第18話 教祖ガルディアン

 ミュリエルは、赤毛の少女に近づいて訪ねた。「おはようございます。私は薬師のミュリエルです。あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」


 途端に少女は、シャキリと背筋を伸ばし、緊張した面持ちで答えた。

「ミュリエル薬師、お会いできて光栄です。私の名前はオデットです」


「オデットさん、あなたが腕章のアイデアを出したと伺いました。大変素晴らしいアイデアだと思います。あなたの優れた才知に感謝します」


「そ、そんな、私はただ、友達とペタンクで遊ぶときに、分かりやすいようボールの色を変えていて、それで思いついただけなんです」


「そうでしたか、応用できるということも、知恵だと言えます」


「ありがとうございます!あ、あの……私はミュリエル薬師のような、立派な薬師になるのが夢です。今は父について勉強していますが、いずれ、ミュリエル薬師の病院で働きたいと思っています。私を、一番弟子にしてください!」


「そのように言っていただけて、嬉しく思います。ですが、一番弟子は既にいるのです。ごめんなさい。病院を一緒に盛り立ててくださる、あなたのように将来有望な薬師は、大歓迎です」


 一番弟子にはなれないと知ってオデットは消沈したが、将来有望と言われて喜んだ。

「ありがとうございます。必ず薬師になって、お役に立ってみせます!」


 ミュリエルは彼女から離れ、患者の治療に専念した。


 一通り患者の容体を見て周り——昨日は魔力が足りず、後回しにしていた——命に別状は無いが、重症の患者の治療を追加で行い、一段落したところで、フィンがこっそりと話しかけた。

「オデットは要領が良く、頭の回転が早い優等生タイプ、ギャビーは持ち前の明るさで、道を切り開く努力家タイプ。ギャビーのライバル現るだね」


「そうですね、切磋琢磨できるライバルは、2人にとって良い刺激となるでしょう。2人が薬師として、活躍する日が楽しみですね——」


 そう言いつつ、眉をひそめたミュリエルを、フィンは不思議に思った。

「どうかした?」


「ええ、ここに何か書かれています」ミュリエルが、患者の服の襟の内側から、破片をつまみ上げた。


 ミュリエルの手のひらに置かれた、その金属のような破片を、フィンは覗き込んだ。

「ああ、確かに何か文字が刻まれているみたいだね。でも、何語だ?フランクール語?」


「違います……」煤けて読みにくい文字を、ミュリエルは目を細めて読み驚愕した。「フィンさん、人目のつかないところへ行きましょう」


 ミュリエルはフィンを連れてパブから出た。普段なら、マルセル駅前の広場には、デーツやクレープの屋台、スープスタンドが並び、賑わっているはずだが、今は無惨に崩れた駅舎と、マルセル警察の警官が、規制線の前に立っている姿と、行方不明者の家族や友人が、藁にもすがる思いでここへ来て、生存を祈っているだけだった。


 ミュリエルはパブの隣の路地へ、フィンを連れて行き、誰にも聞かれないよう小声で話した。

「これは——フィンさん、これはフランクール語ではありません。これは暗号です。約30年前、首都パトリーに惨劇をもたらした爆弾事件の首謀者、ガルディアンが考案したものです。本で少し読んだだけですが、ここに書かれているのは……『慈愛の天使に死を』です」


「何だって⁉︎」

 驚いて大きな声を出してしまったフィンに、ミュリエルは静かにするよう人差し指を唇にあてた。

「ごめん」


「この一連の爆発が事故ではなく故意に仕組まれたことだったなら……」ミュリエルとフィンは同じことを考え、見つめ合った。「私が死ぬまで続く」


「そんなまさか、ちょっと待ってくれ、何で30年前の爆弾犯がミュリエルの命を狙うんだ?そんなのおかしいだろう?」


「ガルディアンは科学技術を憎んでいました。人は原始的な生活に戻るべきだと主張したのです。私は疫病を退けました。それが、原始的ではないと判断されたのかもしれません。フィンさん、マドゥレーヌ嬢と急ぎ話す必要があります」


「そうだな、どんな理由であれ、これ以上爆破させるわけにはいかない。すぐに謁見を申し出よう」ミュリエルが狙われているという事実に、フィンは動揺を隠せなかった。


 路地を出てミュリエルたちは見知った顔を見つけた。彼は規制線の前で警備をしていた。

「ウスタシュ巡査。ご苦労様です。領主代理に取り次いでもらいたいのですが、どなたか取り次ぐことができる人を知りませんか?」フィンが訊いた。


「えっと、領主代理でしたら先程、本署の対策本部へ行かれましたから、本署に行ってみられてはどうですか?」


「ありがとうございます。そうします」


 ミュリエルとフィンは、乗ってきた馬に跨り、マルセル警察署へ急いだ。


 ミュリエルが署内へ足を踏み入れた途端、警官たちは一斉に敬礼した。

 マルセル駅で人一倍働いていたミュリエルのことを、警官たちは、好ましく思った。そして、この女神のような美貌の若い女性が、フランクールをスルエタ流感から救ったのだということを知ってからは、ミュリエルを盲目的に崇拝した。


「警官の皆さん、ご苦労様です。私はミュリエル薬師の助手兼、婚約者です」熱烈な視線を、ミュリエルに浴びせる男たちが気に入らず、心なしか婚約者という言葉に力が入った。「実は、マルセル領主代理に話があって来ました。ここに領主代理は、いますでしょうか」


