第19話 中止の婚約式

 テレポートを誰かに目撃されてしまうという、困った事態を避けるため、人がいないであろう場所に、ミュリエルはポータルを開いた。


「ごめん、俺がもっと早くに気づくべきだった」

「フィンさんは悪くありません。早く家族の所へ行きましょう」

「そうだね」フィンはミュリエルの手を握り、手の甲に口をつけた。


 フルニエ島は、ラノワ島とボヌール島を、堤防でつなげた2つの島の総称で、フルニエ島の周辺にある小島を加えて、フルニエ諸島と呼ぶ。


 マルセル港のターミナルから、ラノワ島のターミナルまでは、船で約30分。定期船が出ていて、海水浴を楽しむ観光客が多く上陸する。


 ターミナルがあるラノワ島の南側のエリアには、ホテルやレストランが立ち並び、賑わっているが、その他のエリアには、ほとんど人がいない。


 その中でも、最も人が近づきたがらないエリアが西側だ。約100年前に疫病で亡くなった患者たちの慰霊塔が、不気味に佇んでいる。


 モーリスの祖父が言うには、当時の王都パトリーは自警団が結成された。彼らは、その場で感染者を殺し、遺体を焼くことで、感染を食い止めようと試みた。


 マルセル領主は、感染者を島流しにすることで、感染を食い止めようとした。入ったら最後、死んでも出られない。


 どちらも人道的ではないが、非感染者を守るため、被害を最小限にするための、苦肉の策だったのだろう。


 誰が好き好んで家族を、友人を、隣人を、死に追いやるというのか、彼らの苦悩を思うと、ミュリエルの心は激しく痛んだ。


 看護する人も、警護する人もいなかったこの島が、悲惨な状態だっただろうことは、容易に想像できる。


 おびただしい数の、数十年間放置された遺体は、フルニエ島の土地開発事業に伴い、敷地内に共同墓地が設けられ、慰霊碑が建てられた。彼らはようやく、安らかに眠ることができたのだろうと、慰霊塔を見つめながらミュリエルは思った。


 ミュリエルとフィンは、教会を目指して、馬を走らせた。


 教会は島の東側にあり、高台に建てられていて、島内を見渡せるほどだ。ミュリエルたちは、約10分ほどで教会に辿り着いた。


 正午を少し過ぎた頃、教会の前には誰もいなかったので、扉を開けて入った。

 開け放たれた窓からは、心地よい潮風が通り抜けている。

 

 今日の婚約式のために、シスターが花を生けていた。黄色が目に鮮やかなヒマワリと、紫がかった青色のサルビアと、可憐な白のペチュニアで彩られた礼拝堂は、簡素な造りながらも愛らしかった。

 きっと、エルフリーデとイザベルとギャビーが、花を選んでくれたのだろうと、ミュリエルは思った。


 シスターにフィンは声をかけた。

「シスター、フィリップ・グライナーと申します。家族がどこにいるかご存知ですか?」


「本日の主役のお2人ですね。ご婚約、おめでとうございます。ご家族様でしたら、女性の皆さまは、別棟の控室でお支度をなさっておられます。男性の皆さまは、外の庭に出ておられます」


「ありがとうございます」フィンは礼を言い、ミュリエルの手を引いて早足で歩いた。


 建物をぐるっと東側に回ってくると、眼下に広がるエメラルドグリーンの海と、ラノワ島に隣接するボヌール島の要塞が見えた。


「父上!モーリスさん!」並べられた椅子に腰掛け、談笑している彼らに、フィンが声をかけた。


「やっときたか、主役のいない婚約式になるかと、ヒヤヒヤしたぞ」ヘリベルトが呆れた声で言った。


「婚約式は中止します」


 フィンが言った言葉に、ヘリベルトとモーリス、ユーグとティボーを遊ばせてくれているジークフリートも、怪訝な顔をした。


 2人は手を繋いでいるし、喧嘩をした様子はない。これほど心待ちにしていた婚約式を、中止せざるを得ない、何か重大なことが起きたのだと、3人は一瞬で悟った。


「何があった?全て話せ」ヘリベルトが険しい顔で言った。


「一連の爆発事故は、事故でない可能性が出てきました」フィンが落ち着き払った声で、静かに言った。


「プロパンが原因じゃなかったのか?」モーリスが訊いた。


「違いました。先程、患者の服の襟から、小さな金属片のような物を発見しました」ミュリエルは2本の指先を使って、金属片の大きさを示した。「それには言葉が刻まれていました。モーリスさんは覚えていますよね。約30年前のパトリーで起きた爆弾事件を」


