第5話 最初の爆発
11日午前6時、ミュリエルたちは、庭園にテーブルを設置してもらい、気持ちのいい朝日を浴びながら、家族揃って朝食を取ることにした。
待ちきれなかったユーグとティボーは、ミュリエルに買ってもらった水着を着て現れた。
喉を詰まらせるから、「朝食はゆっくり食べなさい」というイザベルの言葉を無視して、早々に食べ終えた2人は、海へと一目散に走っていった。
2人は泳いだことがないので、溺れるかもしれないから、見張っていると言い、フィンも後を追ったが、単純に自分も海に入りたかっただけだろうと、ミュリエルは思った。
昨夜はフィンに腹を立てていたが、朝になって何度も謝るフィンを、ミュリエルは許した。
そもそも、出会う前のことなのだから、そんなに怒るほどのことでもないのだ。ただ、少し拗ねてみたかっただけだった。
昼食はフィンの家族も合流した。最初こそ皆、貴族に対して腰が引けていたが、アンネリーゼの配慮や、ヘリベルトがフィンに似て、砕けた人柄だということもあって、昼食は最初から打ち解けた雰囲気だった。
午後からは、マルセルの街を散策しようとしていたミュリエルたちに、アンネリーゼが、一緒に買い物がしたいと言いだした。何やら、裏があるようだとミュリエルは感じたが、全員で出かけることになった。
馬車に揺られ、マルセルに到着した13人は目立っていた。
とんでもなく豪華な馬車が、4台も連なって停車したのだから当然だ。王族が降りてくるのではないだろうかと、マルセルの市民たちは遠巻きに見た。
降りてきた4人の男女を見て、人々の憶測は、確信に変わった。
なぜなら、ミュリエルとエルフリーデは、まるで、女神のように美しく、フィンとジークフリートは、男神のような威厳があったからだ。
それを裏付けるように、女王シャンタルが、2人の男神から差し出された手を取って、馬車から降りてきたのだから、尚のことだ。
オートクチュールの店で、ミュリエルのついでにと、ギャビーとユーグとティボーにまで服を誂えようとするアンネリーゼに、イザベルは恐縮し、ついこの間まで、今日食べるパンにも困っていたはずなのにと、魂が抜けたように呆けてしまった。
何やら裏があると感じたのは、正しかったようだとミュリエルは思った。アンネリーゼは、子供たちに服やら靴やらを、買い与えたかったようだ。心優しいギャビーや、素直なユーグ、警戒心のないティボーを、可愛がりたい気持ちは、ミュリエルにも理解できた。
アンネリーゼは、未来の嫁に服を買うついでだと言ったが、実際は、ギャビーとユーグとティボーが本命で、ミュリエルのほうが、ついでだったのだろうと、ミュリエルは思った。
更には、エルフリーデが姉妹になった記念にと、ミュリエルとイザベルに、3人お揃いのブローチを買ってプレゼントしたものだから、イザベルは家宝にする勢いで、泣いて喜んだ。
イザベルは、それなりに裕福な商家の生まれだったが、亡き夫の母が、娼婦だったため、家族から猛反対され、駆け落ち同然で家を飛び出した。
あのときは、まさか十数年後、マルセルで貴族と買い物をすることになろうとは、夢にも思わなかっただろうと、今の状況に、倒れそうなほどの目眩を覚えた。
女たちが、宝石店でジュエリーに夢中になり始めると、男には男の買い物があると言い、幼いユーグとティボーを連れ、男たちは葉巻店へ向かった。
大人の男たちに、男だけの世界を見せてやると言われ、ユーグとティボーは、まるで悪の仲間入りをした気分で、瞳を輝かせた。
子供たちに、おかしな事を教えないようにと、アンネリーゼは釘を刺した。
ミュリエルの家族は、父であるロベール・カルヴァンが、絶対的な存在だった。だけど、グライナー家は、アンネリーゼが影の支配者なのだろうと、ミュリエルは思った。
アンネリーゼにはヘリベルトもフィンも逆らえないし、顔色を伺い小さくなっている2人は、何とも可愛らしかった。
フランクールも、ザイドリッツも、レディファーストなのだから、レディが誰よりも優先される。子供が父よりも、母を敬うのは、当然なのかもしれない。ジゼルとモーリスにしたって、ジゼルの言葉が絶対だ。モーリスが逆らうことは決してない。
ようするに、ミュリエルの家がおかしかっただけなのだろう。
ミュリエルは、彼女が捕まり、投獄された後で面会に行った。そこで、真実を伝えた。彼女は子供が出来なかったが、不妊ではなかった。夫のロベールが、妊娠しないよう薬を盛っていたことを告げた。
この国の女性は、子供を産まなければ不出来とされる。そのことで、嫌な思いを、たくさんしてきたはずだ。
あなたは何も悪くなかったと言ったミュリエルに、ドゥニーズは小さな声で『ごめんなさい』と言った。
幼いミュリエルを、腹立ち紛れに殴り、蹴り飛ばしたドゥニーズに、少しの憐れみをミュリエルは感じた。結局彼女も、ロベール・カルヴァンの犠牲者だ。結婚相手を、もっと慎重に選んでいれば、子供を産めただろうし、幸せになれたかもしれないのだ。