 警官たちの顔色は、あからさまに『チッ!こんな優男が婚約者か!』と言っていた。


 マルセルの男たちは、揃って頑健だった。そして、そんな男が女に好かれた。


 フィンは勝ち誇った気分で、顎をほんの少し突き出して、優越感を味わった。


 それを横で見ていたマドゥレーヌが、男たちの愚かな行動をせせら笑った。

「あなたたち何やってんのよ」


「マドゥレーヌ嬢、お伝えしたいことがあって参りました。少し、お時間よろしいでしょうか?」ミュリエルが言った。


「あなたも大変ね」何のことか分からないといった顔をしたミュリエルに、マドゥレーヌはため息をついた。「何でもないわ、あなた、こういうことに疎いのよね。忘れてたわ。それで何?私に伝えたいことって」


「重要なことですので、どこか落ち着けるところで話したいのですが、可能でしょうか?」


「分かったわ、ついてきて」

 マドゥレーヌは先を歩き、ミュリエルとフィンはついて行った。


 マドゥレーヌが案内したのは会議室の一つで、入り口のネームプレートは『会議室B』と書いてある上に『マルセル領主代理』と書き直されている。


「私の仮のオフィスだから、誰も入って来ないわ。かけてちょうだい」


 マドゥレーヌに進められた椅子に、ミュリエルとフィンは腰掛けた。

「先程、患者の襟の内側に、この破片が挟まっているのを見つけました」ミュリエルはマドゥレーヌに1㎝×5㎝ほどの欠片を差し出した。


「何?これ、金属?プレート?」マドゥレーヌは、テーブルに置かれたその破片を、まじまじと見つめた。


「それが何の破片なのかは分かりませんが、刻まれている文字は分かります。それには、こう書かれています。『慈愛の天使に死を』」


「はあ⁉︎何よ、何の冗談?そんなこと書かれてないじゃない」


「これはフランクール語ではありません。約30年前パトリーに爆弾をしかけ、多くの人の命を奪った男、ガルディアンが考案した暗号です」


 大真面目に言うミュリエルが信じられず、マドゥレーヌはフィンに目を向けた。いつも冷静で、貴族の子息らしく、顔色を隠すのが上手いフィンを、マドゥレーヌは気に食わなかったが、世間知らずのミュリエルには、このくらい如才ない男のほうが、いいのだろうとも思っていた。

 そんな彼が、今は冷静さを欠き、顔色を失っている。


 マドゥレーヌは記憶を辿るように、こめかみを指先でトントンと叩いた。

「ガルディアンって、宗教団体デモスのリーダーよね。聞いたことがあるだけで、あんまり詳しくないけど、確か、自動車会社のレセプションパーティー立てこもり事件の首謀者よね」


「そうです。あの年、電気式の自動車が発売されたのです。その発表のためのパーティーでした。フランクールでは蒸気自動車が主流で、そのすぐ後に発売された、ガソリン自動車の方が実用的でしたから、広まることはありませんでしたが。レセプションパーティーには、約200人の人々が参加しました。そして、立てこもり事件が起きたのです」


「立てこもりってことは、要求があったのか?」フィンが訊いた。


「はい、ありました。ガルディアンが率いる宗教団体デモスの要求は、王政の廃止。しかし、フランクール王国前国王陛下は、フランクールはテロリストに屈しないと、強硬な姿勢を示され、その要求には応じられないと、断固拒否なされました。その結果、ガルディアンを含む何名かのデモスのメンバーは、人質となった約200人を道連れに爆死しました」


「その時死んだなら、これを書いたのは、残党ってことか?」自国の事件ならまだしも、他国だ。しかも、生まれる前の事件など、フィンは知りようもなかった。


「前国王陛下は、デモスの解体を成功させたと言われていますが、もしかすると、デモスの主張に賛同する者が、また、現れたのかもしれません」


「それで、何であなたが標的になるの?」マドゥレーヌが訊いた。


「分かりませんが、推測するならば、人は原始的生活を営むべきとする主張に、私の薬師としての活動が、逸脱しているのかもしれません」


「死ぬはずだった人を救ってるから気に障るってこと?何よそれ、無茶苦茶じゃない」


「テロリストに筋道や道理を求めるなんて、無茶かもな」フィンが呆れたように言った。


「頭が痛くなってきたわ。とにかく、国に報告するわ。テロリストが関わっているのなら、私の手に負えないもの。あなたに護衛をつけなくちゃね。救国の乙女の一大事なんだから、軍が出てくるかもしれないわ」


 全てに目を配るのはフィンの得意分野だ。ミュリエルを心配するあまり、心が乱れていたせいで、フィンはいつもなら、すかさず対処していたであろうことに、マドゥレーヌの言葉で思い至り、失態を犯してしまったことに気がついた。


「マドゥレーヌ嬢!今すぐフルニエ島へ警官を送って欲しい。今日は婚約式で、家族が既にフルニエ島へ行っている!」フィンは早口に告げると、会議室を飛び出していったミュリエルの後を追った。


 フィンの言葉を聞き、ようやく、何を恐れるべきか気がついたミュリエルは、自分自身を罵った。どうして自分はこんなにも疎いのだろうか。

 本をたくさん読んできた、だから、ガルディアンの暗号に気づけた。だけど、家族を守れなければ何の意味もない。


 ミュリエルとフィンは、乗ってきた馬を連れて物陰に隠れた。

 ミュリエルはマジックワンドに魔力を送りポータルを開き、マルセルとフルニエ島を繋げた。

 ミュリエルとフィンは一瞬見つめ合い、肩を並べてフルニエ島へとテレポートした。

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