 モーリスは顎を指でつまんで記憶を辿った。「——ああ、覚えてる。確か、あれは1880年のことだ。いまから29年前、大陸戦争が終結して10年が経ってた。あの時は、大勢の死傷者が出て、薬師はてんやわんやの大騒ぎだった。まるで、また戦争が勃発したのかってくらいにな——まさか、あのデモスの連中か?確か教祖とかいう奴は、死んだはずだ」


「その事件なら私も覚えている。最初の爆破事件から死亡まで、17年もの間、逃げおおせていたと聞いた。教祖の名はガルディアン。フランクール語の古語で、守護者という意味の言葉だったと記憶している」


「お義父様、その通りです。彼は科学技術者へ、爆弾の入った小包を17年の間に15個送りつけたのです。破片には、そのガルディアンが考案したとされる暗号文が書かれていました。内容は『慈愛の天使に死を』です」


「なんてこった!」モーリスは頭を抱えて驚愕した。


「父上、ザイドリッツに帰ってください。モーリスさんたち全員を連れて、フランクールを出てください」フィンが言った。


「そうしよう。お前たちはどうする?」


「私は残ります。彼らは私を殺すまで止めないでしょう。私が隠れてしまったら、他の人たちが傷つきます。それならば、私は囮になります」


「ミュリエル。間違っても今言ったことを、ジゼルに言うなよ。大したことないって顔してろよ」モーリスが厳しい顔で言った。


「はい、大丈夫です。モーリスさんは、ザイドリッツにジゼルさんを連れて行ってください」


「いいや、ジゼルには他のみんながついてる。俺はお前と残る」反論しようとしたミュリエルをモーリスが、人差し指を立てて止めた。「お前が何を言おうとも、これは決定事項だ。反論は受け付けない。前回で懲りたんだ。ただ待つだけなんて、ごめんだ」


 ミュリエルは渋々といった様子で答えた。「分かりました。反論しません」


「そうと決まれば、マルセルに戻って、急いで荷造りしよう」少し離れたところにいたジークフリートは、ティボーを腕に抱えて、ユーグの手を引いて近づいてきた。


 ミュリエルとフィンは、先程声をかけたシスターに、婚約式の中止を告げ、大いにがっかりされてから、ジゼルたちがいる別棟へと急いだ。


 そして、ジゼルたちにも婚約式の中止と、その理由を告げ、大いにがっかりさせてしまった。


 ジークフリートが手配してくれた馬車に乗りこみ、一行はターミナルを目指した。


 ターミナルへ辿り着いたときには、マルセルから数名の警官が上陸してきているところで、何やら大きな機械や、大きなバックを肩に下げていることから、爆発物処理班なのかもしれないと、ミュリエルは思った。


 あの後すぐに、マドゥレーヌが警察に事情を説明し、働きかけてくれたのだろう。


 一行は定期船に乗り込んだ。

「ミュリエルさん、フルニエ島で遊べないの?」ティボーが訊いた。


「ごめんなさい。帰らなければいけなくなってしまったのです」


 口を尖らせて拗ねるティボーを、ギャビーが窘めた。

「こら!ティボー、ミュリエルさんを、困らせちゃダメでしょう」


「そうだぞ、悪い奴がやってくるんだから逃げなきゃダメなんだ」ユーグが言った。


「僕が悪い奴やっつけてやるよ!」ティボーは剣を振る真似をした。


「とんでもなく凶悪な奴なんだぞ、お前なんか、あっという間に殺されてしまうに決まってるだろ」


「何でだよ!そんなの分かんないじゃないか。ミュリエルさんは僕が守ってあげるからね」


「ありがとうございます。ティボーさん」ミュリエルはティボーの頭を優しく撫でた。


「ティボー、俺のお嫁さんを誘惑するんじゃない!」フィンがティボーの頭にコツンと拳をぶつけた。「それよりお前たち、今度はザイドリッツに行くんだぞ」


「ザイドリッツってどこ?遠い?」


「ああ、遠い、マルセルなんかよりずっと遠い。冒険の旅の話覚えてるか?遠ければ遠いほど自慢できるんだぞ」


 人魚の話と同じで、フィンが考えた、調子の良いでまかせだったが、ユーグとティボーは目を輝かせた。


「ザイドリッツは、フィンさんの家があるのよ」ギャビーが言った。


「フィン兄ちゃんの家に行くの?」ユーグが嬉しそうに訊いた。


「ああ、そうだ。ジーク兄ちゃんが、いろんな所に連れて行ってくれるから、楽しみにしとけよ」フィンはチラリとジークフリートを見た。睨みつけられたが、フィンは知っていた。ジークフリートは子供が好きなのだ。どこに連れて行こうかと、既に考えていたに違いないとフィンは思った。

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