第21話 再会

 アンドレとエクトルは、オートゥイユ邸を訪れた。マドゥレーヌは、マルセル駅爆破からずっと帰宅しておらず、今はマルセル警察署に詰めていると、執事から聞き、警察署に何の用があるのだろうかと、半信半疑で警察署へ向かった。


 アンドレが警察署に辿り着き、そこで見たマドゥレーヌは、警官たちに指示を出し、発破をかけている、よもや貴族令嬢とは思えない姿だった。


 アンドレと会うときは王城内だったこともあって、マドゥレーヌはいつも高価なドレスを着ていた。大きな宝石がついたネックレスを首にかけ、耳からは彼女が動くたびに、楽しそうに揺れるイヤリングを下げ、細く柔らかそうな指には、リングをはめ、綺麗に着飾っていた彼女だったが、今は見窄らしくはない程度の質素な服に、アクセサリーは、一つも身につけていない。髪の毛を後ろで一つに束ねているマドゥレーヌは、まるで女戦士さながらだ。


「マドゥレーヌ?」


 マドゥレーヌは呼ばれた方へ振り返った。

「あら、アンドレ王子殿下。お久しぶりでございますね。お早いお着きで驚きました」マドゥレーヌは警官たちに、手振りで会議の終了を告げた。「つい先程、王宮へ電報を打ち救援を求めましたのに——まさか、ミュリエルさんとフィンさんの婚約式を妨害するために、お越しになったのですか?」マドゥレーヌは虫けらを見るような目でアンドレを見た。


 この目の前にいる女性は、本当に自分の知り合いだろうか?と疑いたくなるほど、記憶の中のマドゥレーヌとかけ離れていた。

 アンドレはマドゥレーヌに双子がいただろうかと考えた。

「まさか、そんなことをするわけがない、私はもう、自分の気持ちをきっぱりと捨てたのだ」


「そうですか、ならいいですけど、救国の乙女が、マルセル領内で婚約式をあげたとなれば、観光事業の良い刺激剤になりますからね、邪魔をされては困るのです。

 ここは捜査本部で、警官たちの出入りも多く、騒がしいです。ご報告したいことがございますので、別室に移動いたしましょう」マドゥレーヌは先頭に立って、アンドレとエクトルを自分のオフィスに案内した。


 アンドレは歩きながら話した。

「驚いたな、君がミュリエルと仲良くなるなんて」


「別に仲良しってほどではありませんけど、あの人、並外れたお人好しで、悪意がすり抜けていくじゃないですか。冗談すら真面目に答えようとするんですよ、嫌いになれる人います?それに、私たち家族は、窮地を救われたようなものですからね」


 その人物を、つい一年前まで、疎ましく思っていたのがアンドレだった。彼女の魅力に全く気がつかず、邪険に扱い続けた結果、ようやく目が覚めた頃に、あっさりと振られたのだ。


「ところで、君はここで何をしているのだ?」


「見ての通り、領主代理の仕事をしています。まずは、事件の詳細からご説明しましょうか」マドゥレーヌはオフィスの扉を開けて、椅子に座るよう促した。


 アンドレは椅子に座り、エクトルはアンドレの背後に立った。


「いや、いい。ここに来る前、ミュリエルから詳細を聞いてきた」


「ああ、そうですか」やっぱり、ミュリエルに会いに遥々やって来たんじゃないか、婚約者のいる女にいつまでも縋るとは、女々しい男だなといった視線をマドゥレーヌは投げかけた。


 アンドレは、諦めたように言った。

「本当に違う。マルセルで爆発があったと聞いて、心配になって……それで……無事を確認しに……」自分の口から出てきた言葉が、全て未練がましく聞こえて、アンドレは気まずくなった。


 ミュリエルは、アンドレに心配して欲しいなんて、これっぽっちも思っていないはずだ。フィンには、国宝級のミュリエルを、心配するのは当然だと言ったが、それが都合のいい言い訳であることを、アンドレは分かっていた。いつかは、あきらめなければいけないと頭では理解しているが、心がミュリエルを忘れられなかった。久しぶりに会ったミュリエルが、アンドレの胸を弾ませ、そして、締め付けた。


 マドゥレーヌは相手が、この国の王子だということを忘れて、無礼にも鼻で笑った。

「まあ、あなたがここへ来た理由なんて、どうでもいいですよ。私はマルセル領主代理なのだから、マルセル領内が2か所も爆破され、死傷者が400人も出たこの状況で、ただじっと座っているわけにもいきませんでしょう?だからこうして仕事をしてるんです」


「君が指示を出さずとも、良いのではないか?矢面に立てば、爆破犯の恨みを買う恐れがある。ここは、警察署長に委ねたほうがいい」


「その警察署長から、指揮をとってくれと頼まれたんです。最初こそ女の私が、しゃしゃり出るのを鬱陶しく思っていたようですけど、父であるトゥルニエ伯爵が、マルセル領主代理に一任すると、公言しましたから、引き下がるしかなかったでしょうね」


