第9話

 彼の死因は肺炎だった。

 長年のヘビースモーカーがたたり、肺はあまり強くなかったらしい。

 死後3日。

 夏でなくてよかったとは、発見した町の役員の言葉である。


「確かあの人、70代前半でしたっけ」

「今の時代、若すぎるわねぇ。御愁傷様でした……」


 近所の人の声に、三月の胸がぎしりときしんだ。


 境遇を知った上でもてあそばれたことは恨んでいる。

 けれど、死ぬほどだったか。

 少なくても自分がそばにいたら、ヨシローは死なずに済んだはずだ。


 感情が追いつかない。

 三月は茫然と、馬鹿みたいな笑顔の遺影を見つめ続けた。


「ちょっとおまえ、いつまでぼーっとしてんの。暇ならあっち手伝いな」


 強い香水に濃い化粧。喪服でも派手な女が、久しぶりに会う娘を邪魔臭そうに見下ろした。


「でも、おにーちゃんがひとりに……」

「は? あんたって、パパのことまだそう呼んでるの?」

「ずっとこう呼んでたから」

「あんたが小さかったときはそういう舌っ足らずが可愛かったけど、もうガキじゃないんだからね、キッモ」


 シッシッというジェスチャーで、三月は祭壇の前から追いやられた。


 居間をのぞくとお悔やみに来ていた近所の人たちの姿はすでになく、親族だけが残っていた。

 ちゃぶ台では三月の父が通話をし、その周りを這いつくばるようにして叔父が家探しをしている。台所では叔父の嫁が赤子を背負い、せっせと片付けをしていた。


「おい、遺産を独り占めしようとするなよ姉貴!」

「パパの通帳が見つからないのに、するわけないでしょう!」


 祭壇の部屋で母親が怒鳴っている。

 居心地が悪い。

 三月は居間のガラス戸を閉めかけた。


「そうだ三月ちゃあん、父さんに遺言状の場所とか聞いてない?」


 猫撫ねこなで声で話しかけてきたのは叔父だった。

 小さな頃に会ったきりで顔は覚えていなかったが、鼻にヨシローの面影がある。確か、隣の県で高校教師をしていたはずだ。


「どうしてあたしが」

「きみが最後に父さんと住んでいたんだろう?」


 顔は笑っているが、視線が釘刺していた。

 三月は黙って首を振った。

 ほしい情報は得られないと悟ったのか、次は電話を終えたばかりの三月の父へと標的が変わる。


「義兄さんは父さんの会社を継ぎましたよね。確か父は相談役として在籍していたから役員報酬があったでしょう。遺産は絶対に残っているはずなんです!」


 騒がしい親戚を無視して、三月は縁側からサンダルを履いて外へ出た。

 ヨシローがよく座っていた石に腰掛けて、桜の木を見上げる。

 3月の五分咲き。

 ヨシローが死んでも、世界は関係ないとばかりに変わらない。

 身近な人たちですらお金のことばかりで、誰も故人をしのばない。

 むしろ生前から疎まれていたヨシローの生きた意味とは、なんだったのか。


 風が吹いて、桜の花びらが舞い落ちた。

 花を目で追っていると、ふと縁側の下で視線が止まる。

 ちょうど石に座って手が届くところに、汚い桐の箱が置いてあった。


「あっ」


 中をのぞいて、三月は顔をこわばらせた。


 思わず蓋を閉めて箱ごと抱えると、いまだカオスな居間を素通りして自分の部屋だった2階に駆け込む。


 すっかり埃っぽくなってしまったベッドに腰掛け、再び桐の箱をそっと開けた。

 そこには母たちが血眼になって探していた「遺言状」と書かれた封筒と、通帳が入っていた。

 その奥にはヨシローがよく読んでいた料理の雑誌、そしてルービックキューブ。

 黒歴史に三月は一瞬、顔を歪ませる。

 さらに底に、見慣れない黒い表紙のノートとペンが見つかった。


「なにこれ?」


 三月はノートの最初のページをめくって驚いた。



【3月21日】

三月が来て1週間。

孫とこんなに長くいるとは思わず戸惑っている。

今時の子と何を話せばいいんだよ〜、俺はしがないじーちゃんだぞ〜!

(なぜか「おにーちゃん」と呼ばれてからかわれている)

ということで、せっかくだから日記をつけることにした。

あいつの好きなものやすべらない話をメモして、研究していこうかな。



 ◇



「これ……」


 ヨシローの日記だ。

 三月は急いでページをめくった。



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