第303話 ローグ教官見習いのカナさんは暇らしい
「留美、お金貸してくれないか?」
ギルドから出た途端に、いきなりクロノさんに言われた言葉だった。
なんの感情も湧かない。意味がわからない。理解できない。私は普通に断ることにした。
「え? 嫌ですけど」
「頼むっ!」
頼むって言われてもなぁ。
人の行き交いもあるから、少し端に寄っていく。
「急に言われて貸すわけないじゃないですか。お願いされても困ります。クロノさんにあげるほど、私はお金持ちじゃないんですよ」
「いや、貸してほしいだけだ。絶対返す。……俺たち友達だろ? な?」
パチンと手を合わせて、クロノさんが頭を下げてきた。昨日の今日でマジどうしたよ。
友達やろ? はクズの常套句に似てるから、なんか嫌や。
「絶対返すから!」
でも友達に頼まれてるのに、無下に断るのもなぁ。
「金額はいくらで、理由も話してください」
顔を上げたクロノさんは少し気まずそうにする。何か話せへん理由でもあるんやろうか。
何も言わない彼が答えるのをジッと待つ。
「……理由も話さなきゃダメか?」
「そうですね。貸すかどうかを判断する材料になります」
クロノさんがガシガシと乱暴に頭を掻き見出すと話し始めた。
「少し前の話なんだが、酒場で酔わされて、高い酒をおごらされたんだ。五日後までに借金返さないとヤバい。金額は金貨十七枚。頼む。金貨三枚、いや一枚でもでいいから貸してくれないか」
お酒たっか。
ここにもお酒に飲まれてしまった被害者が……。この世界のお酒マジであかんわ。留美二度と飲まへん。
金貨十七枚か。十七枚……。
「クロノさん、金貨十七枚……貸せなくもないですけど。いつくらいなら返せそうですか?」
「……に、二週間あればなんとか。本当に金貨十七枚持ってるのか?」
二週間で金貨十七枚集められんの? めっちゃすごいやん。じゃぁ足りへんのは時間って感じか。クロノさんたちってやっぱ凄いんやな。
ちゃんと帰ってくるならと、私はポーチからお金を取り出す。クロノさんが目を見開いた。
「マジか……」
クロノさんがお金に目がくらんでる人みたいな顔して、手を伸ばしてきた。その様子に眉を顰めて、ひょいと遠ざける。
留美だってお金は大切なんや。
「お金はあります。私に返す気はありますか」
「ああ、もちろんだ」
クロノさんが本物かどうかを確認するように金貨を取って眺める。すると、十七枚を受け取って私を見た。
「ちゃんと二週間後に返す」
「はい、二週間後ですね。おーけーです。信用しているので口約束だけでいいですよ。…………あ、もし返さなかったら。私、怒ります」
「お、おう。…………ちゃんと返すって。間に合わなかったら利子付きで返してやるよ。じゃぁな」
急いでいるのか、クロノさんは足早に去って行った。私はその背中に手を振る。
お高いお酒って、なんなんやろうな。
ビンテージもののお酒とかも、希少性で値段上がるって聞くし。そもそも昔のお酒って、美味しいんやろうか。留美の価値観とは遠いところにある事象やってことは確かやな。
留美は宝石欲しいって思っても、石ころで満足できる人やから。
…………うーん、やっぱり誓約書、書いといた方がよかったかな……? いや。大丈夫やろ。最悪あげたと思えばいい。お金の貸し借りは返ってこおへんと思って、あげる気でやりってママにも言われてるし。
そもそも二週間後って絶対忘れてる……。
気を取り直して、ローグのスキル教官の元へ向かうことにした。
「こんにちは」
入口すぐの受付で立ち上がったのはローグ教官見習いのカナさんだ。黒く艶やかなポニーテールの髪と、明るいオレンジ色の瞳が綺麗。
メイド服のロングスカートがふわりと動き、優美な動きに一瞬見惚れてしまった。
