第13話 駅舎崩壊

 12日午後22時、ミュリエルたちはマルセル駅に到着した。数日前に訪れたマルセル駅が、思い出せないほどに駅舎は崩壊していた。


 きっと駅舎の下敷きになっている人も大勢いるだろう。


 一刻も早く引き出してあげなければ、彼らは助からないだろう。救出が長引けば長引くほど、生存は絶望的になっていく。


「前回と同じく手分けしよう。北から放射状に負傷者を治療していく、ミュリエルは右側を、俺は左側だ」フィンがミュリエルから、決して離れないだろうことは分かっていた。なので、ミュリエルから離れるなという言葉を——喉まで出かかったが——モーリスは、わざわざ言う必要はないと判断した。


 爆発の中心地は駅舎の中だろう。立派な建造物だったそれは、崩れ落ち、人の侵入を拒むように、出入り口が塞がれている。


 ミュリエルとモーリスは、崩壊した駅舎の中に、救助へ向かおうと模索している警官たちに屋内のことは任せて、駅舎の外——爆発で飛び散った瓦礫やガラスの破片で負傷し、駅前広場に伏して、身動きが取れずうめいている人の治療を行った。


 夜ということもあって、知らせを受け駆けつけた薬師は、昨日よりも少なく、応急処置の時間を倍近く要した。


 13日午前1時、ようやくマルセル警察は、瓦礫をどかして駅舎の中へと続く通路を開け、負傷者を救助してきた。


「薬師様!どなたか手の空いている薬師様はいませんか?この男、意識はありませんが、脈があるようです!」


 マルセル警察に勤務して5年の青年は、17歳といっても通じそうなくらい幼い顔をしている。その幼い顔を埃まみれにして、広場にいる人たちへ向かって叫んだ。


 生存者を見つけ連れ出せという指令を受けて、彼は崩れた駅舎の中を慎重に捜索した。「誰かいませんか?マルセル警察です。聞こえたら返事をしてください」何度も、何度も、同じことを繰り返し叫び続けたが、誰からも返事が帰ってこない。


 なぜなら、誰も生きていなかったからだ。


 上から落ちてきた梁に押しつぶされ、絶命している人、爆発の炎に焼かれ、丸焦げになってしまった人、誰かの片方の足、とにかく、そんなものだらけだった。


 訳もなく涙があふれ、せり上がってくる吐き気に、口の中が酸っぱくなる。


 全員を外に連れ出してやりたかったが、生存者が優先だという理由も分かっていた。

 彼は背中に背負った男を見つけるまで、たくさんの遺体に手を合わせてきた。生存者をようやく見つけた時は、神に感謝した。


 ミュリエルは彼が横たえた人物に近づき、顔を覗き込んだところで、驚愕した。


 その顔をミュリエルは覚えていた。あの叫び声と呻き声が響き、血に染まった広場で、血の気が引いた体を震わせながら、ミュリエルの助手をしてくれたオベール男爵イザーク・ブルトンだった。


「……オベール男爵」


「知り合い?」フィンが心配そうな声で訊いた。


「広場の爆発で……負傷した人々の治療を、偶然居合わせた彼に、手伝っていただいたのです」ミュリエルは、イザークの体にマジックワンドをあてて、険しい顔をした。「腹部に刺さった破片からは幸い血があまり出ていませんが、脾臓ひぞうを損傷していて重症です。脾動脈から、体内へ大量出血を起こしています。出血性ショック状態のようです」ミュリエルはイザークを背負ってきた青年に訊いた。「私は薬師ミュリエルです。あなたのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」


「ウスタシュです」ウスタシュは、てっきり隣の身なりの良い男が、薬師なのかと思った。しかし、少女の方がマジックワンドを持っている。こんな子に治療ができるのだろうかと、眉をひそめて訝しんだが、ミュリエルの名前を聞いた途端に、目を丸くした。


 慈愛の天使ミュリエルだと気がついたウスタシュは、姿勢をシャキンと伸ばして敬礼した。「ミュリエル薬師!お会いできて光栄です」


 彼が、あまりにも大きな声で叫んだものだから、周りにいた薬師たちも、怪我人たちも、ミュリエルに注目した。


 ウスタシュを遠ざけた後、魔法と魔力を使って治療しようと考えていたが、注目を集めてしまったせいで、ミュリエルは人目につかないところへ、イザークを連れて行き、治療せざるを得なくなってしまった。

