第6話 救助

 砂埃の匂いと血の匂いが混ざり合い、ミュリエルは不快そうに鼻に皺を寄せた。

 仮にあの時、家族だけではなく、広場全体に魔法を発動できていたなら……と、無意味なことを考えてしまう。


 爆発と同時に襲ってくる爆風を、爆発の中心地に近いところで食い止めるなど、いくらミュリエルの魔法が優れていても不可能だ。現に、咄嗟に家族しか守れなかった。


 発作的に悔しさが込み上げてきた。何かに八つ当たりしたくなるのを堪えて、フィンならば、こんなときは何と言って慰めてくれるのだろうかと、頭を巡らせた。


 彼はいつも全て大丈夫なようにしてくれる。ミュリエルの心の隙間を、温かいもので埋めてくれる。彼がいなくなったら、自分はどうなってしまうのだろうか、ミュリエルは20代と思しき男の遺体を見下ろしながら思った。これがフィンだったかもしれないのだと。途端に吐き気が込み上げてきて、ぶるりと身を震わせた。


 フィンに会いたい、そして、全て大丈夫だと思わせて欲しいと、ミュリエルは、今すぐにフィンを感じたかった。


 一心不乱に治療をするミュリエルに、額や腕から血を流した30代後半の女が、駆け寄ってきた。

「薬師様、助けてください。息子の足が、瓦礫に挟まれて抜けないんです」


「案内してください」ミュリエルは女の後を追った。


 半壊した建物の中に、10歳くらいの男の子が、瓦礫の隙間にはまり込み、うつ伏せに倒れていた。

 右の足首から先が、コンクリート片に挟まっているようで、痛みに咽び泣いていた。


 どうやら、爆発の衝撃で、天井が落ちてきてしまったようだ。

 だが、それが幸いしたのかもしれない。少年の体を覆うように落ちてきた天井のお陰で、彼は火に煽られずに済んだようだ。少し離れたところで、皮膚が焼け爛れ、息絶えてしまっている人を見て、ミュリエルは思った。


「こんにちは、私はミュリエルです。あなたのお名前を教えてくれますか?」


「エミール」少年は泣きながら答えた。


「エミールさん、今から、このマジックワンドで、あなたの足がどうなっているか確認します。痛くはありませんから、安心していてください」


 ミュリエルは狭い隙間に体を押し込み、目立った外傷が無いか、マジックワンドで少年の体をスキャンした。


 腕の擦り傷と、足の擦り傷、顎からも血が滲んでいる。倒れたときにできた傷だろう。出血は多くないようだ。

 足の骨は深刻で、粉砕骨折しているようだった。


「足が挟まれたのは、爆発があった時で間違いありませんか?」


「エミール、大きな音がした時に、この石が足に落ちてきた?」母親がエミールに訊いた。


「うん、そうだよ」


「爆発の直前、私、この子とはぐれてしまって……ずっと探してて、でも、全然みつからなくて……」一緒にいれば守ってあげられたのに、どうして手を離してしまったのかと、罪悪感に母親は打ちひしがれた。


 骨折の程度は酷くないが、挟まれてから30分以上経過している。これ以上遅くなれば最悪、毒素が足にたまり、命を落とすかもしれない。そうなれば足を切断するしかなくなる。


