第31話 謎の男
正午、行方不明者の捜索が一段落し、兵士たちは瓦礫の撤去に方針を変えた。
救護所では、軽傷の人たちは家族と一緒に歩いて帰宅し、行方不明となっていた人たちは、遺体となって家族に運ばれ帰宅した。無残に崩れ落ちたホテルには、重症の人や、その家族だけがとどまった。ミュリエルたちは、日が高く昇る頃、北館の安全が確認されたので、仮の救護テントから、無事だった北館へと移動した。
身元不明の、重度の熱傷を追った患者も運び込まれ、ミュリエルは複数の病室を、行ったり来たりしながら、忙しく治療に専念した。
被害の規模を詳細に記した書類を、関係各所に提出しなければならないため、瓦礫の撤去状況を確認しに行っていたマドゥレーヌが、航空母艦に招待客名簿の手配を指示し、海軍の現場責任者の報告を受けていたアンドレを伴って戻ってきた。
「旧館に人がいたのではないかと、海軍は言っている。痕跡があるそうだ。排せつ物から推測すると、少なくとも、1週間くらい寝泊まりしていたような形跡があるそうだ」アンドレが言った。
「ですが、旧館は立ち入り禁止だと……」ミュリエルはエドモンとヴァネッサを見た。
ヴァネッサは先ほど目を覚まし、エドモンが付き添っていた。
エドモンとヴァネッサは視線を交わした。言うべきか、言わざるべきか、2人とも悩んでいるようだった。
「どんな些細なことでも、ただの噂話でも構いません。何かご存じでしたら、教えて頂けませんか」ミュリエルが2人に訊いた。
エドモンが答えた。「実は、数日前から、旧館の窓に人影を見たって従業員が後を絶たなくて」
「でも、旧館は立ち入り禁止だから、鍵がかかってて、入れないようになっているんです」ヴァネッサが口を挟んだ。
「だから、俺たちは幽霊じゃないかって噂してたんです」エドモンは、まるで幽霊に聞かれるとまずいのではと、怯えているかのように声を落として言った。
「幽霊ですか……」ミュリエルは幽霊を信じていなかった。人ならざる者のことならば、ミュリエルはよく知っていた。ミュリエルが召喚する精霊や、まだ、会ったことは無いが、魔術師が存在していた時代に、魔術師と行動を共にしていた妖精。妖精はいたずら好きで、人を騙したり、驚かせたりするのだと文献に記されている。仮に、ここに人ならざる者がいたとするならば、それは、幽霊などではなく、妖精なのではないだろうかと、ミュリエルは思った。
「ジョン・ドゥー(※身元不明者に使用される名)は従業員でも宿泊客でもない、旧館を寝床にしていた、元セレブの浮浪者って可能性もあるんじゃないか?」モーリスが考えを口にした。
「没落貴族か、商人かもしれませんね。大富豪を相手に商談を成立させることができれば、返り咲けると考えて、パーティー会場へ潜入した。そして、火災に巻き込まれたということですね」ミュリエルが言った。
「それが真実だとすると、ちょっと気の毒だけど、自業自得だな。金儲けなんて考えなければ、無事でいられたってわけだ」フィンは呆れたように首を横に振った。
兵士と一緒に、旧館の確認に行ったマドゥレーヌが異論を呈した。
「ちょっと待って、没落貴族や商人なら、鍵を壊して中に入るんじゃない?鍵は壊れていなかったわよ。兵士が言うには、こじ開けられた痕跡もないそうよ。旧館の鍵は、ホテルのオーナーと工事責任者しか持っていないし、紛失した形跡もない。要するに、その不法侵入者は、鍵の開け方を知っていたってことでしょう?」
「とすると、この男は詐欺師か泥棒——狙いは宝石か?」フィンが言った。
「火災に巻き込まれたのだから、パーティー会場にいたということになります。従業員になりすましていたのか、宿泊客を装っていたのか……宝石を身につけていなかった理由は、従業員になりすましていたからかもしれません」ミュリエルが言った。
「そうね、避難してきた従業員と、兵士たちを調べたけど、宝石を盗んだ不埒な者はいなかったわ。それに、他の遺体からは宝石が盗まれた様子はなかった。とすると、そもそも身につけていなかったとするのが妥当ね」マドゥレーヌが報告した。
「彼は今日のパーティーのことを、どこかで聞いて知っていた。侵入して盗みを働く機会を窺うことにした。ところが、ガルディアンが西館を爆破してしまったことで、計画は頓挫する」モーリスは推察した。
「盗みが成功していたならば、彼は今頃、煙のようにマルセルから姿を消していたはず」ミュリエルが言った。