「カナさんこんにちは。ジアさんいますか?」
「留美様が最近来てくれないせいで、ジア様は拗ねて山にこもっていらっしゃいます」
カナさんが初っ端から真面目な顔して冗談を言い放って来る。
こう言う時、なんて返したらいいんやろう。そんなわけないやろがいっ、は馴れ馴れしすぎるし。真に受けるのも癪や。え? 信じたん? アホ? みたいなことを言われるのが、目に見えてる。
私は何も言わずジト目で見つめた。カナさんも何も言わず見てくる。
「……冗談です」
「ですよね」
「ジア様は山に芝刈りを――」
「本当のこと言ってくださいよ、冗談はもういいです。ジアさんはいないって事ですか?」
これに付き合ってると、絶対に時間がかかる。カナさんってば真面目な見た目しときながら、結構お茶目さんなんやからっ。
……そう言うところも好きやけどな。
言葉を遮られたカナさんがため息をつく。
「全く、面白みのない人間になりましたね」
「いや、もともとそんなに面白い人間じゃないって言うか……」
「山に行ったのは本当ですよ」
「あれ、本当なんですか」
なんで山? ほんまに芝刈りに行ったん? ……なわけないか。また偵察とかそんなんかな? 大変そう。
でも教官が動くって相当な事態じゃなかったっけ?
私は不思議そうに首を傾げる。すると、カナさんが微笑んだ。
「私、嘘はつきませんよ」
「どの口が言うんですか」
「この口です。口は一つしかありませんよ? 大丈夫ですか?」
なんてムカつく返しや……。
表情が真面目やからよりイヤや。人を揶揄っで遊ばんといてよ! バンッと机を叩きたい気分に駆られるも、深呼吸をして抑える。
「遊ぶならジアさんで遊んでくださいよ」
疲れ気味に嘆くも、カナさんは困ったような顔をして言う。
「今いらっしゃらないので」
確かに。
「ジアさんって結構多忙なんですね」
「いいえ。留美様がタイミング悪いだけです。普段は怠惰の限りを尽くしていますよ」
「怠惰の限りって……、よくあの体型を維持できますね」
「私としても謎です」
燃費悪いんかな? いっぱい美味しいもん食べれんのは羨ましいけど。食費を考えると、羨ましさ半減するっていう。
逆に留美は食が細くて、もっといっぱい食べたいのにって時も食べれんからな。
さて、ご飯事情はこの辺でいいとして。時間あるから体術の訓練でもしていこうかな。
「じゃぁ、シーファさんいますか?」
「あの乳デカ女ですか」
「口調が乱れてますけど。また喧嘩ですか?」
「ええまぁ、シーファ様が非常にムカつくことを仰られましたので、喧嘩をしてますね。ええ、してますとも喧嘩」
教官同士なんやから仲良くしてよ。とばっちり食うのこっちやねんけど。そんなことを思うも、言えるはずはなく。ただ困った顔をする。
「うわぁ、それで行くと今のシーファさんも機嫌悪そう……」
「では、私が教えましょうか?」
「カナさんもすこぶる機嫌悪いじゃないですか」
「ええ、とても。ですのでストレス発散のためにも、手合わせをお願いいたします」
ストレス発散のため言うたで!? 何この拒否権なさそうな笑顔。今日はやっぱり別の教官のところに行こうかな。
「あぁ、お断りします。また来ますね」
そそくさと出て行こうとするが、カナさんに止められる。
「逃がしませんよ」
私は出口を見て『シャドウステップ』を発動する。
しかし、さすがローグの教官見習いといったところか。『シャドウステップ』がめっちゃ早い。
カナさんに捕まれた私は、彼女の腕力に敵わず引きずられる。
「いーやーでーすー!」
カナさん留美のことボコる気やんっ。でもナイフを抜いても勝てる気がせえへん。
今逃げるだけなら全力でやれば……、もしかしたら可能性あるかもやけど。次来るときに絶対気まずくなるやん。それ、ボコられることより嫌や。
