第14話 懸命の治療

「さて、どうする?」フィンがミュリエルに訊いた。


「オベール男爵の脾臓ひぞうは、損傷が激しく、医師であれば、迷わず摘出術を行うでしょうが、感染症にかかることが多く危険です。薬師は、皮膚の裂傷であれば患部を縫合し、治癒を促すポーションを飲ませますが、臓器の裂傷となると、お手上げです。内臓とは複雑に構成されていて、未だ分からないことが多い器官です。知らない病気の治療が、困難であるのと同じで、知らない臓器を、魔法で治癒させることはできません。ですので、私の魔力を送り、自然治癒力を上げ、脾臓の損傷を治療します」


「前回、ソーニャさんを治療した時みたいに?あの時は、大量の魔力を消費して、ミュリエルも危険だった」フィンは不安な顔つきで、ミュリエルの両肩を優しく撫で下ろした。


「脾臓の裂傷は深く、損傷程度はI型、II型、Ⅲ型とあるうちの最も損傷程度が大きい、Ⅲ型、複雑深在性損傷です。完治させるには、私の魔力を多く使うことになるでしょう。ですが、助けられる命を、見捨てることはできません」


 フィンはミュリエルの髪を、そっと撫でた。「やれることを全力でやりたいって気持ちはよく分かる。でも、無理はしないでほしい、ミュリエルにもしものことがあったら、俺はモーリスさんとジゼルさんに、締め殺されてしまうから、俺の命のためにも、無理だと感じたら、すぐに止めることを約束して」


 ミュリエルは、少しだけ口角を持ち上げて、愉快そうに微笑んだ。「分かりました。約束します」

 

 魔力を送るミュリエルは、まるで、これが大魔術師の力だと知らしめるかのように、煌めいていた。そんなミュリエルを、フィンは眩しそうに目を細めて見つめた。


 30分ほど経ったところで、ミュリエルは魔力を送る手を下げた。

「内臓の損傷は完治しました」


「少し休憩しよう、顔が真っ青だ」ミュリエルが治療している間、腹部外傷の治療の準備をしていた——万が一のことを考えて、麻酔薬や鎮痛薬のポーション、治療道具一式を、ミュリエルは持ち歩いていた——フィンが縫合用の針や、ピンセットを消毒する手を止めて、ミュリエルを椅子に座らせた。


「では、10分だけ休憩します」


 フィンは、ミュリエルにもっと休んで欲しかったが、腹部に破片が刺さったままの彼の体を思えば、10分で手を打つしかないかと苦慮した。


 おおよそ10分が経とうとしたとき、イザークが、ぼんやりと目を覚ました。


「気がつかれましたか?」ミュリエルが声をかけた。


「ミュリエル薬師?いったいどうして」


 ミュリエルは、体を起こそうとするイザークの肩を押した。「動いてはいけません。オベール男爵、あなたは爆発に巻き込まれ、負傷しています。腹部に刺さっている破片は、幸い出血を止めてくれていますが、今ある位置からズレてしまったら、大量出血してしまうかもしれません。ですから、動かないでください」


「腹部に破片って?」イザークは目玉を動かして、自分の腹を覗き込んだ。「嘘だろ!なんだよこれ!」イザークは気が遠くなりそうになり、吐き気が胃から込み上げてきて、えずいた。


「まず、あなたには、麻酔薬のポーションを飲んでもらいます。それから、破片を抜き縫合します」


「腹に穴が開いてるのに助かるのですか?私はこのまま死ぬのですか?」イザークの声は、酷く怯えていて震えていた。


「必ず助けます」


 両目をカッと見開き、恐怖に慄いているイザークが、ミュリエルを非難するように叫んだ。

「そんな不確かな約束しないでください!いくら救国の乙女だからって、流感なんかとは違うんだ。腹にこんな物が突き刺さってるんですよ!助かるわけないでしょう!」イザークはパニックを起こす寸前だった。


「オベール男爵、ミュリエルが、どれだけの人を救ってきたかご存知でしょう?彼女は嘘を吐いたりしません。彼女が必ず助けると断言したからには、必ず助かります」


「……あなたは?」


「フィリップ・グライナーです」


「——あなたは、もしかして、ミュリエル薬師の恋人?」イザークは、妹にせがまれて、ミュリエルとフィンを題材にしたオペラ『永遠の愛をあなたに』を、観に行ったことがあったので、名前を聞いて誰なのか、すぐに見当がついた。


「ええ、そうです。ですから、命を救ったミュリエルに、想いを寄せることは許しませんよ」フィンは調子のいい冗談で、イザークの緊張を解こうとした。


「ハハッ!恐れ多いことです。私なんかが慈愛の天使に想いを寄せるなんて……ミュリエル薬師、私には幼い妹がいます。あの子は不治の病を患っている。薬がなければ生きていけない……私にもしものことがあったら、どうか、どうか、妹を頼みます」声を詰まらせながら、懇願するイザークの瞳から、涙がこぼれた。「ほとんど見ず知らずのあなたに、頼むことではないと分かっています。ですが、私が死ねば叔父は、高額の治療が必要な妹を、家から追い出してしまうでしょう。あなたが創設しようとしている病院に、入院させて頂きたいのです」