「そうだ、彼の仕事はこれからだったんだろう。火災が発生した時、彼がどこにいたのか、何をしていたのか分からないが、数人残っていたはずのパーティー会場から、逃げてきたのが彼だけだというのは、少しおかしくないか?」
「そのことで、お話があります。別室に移動したほうがよろしいかと存じます」アラン・シャミナード上等兵曹が近づいてきて言った。
「事務室へ移動しましょう。我々の仮眠用に、場所を提供してもらっていますので、無人です」ミュリエルが提案した。
事務室にミュリエルたちが移動してきたところで、シャミナードが報告した。
「火元であるとされるパーティー会場へ調査に向かった兵士から、パーティー会場が外側から施錠されていたようだと。その痕跡を見つけたと、報告がありました」
「施錠されていた?どういうことだ?」アンドレが訊いた。
「今までガルディアンは、無差別に爆破していた。誰が死んでも構わないって感じだった。だけど今回は、ガルディアンにとって、確実に死んでほしい人間がいたってことじゃないか?」フィンが言った。
「パーティー会場に放火し、閉じ込めたって言うのか?」その残忍さにアンドレは身震いがした。
「ヴァネッサさんは、パーティー会場にいましたが、爆発の直前、西館の客室に、ご婦人を案内して欲しいと、頼まれたと言っていました。その頼んできた人が、誰だかは分からなかったけれど、身長はフィンさんと同じくらいか、やや低め。やせ型の50代か60代くらいの男性で、眼鏡をかけている。目つきが鋭く怖かったと、言っていました」ミュリエルが言った。ミュリエルには、その人物に心当たりがあった。
それは、アンドレとエクトルも、マドゥレーヌにも心当たりがあった。
アンドレが険しい顔で言った。「サンジェルマン宰相だ」
「だけど、どうして、そのご婦人を連れ出したの?今までのガルディアンなら、放っておいたはずよ。だって、無関係な人たちを104人も殺しているのよ。その中には平民も富豪も貴族もいたわ。無差別だったのに、突然なぜ、その人を助けたのかしら」マドゥレーヌが疑問を口にした。
「そのご婦人は誰だか分かっているのか?」アンドレがミュリエルに訊いた。
「西館の担当ではなかったヴァネッサは、そのご婦人が誰だか知らなかったそうです。506号室に案内するよう言われ、連れて行ったと言っていました。ドレスの色が、明るいブルーだったことは覚えているそうです」
「それなら、探せそうだな。そのご婦人が身内なんじゃないか?だから助けた」アンドレが推察した。
「違うと思うぞ。助けたかったなら、建物の外へ誘導するだろう。西館は崩れてしまってるんだから、これじゃあ、助かるかどうか賭けをするようなもんだ」モーリスが反対の意見を言った。
「連れ出した理由は何だと思います?」フィンはモーリスが、その答えを出している気がして訊いた。
「火炙りというのは、その昔、放火犯が受ける処罰だった。今ではギロチンによる処刑に統一されたが、200年ほど前までは、公開処刑場で火刑が行われていたんだ」
「一種の処刑だったということですか?」ミュリエルが聞いた。
「火をつけて閉じ込めるくらいだから、そいつは相当な憎しみを抱えていたんじゃないか?そのご婦人を助けたかったんじゃなくて、ただ、処刑場から追い出したかっただけだろう」
「それなら、ガルディアンの人物像に合致するわね。残忍で冷酷」マドゥレーヌの声に怒気が滲んだ。
「爆破が続いていたから、てっきり火災は不測の事態が起きたのだと考えていたが、そもそも、爆破が目的だったんじゃなくて、放火が目的だったということか」アンドレが言った。
「モーリスさん、火災現場から運び出されたご遺体を調べてみませんか?ほとんど燃えてしまって、証拠と呼べる物は残っていないかもしれませんが、何か分かるかもしれません」ミュリエルが提案した。
「そうだな、まずは、身元の確認からだ。身元が分かれば、犯人の動機も分かるかもしれない。動機が分かれば、次に何をしようとしているのか、見当がつくだろう。先回りできるかもしれないぞ」モーリスが同意した。
ミュリエルとモーリスは、遺体が収容されている——日が高くなるにつれ、外気温が上昇したことで、遺体の腐敗を遅らせる必要があった。そのため、氷室から食材を全て搬出し、遺体を収容した——氷室へ向かった。
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