第20話 Poor×Stray×Vampire

 何十分かはそうして泣いていたと思う。不思議なことに声は枯れないし涙は止まらないしもしかしたらこのまま泣き続けるのかもしれないと思っていると、ふいに声が聞こえた。


「あ、女の子だ」


 素早く声のした方に首を回した。アタシがいる部屋を、ひょこりと顔だけ出して覗いている人がいた。黒髪を頭の下の方で一つに結んだ二十代前半くらいの顔の良い男の人だ。


「アタシが見えるんですかぁぁぁ!?」


 アタシは思わず男の人に飛びついた。男の人はうわぁ、と驚いた顔をして飛び退ったが、アタシは逃がさなかった。がっしりと男の人のパーカーの裾を掴んだ。絶対に離さない!


「あの、アタシが見えるんですか?」


 ビックリした顔で見下ろしている男の人に問いかける。すると男の人は何を言っているんだ、という顔をしてからパーカーの長めの袖で口元を隠した。


「君、吸血鬼でしょ? 人の匂いしないもん。吸血鬼の匂いもしないけど……無臭? ま、でもこの感じは吸血鬼だ」


「きゅ、きゅうけ??」


 吸血鬼!? そ、そんな馬鹿な!?


「いや、だってアタシ、死んで……鏡に映、映らないから……」


「ひょっとして吸血鬼になったばっかり? 吸血鬼は鏡に映らないよ。鏡だけじゃなくて水面にも映らないし、写真に撮ることも出来ないよ」


「ええ!?!?」


 そんな馬鹿な! 吸血鬼って人の血を吸う化け物ってだけじゃないのか? それから心臓がなくて、冷たくて、息をしなくて、血の濃い吸血鬼は太陽の下に出られない……。


 あぁ、血を吸うだけじゃないな。


 突然覚醒したアタシの頭が冷静に判断した。いや、ちょっと待てよ?


 アタシは自分の胸に手を当てた。トクン、トクン、と心臓が動いている。拍動を感じる。アタシの心臓は動いているぞ? 続いて息を止めてみた。何の匂いもしなくなって違和感があったが、不思議なことに苦しくならない。身体が酸素を求めようとしない。頭が混乱してきた。とりあえず匂いがしなくて変だから呼吸をすることにする。


「あの、吸血鬼って心臓がないんじゃ?」


 お兄さんを見上げてみるとお兄さんは小首を傾げた。


「心臓がないのは王サマだけだよ。何の混ざりもない吸血鬼だけの血でできた、純系吸血鬼だけ。そんなことも知らないの?」


 ちょっと待ってくれ整理させてくれ。えっと、つまり心臓がないのは王様とかなんとかいう血の濃い吸血鬼たちだけで、心臓の有り無しで吸血鬼かどうかの判断はできないと。アタシは元人間だから、吸血鬼の血を飲んで吸血鬼になった、王様とは別の存在ということか? たぶんそうだ。つまり、アタシは幽霊じゃなくて吸血鬼。


 最悪だ。吸血鬼になんかなりたくなかったのに。最ッ悪。あんなにも憎いと思った吸血鬼になってしまったなんて。腹の底から怒りと悲しみが同時に湧いてくる。


「ねぇ君。ご主人サマは誰? 契約したんでしょ?」


 アタシは首を傾げた。同じ方向にお兄さんも首を傾げてみせる。


「契約?」


 とは何だ?


「……まさか、契約途中とか? 目、見せて」


 お兄さんが屈んでアタシに目を合わせた。綺麗な金色の瞳だ。


 袖を巻き込んだ手がアタシの頬を包み込み、ごしごしと涙を拭う。


「君、もともとの目の色は?」


「黒に近い茶色ですけど……」


「変わってないね。ってことは契約途中なのか。オレ、野良見るの初めてだ」


 お兄さんは口元を袖で隠してにこりと笑って立ち上がった。野良? 野良というのはどういうことだ?


「野良って何ですか?」


「ご主人サマと本契約してない眷族のことだよ。君みたいな、一方的に血を飲まされて放置されたヤツのこと。可哀想だね。ご主人サマに捨てられちゃうなんて」


 口元は隠されていて分からないが、目はすごく面白そうににこにこと笑っている。何がそんなに面白いのかアタシには分からない。野良ってそんなに珍しいものなのだろうか。


「野良って珍しいんですか?」


「オレは初めて見たってだけだよ。ま、多くもないと思うけどね」


「どうして多くないんですか?」


 お兄さんの言い方に引っかかって質問すると、お兄さんは楽しそうに笑った。何だろう、吸血鬼ってこういう人の不幸を笑うみたいなところがあるよね。


「教えてあげても良いけど、君、それを聞いたら絶対オレに助けを求めると思うんだよね。オレ、ご主人サマに野良は相手にしないようにって言われたことあるからそれはちょっと困る」


「えぇ……」


 そんなことを言われてしまったら気になるではないか。


「そんなこと言わずに教えてください。お願いします」


 アタシは顔の前で手を合わせた。お兄さんはふむ、と少しだけ目を宙に泳がせてから笑った。


「良いよ」


「やった! ありがとうございます!」


「ただし。オレについてこられたらね」


「え?」


 アタシが困惑している隙にお兄さんは「じゃ、スタート!」と叫んで姿を消した。消したというか、走ってあっと言う間に視界からいなくなってしまったのである。


「うそでしょ!?」


 アタシは立ち上がって床を蹴った。建物から出て、左右を見渡す。すると遠くの方の屋根の上にお兄さんがいるのが見えた。ゴマ粒のような小ささである。


「速っ!」


 今はどうしてあんな遠くのお兄さんが見えるのかなんて気にならなくて、ただただあの小さなお兄さんを追いかけなければと思っていた。


「絶対ついてってやる!」


 アタシは地面を蹴った。絶対絶対追いついてやる! あんな風に言われたら気になるに決まっている。絶対に聞き出さなければならない。そうしないと何だか取り返しのつかないことになりそうで、アタシは必死に足を動かしてお兄さんを追いかけた。

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