 ミュリエルも、エミールの母親も、腕力に乏しい。1人が100㎏以上ありそうな瓦礫を持ち上げ、もう1人がエミールの足を引き抜くとなると、不可能だ。


 ——魔法を使うしかない。


 少年の顔をミュリエルは見つめた。きっと、マルシェに連れてきてもらって、喜んでいただろう。

 パトリーの市場でもよく見かける光景だ。両親に手を引かれ、買ってもらったアイスキャンディーを舐め、笑い声をあげる子供たち。

 ミュリエルは、この親子のそんな姿を思い浮かべた。楽しい買い物だったはずだ、それが、突然に悲劇へと変わった。この親子にとって、最悪の1日となってしまった。


 手伝ってくれる人を探したところで、ここにいる元気な人たちは皆、手が離せない状況だ。そして、こちらは、一刻を争う状況だ。


 ミュリエルが魔法を使い、コンクリート片を持ち上げるしかないと判断したとき、ちょうど運良く、30代前半の、赤毛の青年がミュリエルたちに声をかけた。


「大丈夫ですか?手伝います。瓦礫を持ち上げましょう」


「助かります。では、私とあなたで持ち上げましょう。お母様はエミールさんを引き抜いてください」


「はい、分かりました」母親はエミールの腕をしっかりと掴み、コンクリート片が持ち上がったら、すぐに引き抜けるよう構えた。


「それでは、1、2、3で持ち上げます。よろしいですか?」


「はい、いつでもどうぞ」青年はコンクリート片の端を掴み言った。


 ミュリエルが掛け声をかける。「1、2、3」


 ミュリエルはクリスタルリングに魔力を送り、怪しまれない程度に、少しだけコンクリート片が軽くなる魔法をかけた。


——以前使っていたクリスタルリングは、国王陛下へ献上してしまったので、ミュリエルは新しくクリスタルリングを作り直した——


 コンクリート片が僅かに持ち上がり、その隙に、母親がエミールを引き出した。

 ミュリエルと青年が手を離すと、大きな音を立ててコンクリート片が地面に落ちた。


「天井が崩れてくるかもしれません。外に出ましょう」ミュリエルが言った。

 青年がエミールを抱きかかえて、外へ連れ出した。


 エミールの足は、靴の中が赤黒く変色していて、腫れ上がっているのが靴の外からでも分かる。


 フィンの腕が折れたときは、魔法で骨を繋ぎ合わせた。しかし、そうしたのは、ミュリエルが再診できたからで、この少年の今後の治療は、別の薬師が担当するだろう。


 骨折した足が、翌日完治していたら、どんなに鈍感な薬師でも、異常さに気がつく。

 完治させてあげられないことを、ミュリエルはもどかしく思った。


「助かりました、私は薬師のミュリエルです。あなたのお名前を、お伺いしてもよろしいですか」


「ああ、はい、オベール男爵、イザーク・ブルトンと申します。あなたが慈愛の天使でしたか、お会いできて光栄です」


「オベール男爵、薬師が配っている骨折用のポーションと鎮痛薬、それから、麻酔薬とギプス包帯セットを貰ってきてもらいたいのですが、お願いできますでしょうか」


 爆発の後すぐに、近隣の薬店から薬師がポーションを持って駆けつけ、怪我をした人に配っていた。

 災害が起きて、緊急の治療が必要な場合、薬師は行った治療内容と、使ったポーションを記録しておけば、後日、保健所へ代金を請求することができる。


「もちろんです、すぐに戻ります」イザークは、ポーションを持った薬師の所へ、散乱したオープンカフェのテーブルや、椅子であろう残骸を避けながら走って行った。


 その姿を見送り、ミュリエルはマジックワンドで、もう一度スキャンした。

「エミールさんの足は、粉砕骨折しています。ですので、今から麻酔薬を飲んでもらいます。そして、眠った状態で骨折した骨を整復した後、ギプスをはめます」


「お姉ちゃん、僕の足どうなっちゃうの?もう走れないの?」大粒の涙を手で拭いながら、エミールが訊いた。


「走ることが大好きで、夢はマラソンの選手なんです」母親は涙をこぼしながら、息子の手を握りしめて、ミュリエルに縋るような目で問いかけた。


「治療に時間はかかりますが、元通り元気に走り回れるようになります」


「ああ、良かった……」母親は息子の体をかき抱いた。


 「ミュリエル薬師、ギプス包帯セットは品切れでした。今、マルセル領内からかき集めてきているそうで、もう少し待ってくれと言われました」戻ってきたイザークが言った。


「分かりました。ひとまず整復して、ギプス包帯が届くまで、添木をしましょう」ミュリエルは、イザークが持ってきた麻酔薬を受け取った。

「エミールさん、美味しくないかもしれませんが、頑張って飲んでください」


 ミュリエルの作るポーションはジュースのように飲みやすいが、大抵のポーションは不味いものだ。

 案の定、不味かったようで、エミールは顔を顰めた。

「頑張って飲んで、足が元通りになるお薬よ」

 母親に励まされ、エミールは思い切って飲み干した。


「よく頑張りましたね、1から順に数を数えられますか?」

「1、2、3……」


 ミュリエルは、エミールが眠ったことを確認すると、エミールの足から靴を脱がした。

「オベール男爵、お手伝いをお願いします。ずれた骨を整復しますので、足首をしっかりと押さえていてください」


「分かりました」イザークはエミールの痛々しい足を、意識的に見ないようにして、足首をしっかりと押さえた。

 

「それでは整復します」ミュリエルはマジックワンドで様子を見ながら、クリスタルリングに魔力を送り、骨を丁寧に整復していった。そして、落ちていたレンガと適当な木材を拾ってきた。「お母様、スカーフお借りしてもいいですか?」


「はい、もちろんです」母親は首に巻いていたスカーフをミュリエルに渡した。


 レンガの上にエミールの足を乗せ、木材を患部にあて、母親のスカーフと自分のハンカチで固定した。


「ギプス包帯が届くまで、さしあたり、これで大丈夫でしょう。目が覚めたら、骨癒合を促すポーションと、痛み止めを飲ませてあげてください」ミュリエルは、ポーションに魔力を注ぎ込んでから、母親に渡した。これで、通常より、治りが早くなるはずだ。「それと、腫れが引くのを促すために、足を心臓より高く持ち上げるようにしてください」


「分かりました。助けていただき、ありがとうございます」

 母親はミュリエルと、イザークに礼を言った。


「オベール男爵、お手伝いをありがとうございました。またいつ爆発が起きるか分かりません。危険ですので、安全な所へ避難したほうが良いでしょう」


「私は軍人ではありませんが、亡くなった祖父は立派な軍人でした、大陸戦争で武勲を立て、男爵を叙爵しました。こんなときに逃げ出したら、祖父に顔向けできません」イザークは歯を見せて笑った。


「あなたの勇気は、お祖父様に負けないと思います。きっと誇りに思われていることでしょう」目を合わせることが苦手で、常に視線を下げているミュリエルは、イザークを真っ直ぐに見つめた。「万が一、危険だと判断したらすぐにお逃げ下さい」


「分かりました。逃げ足は早いほうですから、ご心配には及びません。治療の知識はありませんが、お手伝いします」


「お言葉に甘えさせていただきます」

 血の気が引き、顔を青くした、この勇気ある青年を、必ず家へ帰さなければと、ミュリエルは思った。

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