引きずられたまま、カナさんが部屋の奥の扉を空けて。草の生えた地面と、向こう側には木々が立ち並ぶ場所に踏み入れる。
ローグの訓練場だ。そこで手を離されてビタンと転がる。
……草原でやりあうべきか、木々のある方へ行くべきか。少しでも有利な地形で戦いたいところ……。
私が服を叩きながら立ち上がると、目の前のカナさんはウキウキでやる気十分に見える。
「さぁ、やりますよ」
「事務仕事とか、誰か来た時の相手とかしなくていいんですか?」
「もともとローグは人気ないのであまり人いませんし、仕事も本当のことを言うと、全然ないんですよね。……つまり暇なんです」
「暇つぶしと、ストレス発散のために私をボコボコにしたいって事ですか?」
「はい。その通りです」
肯定しちゃってるよこの人。ローグの人気のなさがこんな形で仇となるとは。でも訓練やし、留美の成長のため……と思えば納得できなくもない……かも。
教官見習いって絶対強いやん。そんな人とやれるって、…………はぁヤバっ。テンション上がってきたやんけ!
「思い切りトバッチリというか、暇つぶしに人ボコるって、どこの不良ですか」
「まぁまぁ、教官に近い相手と手合わせ出来る事は中々ありませんよ」
せやなぁ。腹くくるか。
殴られるとは思うけど、一撃入れることを目標にしとこ。こう言うのは本気でやらな、おもろないしな。
私は準備運動をしながら、身体をほぐしだす。
「武器はどうします?」
「おや、やる気になられたようで」
カナさんの揶揄う口が閉じた。ピンと張り詰め始めた空気感を感じ取ったのだろう。
「…………武器は、そうですね。なしでいきましょう。つい殺しちゃうのは申し訳ありませんから」
怖いこと言わんといてや。
そういえば、実験形式でのローグのとの正面からの手合わせって、初めてかもしれん。
胸借りるつもりで……、いや、勝つつもりでやらんとな。
ピンと張り詰めた程よい緊張の中、私はカナさんの構えを観察する。
「どこからでもどうぞ」
彼女の声に合わせたように、風が木々をサーっと揺らしていく。
初手を譲ってくれてるのか、受け身の方が得意なのか。カナさんはどんな戦闘スタイルなんですか。知りたい。殴りたい。勝ちたい。
「……いきます」
風が止んだ途端、『シャドウステップ』でカナさんの正面に跳ぶ。
私なりに力一杯殴ろうとするも、カナさんは一歩下がって、私のパンチを流した。そして、思い切り殴ろうとしすぎた私の腹にカナさんの拳が入る。
「ぐハッ……いぃっ!?」
『シャドウワープ』で後ろに跳ぶと、私は彼女の拳の重さに膝をついた。まるで鉄の棒で殴られたみたい。
「けほっ、痛っ、何これ、めっちゃ痛いっ!」
「これは予想外です。思ったより弱いですね」
……ムカつく。カナさんの残念そうな表情を見て、苛立ちが戦意へと変換される。そして、よくわからないけど、身体から痛みまでもが消えていく。
それは傷が治ったわけではなく、痛みを感じにくくなっているだけであった。脳ってヤベェ。
今のは力みすぎた。うん、変に力が入りすぎてた。真っ正面から行ったのも、ちょっと考えなしすぎた。
反省点は次に生かす。
「お願いですから、少し殴った程度で死なないでくださいね」
カナさんはさっさとかかってこいと手招きしてくる。
その余裕そうな様子を見ると、自分の力のなさに改めて悔しくなってきた。だけど、まだまだ強くなれることが、楽しくてたまらない。
全力でぶつかって、勝つ気でやる。
私は余裕の表情をしているカナさんに、一歩踏み出した。
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