた。女性は薬師であるモーリスに、涙ながらに被害を訴えるが、男性は被害にあったことを隠そうとする。


「レイプされたその令息は、ベルジュの大公だったんだ。現王の異母弟で、当時13歳だった。男が男に犯されたなんて、世間に知られるわけにはいかないと考えたんだろう。軍法会議にかけられたら、事件の詳細が明るみに出てしまう。それを恐れたんだ」


「性犯罪です。被害者の名前は匿名にできたのではないですか?」ミュリエルが訊いた。


「事件発覚当初は、フランクールも、ベルジュも、そのつもりだった。だけど、ヴルツへ旅行に出かけていた大公が、誘拐されたらしいと噂になってしまい、ベルジュ王国内で広がってしまったんだ。その直後に、シクストが強姦罪で有罪となれば……」


「口さがない奴らは、好き勝手に噂するだろうな——」フィンは、腹の立つ話だと言いたげに、首を横に降った。


「フランクールの兵士が、ベルジュの大公をレイプした。そんな事実が明るみに出れば、国境付近は殺伐としただろう。乱闘騒ぎに発展してもおかしくない。フランクールとしては、目を瞑るしかなかったんだ」


「それで、上官に対する不服従で不名誉除隊か。シクストは野戦病院に息子を連れてきてたけど、15歳くらいの少年だった。あれ、息子じゃなかったのかもな」フィンは胸が悪くなるのを感じ、吐き捨てるように言った。


「コルディエ元少尉は、威圧的な人でした。陸軍の紋章が刻まれたバッジを胸元につけ、軍人のように振る舞っていました。陸軍の軍人だったことに誇りを持っているのでしょう。ならば、自分を追い出した陸軍を、逆恨みするのではないでしょうか」ミュリエルが冷静に分析した。


「シクストには軍を恨む動機があって、サンジェルマン、もしくは、デュヴァリエには、爆弾の製造を依頼できるだけの金がある。『国民を混乱に巻き込み、フランクール軍に罪を擦り付けたいから、ちょっと手伝ってくれないか?報酬は弾むぞ』って言われたら、シクストは喜んで餌に食いついただろうな」フィンが言った。


「サンジェルマンとデュヴァリエが、最有力容疑者であることは疑いようがない。シクストも合わせて指名手配する」そう言ってアンドレは氷室を出て行った。


 その後ろ姿は、一回り小さくなったようだとミュリエルは感じた。アンドレにとって、サンジェルマンは目の上のたんこぶかもしれないが、子どもの頃から知っている身内同然の人だ。それなのに、その狂気に気づけなかったのだとすると、落ち込むのも無理もない。


 しかし、誰もが、サンジェルマンという人は、厳格な人だと思っていたはずだと、ミュリエルは考えた。


「納得いかない?」フィンがミュリエルの顔を覗き込んで訊いた。


「分かりません。ただ、何かが引っかかるのです。答えはそこにあるのに、見えていない気がします。根拠はありませんが、私たちはガルディアンに、ミスリードされているのではないでしょうか」


「ミュリエルは、サンジェルマンが犯人だと思っていないんだな。それなら、根拠はなくていいし、支離滅裂でも構わないから、考えてることを口にしてみろ。頭の中が整理できるかもしれないぞ」ミュリエルは、自分の考えを心の内にため込む癖がある。吐き出させようと思ってモーリスが言った。


「ガルディアンは、この8人を、生きたまま焼き殺すくらいの憎しみを抱えています。これまでの爆破は、序章に過ぎません。デモスの主張を支持しているのならば、原始的生活に反している物を、排除したかったのでしょうが……」


「これまでの爆破が、デモスの主張に沿っていない」フィンが言葉に詰まったミュリエルに助け舟を出した。


「マルシェでは、新燃料を使用している屋台ではなく、染め物売りや大道芸人。マルセル駅では、汽車ではなく、駅舎。的が外れているのです。そもそも、的が違うとしたら、どうでしょうか?」


「ガルディアンが考えている的には、ちゃんと当たっていた。その的ってなんだ?」フィンが訊いた。


「……分かりません。ですが、的に当たったかどうかというのは、確認したくなるものではありませんか?」


「そうか、毎回爆発現場にいたかもしれないな。俺たちが救助するのを、どこかで見ていた」釣りとて、かかった獲物が、どんな姿をしているのか確認したくなるものだ。モーリスは納得して言った。


「ただ見ているだけなら目立ちます。救助の手伝いをしていたのではないでしょうか。サンジェルマン宰相閣下は、お年を召されていますが、とても華やかな面立ちをしています」


「それなら、目立っただろうな」モーリスはミュリエルが何を言いたいのか、理解して頷いた。


「はい、負傷した女性は皆が、フィンさんに治療してもらいたがっていました。行列ができるほどに」


 声の調子でフィンにはわかった。ミュリエルはやきもちを焼いたのだ。そのことが、フィンの心を嬉しくさせた。

「たとえ58歳だとしても、貴族の風格があるだろうし、顔がいいのなら尚更、女が群がるだろうな」


「だけど、そんな奴は見当たらなかったぞ。サンジェルマンが犯人じゃないとすると、彼はどこへ行ったんだ?まるで、透明人間にでもなったみたいだな」


「——分かりました!サンジェルマン宰相閣下の居場所が」ミュリエルはそう言い、氷室を飛び出して行った。

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