第4話 顔合わせ

 大人たちが、一様に緊張した面持ちになる一方で、幼いとは最強だと知らしめるように、目にしたこともない絢爛豪華な室内を、隅々まで見て回り、あれこれと覗いて、備えつけてある様々な物を、恐る恐る触り遊んでいたユーグとティボーも、お金持ちの子供が着るような、いい服を着させられ、蝶ネクタイを締められると、さすがに緊張してきたようで、2人揃って表情を硬くしている。


 イザベルとギャビーは、初めて着るイブニングドレスに手間取り、メイドに手伝ってもらうことになったので、ひどく恐縮した。


 イザベルはネイビーブルーのAライン。落ち着いたドレスに、シルバーの靴を合わせている。ギャビーはレモンイエローのプリンセスライン。愛らしいドレスに、オレンジの靴だ。


 子供たちは、成長するからという理由で、タキシードやドレスは、レンタルだ。


 ジゼルはモーブのスレンダーラインで、シンプルなドレスを仕立てた。靴は高いヒールを履き慣れないので、低めの、薄いラベンダーの靴にした。結婚式は、戦時中にバタバタと済ませてしまったため、きちんとしたウエディングドレスを着ることが出来なかった。ジゼルは、初めて着るドレスに、年甲斐もなく心が浮き立った。


 シャンタルはいつものように、どっしりと構えている。バーガンディのスレンダーラインにシルバーのローブを羽織っている。

 不思議と、この中で1番ドレスが似合っている。

 黙っていれば、どこかの国の女王だと、見間違えるほどの風格だ。


 ミュリエルは緊張しながらも、楽しそうにしている家族を見て、嬉しく思った。

 ミュリエルのドレスは、パールホワイトで、体のラインがくっきりと浮き出るようなマーメイドラインだ。ヒールが10㎝ほどありそうな、聳え立つゴールドの靴を、器用に履きこなしている。


 ドレス店に家族揃って仕立てに行った時、足の骨が折れてしまうのではないだろうかと、心配したくなるほどに高いヒールの靴を履き、まるで羽が生えたように、軽やかな足取りで歩いてみせたミュリエルに、これぞ侯爵令嬢が持つ一流のスキルだろうと、一同感嘆した。


 モーリスは、この世の終わりかというほどに、白い顔色をしていた。

「ジゼル、俺はどうだ?おかしくないか?」


「モー、落ち着いて、ちょっと挨拶をして、食事をご一緒するだけよ」家族の代表として、フィンの家族に挨拶をしなければならないモーリスに、哀れみの視線を向けたジゼルは、モーリスの腕を、子供をあやすように叩いた。


「そういうけど、ミュリエルの義理の両親になる方々なんだぞ」声がうわずっているモーリスは、もはや発狂寸前といった体たらくだった。


 熊がタキシードを着ているだけでも笑えるのに、大男が慌てふためいているその姿が可笑しくて、フィンは声を殺して笑った。

「モーリスさん、そんなに気負わなくても大丈夫ですよ。両親には事情を説明してますし、子供が参加することも伝えてますから、たとえ間違いがあったとしても、2人が目くじらを立てることは無いですよ」


「おい、フィン。ミュリエルと結婚したけりゃ、俺が良い父親に見えるよう、ちゃんとフォローするんだぞ」


 日頃、熊のような大男のモーリスに、背中を遠慮なくバシバシと叩かれているフィンは、ここぞとばかりに、モーリスの背中をバシバシと叩いて仕返しした。

「分かってますって、そろそろ行きますよ」


 モーリスは、手足をどう動かせば、真っ直ぐ進めるのかも分からなくなったようで、ギクシャクとした足取りで、ビーチの隅に設置されたオープンエアのレストランへ向かった。


 夜の19時、そろそろ水平線に向かって日が傾き始めた頃——この時期、フランクールの日の入りは21時頃だ——ミュリエルたちがレストランで待っていると、ヘリベルト・グライナーが、アンネリーゼと、若い2人の男女を連れて現れた。


「父上、母上、ようこそお越し下さいました。紹介します。婚約者ミュリエルのご両親と、ご家族の方々です」フィンが言った。


「初めまして、私はニーブール伯爵ヘリベルト・グライナーと申します。妻のアンネリーゼと、三男のウィンクラー男爵ジークフリート、そして次女のエルフリーデです」

 それぞれ名を呼ばれると、その場で軽く会釈した。


「お初にお目にかかります。ミュリエルの養父モーリスです。妻のジゼルと義母シャンタル、義子イザベルと、その子供たちです。長女のギャビー、長男のユーグと次男のティボーです。この度は、子供を参加させて頂き、感謝いたします」

 ぎこちなかったが、こちらも会釈を返した。


 何度も練習したセリフを、打ち合わせ通り、つかえることなく言えたモーリスは、人生最大の試練を終えたと言わんばかりに、胸を撫で下ろした。


「モーリスさん。お嬢さんの評判は、ザイドリッツまで届いていました。素晴らしいお嬢さんで、ご両親の鼻も高いでしょう」ヘリベルトが言った。


「はい、私たちには勿体無いほど、よくできた娘です」


「お二人が、ミュリエル嬢の養父母になられた経緯は、息子から聞いています。どうぞ硬くならず、気楽に親交を深められたらと思っています」アンネリーゼが、ジゼルに言った。テールグリーンのイブニングドレスが、とてもよく似合っている。


「お気遣いいただき、ありがとうございます」ジゼルが答えた。


「それでは食事にいたしましょう」アンネリーゼが促した。


 肉や野菜、そして、マルセルの新鮮な魚介が並べられ、シェフが食材を丁寧に焼き上げていく。

 食欲をそそる香ばしい匂いが、あたりに漂い、ユーグとティボーがソワソワとしだした。


「ユーグさん、ティボーさん、屋台と同じです。食べたい物を、お皿に入れてもらって下さい。お皿を持てますか?一緒にもらいに行きましょう」ミュリエルが緊張しているユーグとティボーを促した。


