第10話
【3月25日】
毎朝、ひとりで外の空気とタバコを吸うのが日課だったが、
最近は三月と桜を見ながら話すのがブームになっている。
ヨッちゃんがこのままスベりっぱなしだと思うなよ!
最近バラエティ番組も見てるんだからな。
そういえば、
俺は本気で思ってるんだぞ!?
【3月30日】
これから三月をどうするつもりなのか美桜に電話をしたら、
電話の向こうから男の声が聞こえた。
娘ながらとんでもない女だ。
中国に行ってくれている優輝くんに申し訳が立たん。
あんなに真っ直ぐな三月を、ねーちゃんの元に返すのは教育に悪い。
だからおめーに返さんと啖呵を切って電話を切ってやったわ。
明日はメンチ(カツ)でも切っちゃうか?
なんちゃって。
【4月2日】
三月の登校日だ!
ちょっとだけ通学する姿を見たくて隠れて見ていたら、
まんまとバレていて恥ずかしかった。
元気に自転車を漕いでいて、まぶしかったな。
◇
「これ、タバコ買ってこいって、バカなこと言ってた日だ……」
忙しい朝にからかわれた日。
悔しいが、ヨシローと過ごした日々はどれも、昨日のことのように思い出せる。
「あれって照れ隠し? じゃあこれを読んでいけば、おにーちゃんがなにを考えていたのかわかる?」
冷たく自分を捨てたヨシローの、本当の気持ちを知るのは怖い。
けれどこの日記は、他の誰でもなく、自分が読むべきだと三月は思う。
ぺら、ぺらり。
毎日一言ずつでも更新されていく日記に、夢中になって目を通していく。
【5月10日】
俺んち、若い子が喜ぶような娯楽ないからつまんねーだろうな。
三月は部活と勉強で毎日が忙しそうだけどよ。
今日はテレビで見たミートパスタを作ってみた。
そしたらあいつの目が一瞬光ったぜ。
俺でなきゃ見逃しちゃうね。
誰かに喜んでもらえるのはいいもんだなあ。
また作ってやるか!
【6月1日】
すっげえうれしいことがあった。
俺、ルービックキューブがプロいんだよ。
今日まで忘れてたんだけどな(笑)。
それを三月に見せたら食いついてさ、風呂の時間まで熱心に遊んだよ。
だけどあいつ、全然センスがねえわ。
まあいいよ。
たまには頼られるのも悪くないな。
◇
唐突にルービックキューブを渡してきた夜を思い出す。
「センスがないって、ひどいなぁ」
ぽつりとつぶやく三月だが、日記を読み進めていて違和感しかなかった。
ヨシローは三月を邪魔だと思っていたはずだ。
「巻き込むな」と、確かに電話で言っていた。
なのに、三月が喜べば「うれしい」などと書いてある。
「意味がわからないよ……、なにが本当のことなの?」
戸惑う彼女が答えを知るには、読み進めるしか手段はない。
【8月10日】
今日、三月は友達の家に泊まりに行っている。
暇だから久しぶりにパチ行ったけど、
なんかちげーってなって、料理の本買って帰った。
最近タバコを減らしたんだぜ、俺。
三月の健康にわりーからな。
でも今夜は一人だから、チートデイってやつだ。
【9月12日】
最近三月のノリが俺に似てきた気がする。
ちょっと複雑な気分、、
でも、あいつは笑ってる方がいいな。
【12月24日】
今日ほど俺の銀髪を恨んだことはねえ。
クリスマスイブだしカッコつけて赤いジャケット着たら、
「サンタクロースみたい!」って
爆笑した三月に100枚くらい写真を撮られた。
バカヤロー、俺の一張羅だっつの!!!