「なぜだ?こんな一大事に、オートゥイユ伯は、娘に丸投げしたのか?」アンドレは怪訝な顔をした。


「父に非はありません。当初、ただの事故だと思われていましたから、父としては、このゴタゴタを解決して、能力を示して見せろと言いたかったのでしょう。事故ではなかったとする報告書を、先程電報で送りましたので、すぐに返信がくると思います」


「オートゥイユ伯は、先の事件で限りなく黒に近いグレーだから、犯罪には極力巻き込まれない方がいい」


「ええ、分かっています。アンドレ王子殿下とミュリエルさんの配慮があったことを存じています」


 アンドレは確認するように、こくりと頷いた。「警察署長は、オートゥイユ伯の一任するという言葉に、素直に従ったのか?」


 マドゥレーヌは諦めたように息を吐き出した。「警察署長も結局、国のお偉方との煩わしい交渉を、代わりにやってくれるならば歓迎だということです。マルセル駅が故意に爆破されたかもしれないと分かると、警察署長は正式に私へ指揮権を与えました。要するに、この責任を誰かに押し付けたいってことでしょう」


「——何という怠惰な」今回のことで、誰かが責任をとることになったら、必ず警察署長の能力不足を追求しようと、アンドレは心に決めた。


「世の中そんなものですよ。王子に気に入られたいと擦り寄る人はいても、王子に責任を擦り付けたい、なんて考える命知らずがいないだけです」


「ならば、私が矢面に立とう。何が目的でこんなことをしているのか分からないが、国の一大事だ。王子が出陣するのが筋だろう」


「ありがとうございます。お言葉に甘えて、頼りにさせて頂きます。警察署長は無責任ですが、マルセルの警官は気概がありますよ。ミュリエルさんが、昼夜問わず、治療に全力を尽くしてくれたおかげで、若い警官を中心に、士気が上がったというのも、大きな要因でしょう」


「また彼女は無理をしているのだろう。疫病の時もそうだった。倒れるまで働き続ける、ただ人を助けるのが仕事だからという理由で。それが彼女の美徳なのだが、見ているこっちは気が気でなくなる。今回も無理をしているのではないかと、胸騒ぎがしたから、駆けつけてみれば案の定だ——」


 アンドレは不穏な空気を感じて、視線をマドゥレーヌに向けると、またもや虫けらを見るような目で見られてしまった。


 どうして振られた男が、その女のことで惚気ているのか?といった視線を避けるように、アンドレはコホンと咳払いをした。


「君はなんだか、変わったね。私の知っているマドゥレーヌとは、少し違うようだ」アンドレはマドゥレーヌを、虫も殺さないような可憐な女性だと思っていた。


「あの頃は自棄になっていて——色々事情があるんです。その事情を解決してくれたのが、ミュリエルさんなんですけど、取るに足らない話です」どうでもいいことだという風に、マドゥレーヌは手を振った。「今の私が真にマドゥレーヌという女です。領主代理という仕事が案外、性に合っていて、日々忙しくしています。しかも、こんな大事件を抱えてしまって、朝から晩まで寝る暇もなく働いてるせいで、見た目はボロボロですけどね。それもこれも、お偉方が頭の固い、くそじじいばかりのせいですけど」


 言葉は酷く辛辣なのにもかかわらず、美しく微笑む姿は、楚々とした美人だった。


 美しい物に魅せられたかのように瞳を輝かせながら、本心を隠し、笑顔で人を罵ることができる、女は怖いとアンドレとエクトルは同時に、薄ら寒いものを感じて、身震いした。


「……エクトル卿、あなたには随分と不快な思いをさせてしまいました。ごめんなさい」マドゥレーヌは深々と頭を下げて謝った。「あなたが初対面の時から、私を嫌っていること知っていました。あなたの爵位が子爵だから嫌っていたわけではありません。あなたが、私を嫌っていたから、腹が立っただけ」


 エクトルは、自分にも非があったのだと、初めて気づき、深く反省した。「申し訳ありませんでした。私の態度は、咎められて然るべきでした」


「あなたも王城の侍女たちも、ミュリエルさんが大好きで、私のことを疎ましく思ってるんだもの、疎外感を覚えたって仕方がないでしょう?だからって、やり過ぎてしまったわ。私も反省してる。だから、お互い様ってことで、わだかまりは捨ててもいいかしら?」


「はい、全て水に流します。今のあなたは、とても好ましいです」


 マドゥレーヌは納得して頷いた。

「ところで、宰相閣下は、どこに行ってしまわれたのかご存知ですか?全然捕まらないんです」


「1週間前の定例会議で会ったが、その後は見かけていない。王宮にもいないのか?」


「何度も電話をかけているのですが、あちらは不在だとしか言わないんです。伝言を残しても返答はないし、お偉方は、全ての案件に関して、宰相閣下の決定が必要だと言って、重い腰を上げてくださらないし、困っているんです」


「分かった、俺からも連絡を入れてみよう。何か、居場所を言えない事情があるのかもしれないな」

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