「母上とエルは座ってお待ち下さい、見繕ってきます」フィンが言った。


「何を言ってるの、流行のバーベキューというものを、楽しみにしていたのですから、私も取りに行きますよ」アンネリーゼはそう言い、皿を持った。


「フィルお兄様、私も自分で取りに行きますわ。次のお茶会で自慢するつもりなの。きっと、貴族令嬢の中で、バーベキューを体験したのは、私が最初だと思うわ。しかも、フランクール王室専用ヴィラに滞在してバーベキューをしただなんて、羨望の的になるわ」


 ローズピンクのAラインで華やかなドレスが、若い女性らしい瑞々しさに花を添えている。明るいブロンドの髪を、緩やかにウェーブさせ、ハーフアップにしているエルフリーデは、母親の優しい眼差しと、父親の整った顔を受け継いだようで、美しい少女だった。


 ミュリエルより1つ年下で、まだ婚約者がいないらしい、きっと引く手あまたに違いないとミュリエルは思った。

 彼女もフィンと同じで、明るい性格なのだろう。早速、イザベルやギャビーに話しかけている。


 フィンとミュリエルは視線を絡ませた。

 流行っているとは言え、自ら皿を持ち、食べ物を運ぶなんてことを、貴族女性は嫌がるのではないだろうかという不安が、杞憂で良かったと2人は安堵した。


 ジークフリートがフィンに話しかけた。「おい、フィル、フィンだって?偽名にしては、捻りが無さすぎじゃないか?」


「ジーク、家出したんだからフィリップって名乗るわけにはいかないだろう?商業ギルドで名前を聞かれたとき、咄嗟にケルト神話のフィン・マックールが出てきてしまったんだ——いいさ、笑いたいなら笑えよ。だけど、俺はフィンって名前も、結構気に入ってるんだ」


「ふーん、それはミュリエル嬢が、そう呼んでくれるからってだけじゃないか?単純な奴だな」ジークはフィンを嘲笑うように言った。


「ジークには分からないさ、まだ愛ってものを知らないんだからな」ムッとしたフィンが言い返した。


「ははは!お前の悪癖を知ったら、100年の愛も冷めそうだがな」


「なに!ジーク、そのことで折り入って頼みがある……」フィンはジークを物陰に連れて行き、コソコソと耳打ちした。


 ジークフリートは、ニヤリと悪戯な笑みを浮かべて頷いた。


 それを見て、何かしらの取引が成立したようだと、ミュリエルは解釈した。


 ジークフリートは、フィンと兄弟なだけあってよく似ている。ダークブロンドの髪に、スカイブルーの瞳までそっくりだ。髪の長さがフィンの方が少し長いだけで、遠目に見たら、区別がつかないかもしれないと、ミュリエルは思った。


 間にもう1人、男兄弟がいるらしいが、今はグライナーの名を捨て、音楽家になっている。彼はエルフリーデと似ているらしい。

 結婚式で会えるだろうかと、ミュリエルは考えた。


 食事会がお開きになり、フィンとミュリエルは、手を繋いで浜辺を歩いた。


 結果的にバーベキューは大成功だった。フィンの家族も、ミュリエルの家族も楽しめたし、交流ができた。軽快な音楽と笑い声に包まれた会場は、賑やかな時間が過ぎていった。


 グライナー夫妻には、幼い孫が4人いることもあって、ユーグとティボーを孫のように可愛がってくれ、エルフリーデは、ギャビーに貴族令嬢の嗜みや、心得を、面白おかしく語って聞かせてくれた。


 貴族が平民と食事を共にするなど、普通の貴族では、あり得ないことだったが、そもそも一緒に食事をと提案してきたのは、アンネリーゼだった。


 ミュリエルは、貴族が肌に合わないと言っていた、フィンの家族らしいと思った。

 そのフィンは、ジークフリートと何やら、コソコソと密約を交わしていたなと思いだし、ミュリエルが訊いた。


「ジークフリートお義兄様とは、何を話していたのですか?」


「え、何も話してないよ」フィンの目が泳いだ。


「お義父様が仰っていた女性関係のことですか?」ミュリエルは、フィンの目を覗き込み問いただした。


「ミュリエル、違うよ。そんな話はしてないよ」フィンは、ミュリエルの視線を、真正面から堂々と受け止めた。それが、かえって怪しかった。


「怪しいです。嘘をついている気がします」ミュリエルは悲しそうに眉を下げた。これはジゼルから教わった、男を従わせるテクニックの一つだ。ここぞという時に使うと、効果的だと言われたので、いつ使おうかと、ミュリエルは思案していた。


「違うんだ。その……」悲しそうにしているミュリエルにフィンは、何と言い訳すれば良いのか分からず、言葉に詰まってしまった。「ミュリエル、俺を追い詰めないでくれ」


「ほら、やはり女性関係ではないですか。お義母様かエルフリーデ様なら、教えて下さるでしょうか」ぷいっと顔を背けて、ミュリエルはヴィラへ向かって先に歩きだした。


「ミュリエル待って、ちゃんと説明するから」フィンはミュリエルを追いかけてヴィラに戻った。


 羽目を外す目的で開かれた、既婚者や未亡人が集まるパーティーに、若気の至りで参加したことを白状し、フィンはミュリエルから背を向けられてしまった。


 ようやく2人だけの夜が来て、マルセルの初日を楽しみにしていたフィンは、ミュリエルに触ることも許されず、大きなベッドの隅で寝ることを強いられ、寂しく眠りについた。

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