第16話 2人だけの晩餐
メイドのアデリーナは、ミュリエルとフィンが、すぐに眠るだろうと予想して、気を利かせてくれたようだ。部屋の窓には、重たいカーテンが下ろされていて、柔らかな明かりが室内に差し込んでいた。そろそろ陽が傾き始める頃だ。
フィンはすやすやと眠るミュリエルの額に、ちゅっと口づけ、隣に体を横たえて深い眠りへと落ちていった。
ミュリエルが目を開けると室内は真っ暗だった。どうやら陽は沈み、夜になったようだ。
一晩中怖くて眠れなかったバーのオーナーシリルは、今朝早く、ミュリエルたちのために、サンドイッチを作ってくれた。それを食べて以来、何も口にしていなかったミュリエルは、空腹で目が覚めたようだった。
目を開けた瞬間、ミュリエルのお腹は、ぐうぐうと空腹を訴えた。
次に襲ってきた足の間の違和感と、腰の重みに、昨晩フィンと熱に浮かされたように体を繋げたことを思い出した。ミュリエルは恥ずかしくなって、身じろぎした。
ミュリエルを、後ろから抱きしめて眠っていたフィンは、ミュリエルが動いたことで目を覚ました。
「おはよう、ミュリエル——朝ではないみたいだけどね」
頭の上から響いてきた声に、耳まで真っ赤になったミュリエルが答えた。「おはようございます」
暗闇の中、フィンはミュリエルの顔色までは分からなかったが、声の調子で、恥ずかしがっていることは分かった。
フィンはミュリエルの頭のてっぺんに口をつけた。「一生一緒に生きていこう。最後の時まで大事にする。絶対にミュリエルより先に死なない。悲しませるなんてことは、しないと誓うよ。決してよそ見はしない。俺の目にはミュリエルしか映さない——俺は今めちゃくちゃ幸せだ」
ミュリエルは少し考えてから話した。「……一昨日も、昨晩も、たくさんの人が亡くなりました。助けた命より失った命のほうが多いです。ある日突然、死は否応なしにやってきます。私たちは今日、家族の元へ帰ることができました。ですが、それは必然ではなく、奇跡なのかもしれないと思うのです。それならば、私は後悔したくない。愛する人に愛してると毎日言いたい。多くの時間を共有したい」
ドゥニーズの処刑が決まってから、ミュリエルが思い悩んでいることは知っていた。暴力を振るわれ、食事もろくに与えられていなかったのに、ミュリエルは、ドゥニーズの人生を気の毒に思っている。
「うん、ミュリエルが死に直面したら、俺は一緒について行くよ。天国だろうと地獄だろうと、片時も離れず、君をひとりぼっちになんてしてやらない。だから、鬱陶しいなんて思いは捨てることだ。俺は案外、執着心が強いほうなんだ。どんな悪鬼からも守ってやるって言いたいところだけど、俺より遥かにミュリエルのほうが強いからね、俺のことを守ってくれよ」
女性に守ってくれ、なんて潔く言うフィンに、ミュリエルは体を震わせて笑った。
「あ!笑うなんて酷いな!さっきはあんなに愛し合ったっていうのに、愛し方が足りなかったのか?もっと徹底的に攻め立てるべきだったな」フィンはわざとらしく拗ねて、ミュリエルの玉のように滑らかな肌が、露わになった肩にキスした。「お腹が空いたね。アデリーナが用意してくれた軽食、冷めちゃったけど食べようか」
ミュリエルは笑うのをやめて返事した。「はい」
「起き上がらなくていいよ。体が辛いだろう?持ってきてあげるから、ちょっと待ってて」フィンはそう言い、ミュリエルの背中に、クッションを押し込んで、上半身だけ起き上がらせ、テーブルに置かれた軽食を取りに行った。
チーズやプロシュートの盛り合わせ、サクサクの生地に、ほうれん草とベーコンがたっぷり入ったキッシュ、鶏レバーのペーストとパン、マドレーヌや、タルトタタンや、ババ・オ・ラムが綺麗に盛り付けられた皿を持ってきて、ミュリエルの前に置いた。
「どれ食べる?」
なんとフィンはミュリエルに、食事を口まで運び、食べさせようとしているのだ。
驚いたミュリエルは慌てて言った。「自分で食べられます」
「昨日の夜から、ずっと頑張って助手を勤めたんだから、俺にもご褒美が欲しい。ミュリエルを甘やかす許可を、与えてくれないか?」
そう言われてしまっては断れない。フィンが、ずっとミュリエルを支えてくれていたことは事実だから、仕方なくミュリエルは受け入れることにした。
「では、キッシュが食べたいです」
「いいよ」食べやすいようにカットされたキッシュを手に取り、ミュリエルの口元に近づけた。「はい、あーん」
ミュリエルは頬を染めながら、素直に口を開けてキッシュを味わった。
そうやって、満腹になるまで食べさせられたミュリエルは、ベッドに横たわった。向き合って横になったフィンは、鈍痛が残るミュリエルの腰をさすった。
「明日は14時から婚約式です。それまでは、シリルさんのバーに行ってきます。オベール男爵は、妹様が病を患っていると言っていました。私の魔法が役立つかもしれませんし、ひとりでお兄様の帰りを待っているのなら心配です。部屋は余っていますから、ここへお呼びしようかと思うのですが、どう思いますか?」
「ムッとする」
「え⁉︎」
「ひとりで心細いだろうから、妹さんを呼ぶことは賛成だよ。たださ、ミュリエルがオベール男爵って言うと、なぜか腹が立つ」
ミュリエルは愉快そうに瞳を揺らした。
「やきもち?ですか?」
「アンドレ王子はさ、ミュリエルのタイプじゃないだろう?だから、やきもち焼くことがあっても、さほど気にならなかったんだ。でも、オベール男爵はミュリエルのタイプだ」
「そんなこと……ありません」
「あ!なんか、今の微妙な間が気になる」
ミュリエルは口ごもりながら言った。「私の瞳には、フィンさんしか映っていません」
「ミュリエル!また俺に試練を与えるのか!酷いな、抱きたくなっちゃうから、俺を誘惑しないでくれよ」
「そんな……つもりは……ないです」
「あれれ?なんだか、抱かれたいって言ってるように聞こえるけど?」腰をさする手を止めて、ミュリエルの腰をツンツンとつついた。
ミュリエルはくすぐったくて、身を縮めて吐息を漏らした。
「——まずい、本格的に抱きたくなってきた」ミュリエルの口に濃厚なキスをした。舌を絡めたり吸ったりして、暫くの間、ミュリエルの味を存分に味わったフィンは、赤く腫れてしまったミュリエルの口から離れて言った。「朝まであと数時間ある、もう少し眠ろう」
ミュリエルとフィンは、ほぼ同時に眠りに落ちていった。
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