 しかし、ここは駅舎前の開けた広場だ。隠れられる場所はない。


「彼を助けるためには、静かな所で治療をする必要があります。どこか心当たりはありませんか?」ミュリエルがウスタシュに訊いた。


「それなら、いい場所があります。ついてきてください」


 ウスタシュとフィンが、イザークを担架に乗せ、運んでいく後ろを、ミュリエルはついて行った。


 ウスタシュは駅前の通りを渡り、パブの隣の細い路地にイザークを横たえると、奥の階段を登り、扉をドンドンと叩いた。「シリル、俺だ、ウスタシュだ、開けてくれ」


 中から忍び足で、扉に向かってくる足音がした。扉の隣にある小窓に蝋燭の火がゆらりと揺れ、室内にいる髭面の男の顔を、薄らと照らした。


 小窓から、キョロキョロと目を動かし、警戒している男が、僅かに怯えた声で訊いた。

「ウスタシュ、さっき、すんげー爆発があったんだ。ドッカーンってな、ビビっちゃいねーが、厄介ごとに関わったらロクなことにならねーだろ?だから店閉めて隠れてたんだ。なあ、何があったんだ?広場の爆発と同じか?みんなが言ってるように、海賊の報復なのか?」


「さあな、俺は広場で、交通整理しかさせてもらえなかったから、捜査のことはよく分からない。そんなことより、シリル、怪我人がいて、治療のために場所が必要なんだ。店内をちょっと貸してくれないか?」


 シリルは扉を僅かに開け、隙間に顔を突き出した。

「外でやりゃあいいじゃねーか、店ん中が汚れるのは困るんだ」


 ウスタシュは、口元に手を当てて、ヒソヒソとシリルに耳打ちした。「慈愛の天使様のご要望なんだ。よく考えろよシリル、慈愛の天使様が来たパブは、どれほど繁盛すると思う?お前ジュークボックス買い替えたいって言ってたろう?1台どころか、2台でも3台でも買えるぞ」


「そ、それを早く言えよ、ウスタシュ。薬師様の頼みとあっちゃ断れねー」シリルは、壁にひっかけてあった鍵の束を掴み取った。「来いよ、店ん中を使わせてやる」


 ウスタシュの後ろから、外階段を降りてきたシリルに、ミュリエルが言った。


「シリルさん、薬師のミュリエルと申します。ご協力頂き感謝いたします」


 ミュリエルから、お貴族様がするような自己紹介をされたシリルは、戸惑って一歩、後退りした。

「ああ、俺はシリルだ——です。店は自由に使ってくれてかまわねー——です」若い頃から酒場で働いてきたシリルは、高貴なお方と、どう喋れば無礼にならないのか分からなくて、それっぽく聞こえるように話したが、全く上手く聞こえなかった。


 シリルは焦って手元が覚束なくなり、鍵の束をガチャガチャと言わせてから、一本の鍵をどうにか選び出すと、1階にあるパブの扉を開けた。


 フィンとウスタシュは、路地に横たわっている——血の気が引き、紙のように白くなったイザークを抱えて店内に入った。


 ミュリエルは、店内を見渡して言った。「ここのテーブルを寄せて、診察台代わりにしてもよろしいでしょうか?」


「ああ、もちろんだ——です」

 シリルは頭を掻き、照れた顔を他所へ向けた。ミュリエルの視界から外れ、椅子をどかしてテーブルを3つ繋ぎ合わせた。


 フィンとウスタシュは、抱えていたイザークを、テーブルの上に降ろした。


「ウスタシュ巡査、ご協力ありがとうございました。どうぞ現場へお戻り下さい。シリルさんは、またいつ爆発が起きるか分かりませんから、2階へ戻って隠れていてください」場所を移動し、人目につかないところを選んだのは、ミュリエルが魔法を使いたいからだろうと、判断したフィンは、2人を店外へと誘導した。


 慈愛の天使と一緒にいるということは、その恋人だと噂されている、ザイドリッツの貴族で間違いない。


 フィンは、今晩のディナーのために誂えたダークスーツを、まるで絵画から抜け出てきたかのように、完璧に着こなしていた。


 金銭に余裕があれば、新品の服を買うことができるが、ウスタシュの安い給料や、シリルのシケた酒場の売上では、少しでも見栄えの良い古着を買うことくらいしかできない。


 誂えたスーツなんて高価な物は、着たことがないウスタシュとシリルには、彼の身なりがとても良く見えた。きっと高位の貴族様だ、そんな彼が、出口へ誘うのなら、当然、彼らは素直に従うしか術がない。


「そうだな、海賊なんて、こわかーねーが、俺がここにいても役には立てないし、邪魔にしかならないからな、2階に戻って、大人しくしとくことにしよう」


 シリルは、何も怖くないという顔で、胸を張って言ったが、その目は、イザークの腹に突き刺さっている破片に向けられていた。


 大量の血を見ることになるなんて、ごめんだと思っていたシリルの足先は、出口へ向いていて、すぐにでも2階へ駆け上がり、布団を頭から被ってしまいたいと言っていた。


 ウスタシュは、慈愛の天使の治療を見てみたい、そして、酒場で語って聞かせれば、注目の的になれると考えていたが、救助の職務を思い出し、渋々と戻っていった。

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