葉巻店から戻ってきたフィンが、ミュリエルの浮かない顔を見て、話しかけた。
「大丈夫?何か気になることでもあった?」
「ドゥニーズのことを考えていました。嫌いでしたが、面会に行った時、少しだけ分かり合えたような気がするのです。彼女が不妊ではないのではと疑った時に話せていたら、彼女はカルヴァン侯と離婚して、連座を免れていたかもしれないと、考えてしまうのです」
自分の弱さが、ドゥニーズを死に追いやってしまったと、ミュリエルは顔を曇らせた。
「ミュリエルを虐待したドゥニーズが、処刑されれば俺はせいせいするだろうな。ミュリエルが気に病むことじゃないって言いたいけど、優しいミュリエルは、気に病んでしまうんだろうね」フィンはミュリエルの体を、腕の中に閉じ込めた。「こう考えたらどうかな?夫が犯した罪に気がつかず、侯爵夫人という立場に
確かに、聡いアンネリーゼなら気がついただろうし、家族を危険に晒した夫を、締め上げるどころか、髪の毛を一本一本抜き取り、手足をもぎ取って豚の餌にしてしまうかもしれないと、ミュリエルは感じた。
いつも的確な助言で、ミュリエルを助けてくれるフィンに、ミュリエルは感謝して、微笑んだ。
午後16時、ミュリエルたちが休憩していたフォントネー広場が、爆風とともに吹き飛んだ。
ミュリエルは咄嗟に、マジックワンドへ最大限の魔力を流した。そして、無詠唱で、風の精霊シルフを呼び覚まし、家族に降りかかる危機を回避した。
爆風に舞い上げられた砂煙が落ちついてくると、霞んでいた視界が、少しだけ開けた。
あたり一面、飛び散った窓ガラスと、レンガやコンクリート片が散乱し、悲鳴をあげ逃げ惑う人々や、通りで血を流し、うめき声をあげている人、炎に包まれ焼かれている人の体から、火を必死に消そうと苦心している人、地面に倒れ込み、ぴくりとも動かない人の隣で泣き叫ぶ子供、体がバラバラに砕け散った人たちが、ミュリエルの瞳に映し出された。
ミュリエルは僅かに眉を
「フィンさん、家族を連れてレ・ドニに戻ってください」
ミュリエルはどうするんだ?と出かかった声を、フィンは呑み込んだ。その答えは決まりきっている。薬師として誇りを持っているミュリエルが、この惨状を前にして、逃げ出すわけがない。負傷者の治療に専念するのだろう。そして、助けられなかった命を気の毒に思い、不甲斐ない自分を責めるのだ。
スルエタ流感がフランクールを襲ったときも、亡くなった命に、ミュリエルはいつまでも手を合わせ祈り続けた。申し訳ないと詫びながら、安らかに眠れるようにと。
そんなミュリエルの心を、憂慮する気持ちをフィンは抑えた。今フィンに求められているのは、ミュリエルを心配することじゃない、支えとなることだ。
「気をつけて、ミュリエルは俺の大事な花嫁なんだから、無事に帰ってきてくれよ」フィンはそう言い、ミュリエルの唇に唇を重ねた。
フィンはショックを受け、茫然としているティボーに、何も見ないよう目を瞑っていろと言い、抱えあげた。そして、ユーグの手を握って家族を馬車へ誘導した。
「モーリスさん、治療にあたりましょう」ミュリエルは、常に腰に差しているマジックワンドを手に取った。
モーリスが若かった頃、戦争でこのような状況の中、薬師として奮闘した。あの時は無我夢中で、危険な前戦へも兵士を助けるために向かって行ったが、冷静になって考えると、いつ銃弾が飛んできてもおかしくなかった。
戦争が終わり、しばらくしてから恐怖に震えた。意味もなく突然に襲ってくる恐怖が、モーリスを蝕んだ。あの時、ジゼルの支えがなければ、立ち直れなかったかもしれない。そう思うと、素晴らしい妻が自分を好いてくれている幸運に、いつも感謝する。
この凄惨な現場に、ミュリエルは耐えられるだろうかと、モーリスはミュリエルの顔を覗き込み、動揺はしているが、必ず助けるのだというように、しっかりとした意思を持った瞳を見た。
「よし、1番被害が酷い東から放射状に診ていくぞ。俺は左側、ミュリエルは右側を担当しろ。こんな状況だ、軽傷者は後回し、助からないと判断した患者は、心が痛んでも捨て置け、より多くの命を救うことだけ考えろ」
「——はい、分かりました」
モーリスとミュリエルは、手袋をはめた。これは二次感染を防ぐ目的で、ミュリエルが開発した、伸びのよい薄い手袋だ。様々な材料を調合し、魔法をかけることで、手の形にぴたりとおさまる手袋に仕上げている。とても使い勝手がよく、近々商品として売り出す予定だ。
以前は
なぜ爆発が起きたのか、原因が分からないのだから、再度爆発が起きても、おかしくはない、2人はそれを知りながら、この惨状へ果敢に向かって行った。
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