第19話 Ghost×Or×Vampire?

 埃っぽい室内。変色した床板には埃が積もっていて、壁にはところどころ蜘蛛の巣ができている。机や椅子がざっくばらんに置かれているが、使われている形跡はない。漂う空気は良いとは言えず、日の光を浴びた塵や埃が白く空気中を漂っている。


 どうして、こんなところで倒れているんだろう。


 アタシは身体を起こした。


 頭がぼうっとしている。幸いにもどこかが痛いわけではなく、身体をちらと確認してみたが怪我もなかった。ただ、頭だけが本調子ではなかった。靄がかかっている。まぁ、本調子だったとしてもアタシの頭はそんなに優れているわけではないからなんとも言えない。


 ゆっくりと辺りを見回してみる。全然知らない、見たことのない場所だ。どうしてアタシはこんなところにいるんだろう。考えてみるが答えには行きつけそうになく、アタシはとにかく立ち上がることにした。ここでずっと座っていてもらちが明かないし、よく分からないがアタシはここで多少なりの時を過ごしたらしいから、家で家族が心配しているはずだ。


 手を床につくと床板が折れた。どうやら腐ってもろくなっていたらしい。アタシは木で手を傷つけないよう気をつけて立ち、部屋を出て室内をうろうろした。


 どうやらこの家は完全に廃墟になっているらしく、ところどころ朽ちていて人の影はない。使われなくなって数年が経っているんだろう。窓は割れ、ガラスが散乱している。椅子は足が折れており、机は真っ二つに割れている。ベッドのマットもスプリングが丸出しになって木枠も折れている。壁なんか大きな穴が開いていたりする。


 いや、おかしい。使われていなかったとしてもここまでぐちゃぐちゃになっているのはおかしい。まるで誰かが暴れたようではないか。


 足の下でパキ、と音がした。鏡の破片だった。


「あ……」


 アタシは思わず声を出してしまった。


 鏡を踏んだ足を退ける。埃の積もった床に人の足跡が残っている。それもたくさん。アタシは床を見回した。


 綺麗に足跡が残っているところもあれば、無数の足跡が重なっているところもある。足跡ではなく、何かを引きずったような線もあれば、人が横たわったような跡も残っていた。なんだろう、ここで誰かが暴れたのだろうか。不良の喧嘩、とか?


 思いながらアタシは踵を返そうとした。その視界の端に割れた姿見が入った。なんとなく気になって姿見を見る。姿見には部屋の壁が映っていた。


「え……!?」


 アタシは驚いて姿見に飛びついた。


 壁に備えつけられた、割れた全身鏡。割れているとはいえ、アタシの胸の高さまでは残っている。鏡には部屋の壁が映っている。……なんで!?


「なんで? え? アタシ、鏡に映ってない……!?」


 どうしてだ? なぜアタシは鏡に映ってない?


 アタシはパニックになっていた。だって、自分の姿が鏡に映っていないのだ。驚くに決まっている。これは夢か? 夢なのか? そう思って頬をつねってみた。


 痛い。


 鏡にアタシは映っていない。


 どういうことだ? 特殊な鏡なのか? アタシ以外は映るのか?


 先程踏んだ鏡の破片を拾い、自分の胸の前に持ってきた。


 映らない……。しかし壁や窓は映っている。それに床に散乱している他の鏡の破片は映っているようだった。


 どういうことだ? 訳が分からない! パニックになりながら髪を掻いていると鏡が手から滑って落ちた。その、鏡が、アタシの手から離れた瞬間に鏡に映った。


「え……?」


 姿見に映った鏡の破片はキラキラと光りながら床に落ちた。アタシは自分の目を疑った。いや、まさかそんな……アタシの手を離れた瞬間に映るなんてそんなことがあり得るのか?


 もう一度鏡の破片を拾ってみる。鏡の破片は姿見に映らない。


 鏡の破片から手を離す。姿見に鏡の破片が映る。


 破片を拾う。映らない。破片を置く。映る。拾う。映らない。置く。映る。


「はぁ!?」


 思わず叫んだ。訳が分からない! なぜアタシは鏡に映らない? なぜアタシが持ったものは鏡に映らなくなる? なぜ? どうして? 意味が分からない!!


「なにこれ、意味わかんない……アタシ、どうしちゃったの……? 化け物になっちゃった?」


 ぞ、と背に冷たいものが走ったのと同時に記憶が蘇ってきた。


「そう、だ……。アタシ、吸血鬼の血を飲んだんだ……」


 と、い、う、こ、と、は。アタシは吸血鬼になってしまったのか?


 最悪だ。絶望で頭が真っ白になりそうなったが、いや待てよとアタシの中の知的な部分が否定した。その声に耳を傾けているといろいろなことを思い出した。


「あの時、アタシ、最後にアイゼンバーグに死ねって言われたような……」


 そうだ。アタシは最後にアイゼンバーグに死ねと言われて、彼の血を、飲んだのだった。


 死という単語が頭に浮かんだとき、身体が震えた。嫌な感覚が蘇ってくる。身体が凍ったように動かなくなって、何も考えられなくなって、心臓が……。ぞく、と身体が大きく震えた。やめよう。あのときのことは考えないようにしよう。そう思ってアタシは頭を振った。


 でも、アイゼンバーグの言葉を信じるならばアタシはし、死んだということになる。ではこのアタシは何だ? 幽霊か? 幽霊なら、まぁ、鏡に映らなくても分からなくはない。ということは……。


「アタシ、死んだの……?」


 答えてくれる人はいない。そもそもアタシの声が誰かに聞こえるのかも分からない。アタシの姿が誰かに見えるのかも分からない。確かめたいけど、怖くて、確かめに行こうとは思えなかった。


 アタシは幽霊になったらしい。


 そして、孤独になった。


 もう、家には帰れない。そればかりか今までの幸せのようなそうでないようなふわふわとした日常を送ることが出来なくなってしまった。もう学校に行くことはない。宿題に悩まされることはない。友達とお菓子を食べたり、遊びに行ったりすることも出来ない。弟の我儘に付き合わされることもなければ、母親や父親と他愛ない会話することも出来ない。何もかも、出来なくなってしまった。


 吸血鬼に会っただけで。吸血鬼に会っただけでアタシの人生は終わった。


 涙が溢れるほど悲しかった。胸が痛くなるほど辛かった。


 アタシが何をしたと言うんだろう。悪いことと言えば、我儘を言ったことくらいだ。宿題もちょっとやっていなかったこともあるけど可愛いものだろう。他人は困らない。アタシだけが困る。未来のアタシだけが困るはずだったのに。そんなに悪いことなんてしていないのに、どうしてこんな目に合わなければならなかったんだろう。理不尽すぎる。それもこれも全部、吸血鬼の所為だ!


 吸血鬼が憎いと思った。アタシの人生をぶち壊した吸血鬼が憎い。


 今なら言える。あのほのぼのとした何の変化もない日常は、紛れもなく幸せだった。アタシは、幸せだったのに……! それで良かったのに!


「なん、で……こんな目に……ふぅぅ……うう……わーん!!!」


 アタシは思い切り声を出して泣いた。叫ぶと涙が余計に溢れた。胸が苦しくなって身体が震える。


「あー!! わー!! あああああ!!」


 拭っても拭っても涙が出てくるので諦めてそのままにした。


「あーん!! うえぇぇぇあぁぁぁぁー!」


 アタシはわんわん泣いた。


 あんまりだ。平々凡々幸せに暮らしていた凡人だったのに。どうしてこんなことになってしまったんだ。どうして、アタシだったんだ……!

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