「私は諦めの悪い人間なのです。決してあなたの命も、妹様の命も、諦めたくはありません」


 イザークは、フィンに渡されたポーションを2瓶、一気に飲み干し、不味いと思って覚悟したのに、甘い味がしたポーションに、目を丸くしながら、深い眠りに落ちた。


 意識がなくなったようだと思い、ミュリエルが言った。「これより、オベール男爵の、腹部刺創修復術を行います。肋骨骨折は魔法で治癒を促し、腹部の裂傷は縫合のみに留めます。全て完治させてあげたいですが、ウスタシュ巡査とシリルさんは、損傷の程度を見てしまっていますから、かろうじて一命を取りとめた、という状態にするしかありません」


 ミュリエルの、白くなりそうなほどに握られた手を、フィンは励ますように優しく包み込んだ。

「ミュリエルの痛み止めは、最高だから、全然痛くないんだ」


 以前、ミュリエルの治療を受けたことがあり、その優れた効果に感銘を受けたフィンは、あのとき、ミュリエルに尊敬の念を抱いた。それが、いつしか恋心に変わったのだ。


「フィンさんの骨折は完治していましたし、傷ついた神経も治癒しましたので、痛くなかったのは当然です」


「え⁉︎じゃあ、ギプスも、ポーションも、いらなかった?俺——無駄に蟻を飲んだのか?」


 必要のないギプスをはめ、不自由な生活をさせたばかりか、余分な代金まで支払わせてしまったことを、申し訳なく思い、ミュリエルは、気まずそうに視線を床に落とし、ついと横を向いた。


 伏せられた瞳を、フィンはジロリと睨んだが、気まずいせいか、いつもより多くパチパチと動く瞼につられて、揺れるまつ毛が、あまりにも可愛くて、ミュリエルの頬を撫でた。


「可愛いのは反則だ、怒れなくなっちゃうだろう?」フィンはミュリエルの瞼に、唇でそっと触れた。「ほら、何も考えず、治療に専念するんだ。もしもバレたら、その時は一緒に謝ってあげるよ」


「はい、よろしくお願いします」

ミュリエルは、マジックワンドをイザークの体の上に掲げた。フィンが居れば、全て大丈夫だと思えた。これが魔法と言わずして、何と言おうか。


 ミュリエルは、マジックワンドを持つ手を、グッと握り込んだ。「フィンさん、腹部の破片を、ゆっくりと引き抜いてください」


 ミュリエルは大量出血に備えて、マジックワンドを構えた。破片が抜き出されれば、勢いよく血が溢れ出すだろう。すぐに魔法で血管を繋ぎ合わせなければ、イザークは出血死してしまう。


 フィンが引き抜く度に、傷口から血が滲み出てきて、フィンの手が止まる。

「フィンさん、大丈夫です。間に合わなければ、魔力を送り治癒に導きます」ミュリエルは力強く言った。「魔法で破片を抜くこともできますが……出血を止めることと同時となると、不安がよぎります。すみません」


「ミュリエルは何も悪くないだろう?俺がビビってるだけだ」フィンは大きく深呼吸した。「いくぞ、一気に引き抜く」

 引き抜かれたガラスの破片は赤く濡れていて、10㎝ほど体内に埋まっていたと推測できる。


 フィンは傷口の生々しさに、目眩を感じ、くらりとした。

 ミュリエルは昨日も、この惨状に耐え、それをイザークは手伝ったのだ。これしきのことで倒れてしまっては、男の沽券に関わる。

 フィンは目を強く閉じ、かろうじて倒れずに立っていられた。


 どっと血が吹き出した腹部に、すかさず、ミュリエルは破片によって損傷した血管を魔法で繋ぎ合わせ、肋骨の骨折部位に治癒を促した。それが終わると、糸が通された針を手に持ち、裂けた腹部をスッスッと滞りなく縫いつけた。


 縫合の技術はモーリスから習った。カルヴァン邸で、好き勝手できなかったミュリエルは、人々が寝静まってから、この縫合術を、服の裾を縫い合わせることで、何度も練習した。


 魔法を習得するよりも、ずっと難しかった。それを、難なくやってのける国士無双のモーリスを、ミュリエルは、師匠だと、幼い心に決めた。


 ありったけのロウソクや、ガスランプに灯された火が、ゆらゆらと揺れ、雑な造りのパブをまるで、神殿のように染め上げた。


 その中に佇むミュリエルは、さながら、女神のようだと、心を打たれたフィンの視線は、動くことを忘れ、ミュリエルを見つめ続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る