人生で一番笑い転げた1日だった。
一緒に撮った写真は明日、現像に出すらしい。
財布に入れるか、仕方ねえな。
【3月8日】
中学の卒業式に参加した。
ちょっと目が潤ん、、、すみません本当は割としっかりめに泣きました。
俺みたいな年寄りが行って、恥ずかしい思いをさせるんじゃねぇかと心配だったけど、
あいつ全然気にしてないんだよな。さすが俺の血。
、、まじで俺に似てきてない?
じっちゃんちょっと心配よ?
ともあれ三月、卒業おめでとう。
【3月15日】
病院行ったらなんやかんや病名言われたけど、
俺、認知症の症状も出てるんだってよ。
かんべんしてくれ〜。
◇
「えっ?」
思わず声が漏れる。
ヨシローが病院に通っていたなど、聞いたことがなかった。
「そんな、うそ」
そしてある日を境に、少しずつ悪筆が目立つようになっていく。
【6月27日】
実は、春に転んだ日からずっと手が痺れている。
とうとう細かい作業ができなくなった。
日記を書くのも一苦労だ。
でもあいつに飯だけは作ってやりたいんだよ。
悪くなるなら、手以外で頼むよぉ。
【7月3日】
晩飯のときに三月が妙な顔をしていたんだが、
皿を洗いながら「昨日も肉じゃがだった」って、笑ってた。
頭が真っ白になった。
俺、なんで忘れてたんだろう。
まずいな。日記に飯のことメモしておくか。
肉じゃがとおひたしと味噌汁
◇
料理が連日かぶることは、実は以前から度々あった。
あまり気にしないようにしていたが、あのとき気にしていれば、彼の病気を知ることができたかもしれない。
日記を進めれば進めるほど、ヨシローがいかに普通に振る舞っていたかがわかり、知らずに呑気に過ごしていた自分に対する嫌悪感がふくれ上がる。
ふと、ページをめくる手が止まった。
三月が家を出て行く日付がもう近い。
日記を見るのが怖い。
知るのが怖い。
それでも。
深呼吸してページをめくり、ついに電話の夜の日記まで辿り着く。
【7月29日】
美桜に電話。
おまえのわがままに三月を巻き込むなと叱った。
今ごろ何言ってるのだとさ。
そのとおりだな。
自分が元気なら言わなかったことだ。
俺、だいぶ弱ってるな。
ちくしょう、手がいてえ。
ハンバーグ、キャベツ、つけもの、味噌汁
◇
「巻き込むなって……。おにーちゃんをじゃなくて、あたしのことだったの?」
ついに三月の顔は真っ青になっていた。
勘違いをしてしまったあの夜から、ヨシローの一挙一動すべてに疑惑を持ってしまった。
しかし読んできた日記の中で、ヨシローが三月を嫌っていた事実はなかった。
ひたむきに孫を愛していた。
彼女の幸せだけを願っていた。
そのことだけが日々、不器用に、照れ臭そうに、嬉しそうに書き連ねられていた。
三月がひとりで、嫌われると思い込んでいただけで。
「でっ、でも、あの日は確かにあたしに帰れって!!」
自分へ言い訳をするようにつぶやいて、忘れられないあの日の日記を開く。
【8月1日】
ルービックキューブができなかった。
ゆびがおぼえてるなんて、うそだ。
三月にはしられたくない。
これいじょういっしょにいると
せわをかけてしまう。
ゆうきくんにれんらくした。
ああ、くやしいなあ。
三月にもつよくいってしまった。
せかいいちかわいいまごをなかせちまった。
ミートパスタ
【8月2日】
あさ、三月がでていった。
答えてやれなかったけど、おまえとの生活はもちろん楽しかった。
いえがしずかだ。
なっとう、つけもの、かぼちゃ
【8月17日】
最後の日紀にしよう。
宝物のような1年4か月をありがとう。
三月、
不出来なじいちゃんでごめんな。
会えなくてもおれは、おまえの幸せをねがっている。
おまえを思っている。
おまえの笑がおが大好きだ。
がんばれよ、三月。
最愛の孫へ。
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