第302話 触れてはいけない話
私は名前も顔も朧げな男を椅子に座らせ、落ち着くのを待つ。
特に何も言っていないのに、何回も謝られてて、どうしたらいいのかわからない。
ここは天使のように優しくだな……。
空になったコップに水を入れて、にっこりと笑う。
「落ち着きましたか?」
「すまない。もう大丈夫だ」
「それは良かった」
なんでそんなチラチラみてくるんや。留美のスマイル優しそうやろ? 雰囲気もほんわかしてるやろ?
男はポーチを探って、紙を取り出した。
「これが礼のモノだ」
ちょっと、その意味深な言い方やめてくれる?
例のものだ。に聞こえるじゃん。なんか悪いことしてるみたいじゃん!
「はい。お礼の物ですね」
「見るのは家に帰ってからにしてくれよ」
「はい」
え、なんで?
紙をポーチにしまうと、
……くっ、無意味なプライドのせいで理由聞けへんかった。クソバカアホ。
…………まぁいいか。
私もスキルを覚えに行きたいから、切り替えて立ち上がる。
「今日はすまなかった。俺から時間を設定したのに、三十分も遅刻してしまって、本当に申し訳ない」
「いえ、私も今来たところ。です」
本当のことをニッコリと笑いながら言うと、エダンは勝手に勘違いをして頭を下げる。
「すまない」
私も彼の勘違いを修正しようとは思わなかった。そっちの方が都合がいいし、向こうが勝手に勘違いしてるだけやしな。
「(お互い)事情があったんでしょう? なら仕方ないですよ」
「そう言ってもらえると助かる。では、俺は失礼する」
「さよなら〜」
「ああ、また会おう」
あまり会いたくはないかな……。特にあの魔術師。
私は自分で注いだコップの水を飲み干す。
ゆっくりと立ち上がると、クリスティーナさんから強い視線が送られてきた。
……あの目力は、ほんまにすごい。
一瞬見なかったふりをしようかと思ったけど、出口に向かうためにはクリスティーナさんの前を通る必要がある。絶対声かけられる。留美はそれを無視できる胆力を持ち合わせてはいない。
なんやろう? 怒ってはないみたいやけど……。なんか呼び出されるようなことしたやろうか?
クリスティーナさんに呼ばれる前に、素直に近づいていく。
「留美ちゃん、今いいかしら?」
「大丈夫ですよ」
「こっちに来てくれる?」
「……はい」
促されたのはギルドの奥。人が入っていくのは見たことがない。
なんやろうここ。
踏み入れた場所には窓はなく、どこか人外達の空間に似た雰囲気を感じる。
椅子と机がポツンと置いてあるのがちょっと不気味だった。完全に取調室なんやけど。
「座って頂戴」
にこやかに促され、私は素直に座ることにする。
ゾワゾワっと悪寒がした。
え、なに。怒られる? 何かしたっけ。怖い。なに。怒られるようなこと、何をした?
目の前に座ったクリスティーナさんが緊張を和らげるように、軽い調子で話し出す。
「留美ちゃん、前にゴブリンリーダー倒したじゃない?」
……え。あぁ、……そんなこともあったなぁ。
「はい」
「その報酬が用意できたわ」
…………はぁ。構えた留美がバカみたい。
でも確かに時間もらえる? みたいなこと言われてたわ。完全に頭から飛んでた。
だって毎日が濃いねんもん。死にかけてるし、キラキラしてるし、ドロドロしてるし。……でもなんか、全部生きてるって感じ。
「びっくりしたじゃないですか。怒られるのかと思いました」
「やーねー。奥に連れて行って怒ったりしないわよ」
「あ……。その場で即
「どちらかと言えばそうね」
一応警告らしきことも言ってくれるし、クリスティーナさんは優しい方よな。鉄拳食らったら痛そうやけど、死にはせんし。……ここ大事。
さ、報酬ちゃっちゃと受け取っちゃおう。
「いくらですか?」
「大金貨五枚〜百枚。希望額はおいくらかしら?」
ゴクリと固唾を飲む。
あまりの大金を言われて、よくわからなかった。金銭感覚がバグってきてる今の留美でも、大金だってわかる。そして、謎なのが。
「その金額の幅はなんですか?」
つっこまれたくなかったのか、クリスティーナさんが眉を顰める。
「……そうね。あえていうなら『時間』かしら」
「時間? 寿命ってことですか?」
「当たらずとも遠からずね」
寿命に近い何か? 留美の時間?
…………ローグの勘が、時間を取るべきやって言ってる。でも何かわからんものに飛びつきたくない。
もし寿命が増えるとしても、家族が寿命で死んだ後も、ひとりで生きるとか嫌や。一緒に死にたい。……いや、寿命が増えるだけなら、不死ちゃうから死ねるのは死ねるのか。
そもそも、寿命が増えるとは言ってないな。時間。時間が増えるって何?
考え込んでいると、クリスティーナさんが苦笑しながら腕を組んだ。
「普通は大金貨百枚に飛びつくのに、留美ちゃん変わってるわねぇ。金額が多すぎてなんか怖いって感じなのかしら?」
「……そうですね。怖いです」
「いくらでも考えてくれていいわよ。時間はたっぷりあるもの」
いつも通りのクリスティーナさんからは、何も読み取れない。
考えるったって。…………うーん。
お金は安心の元。
お金さえあれば、心の余裕も、時間の余裕も、人を動かす時だって、何にでも使える。
安全に暮らすにも、北に行く時にもお金は必要やろう。
やのに。それやのに。
お金よりも時間をとれって言ってる。留美はそんなに生きたいの? 違うやろ。留美は家族がいるから生きなあかんだけで。
そのはずやのに、家族のためならお金やろ。お金のはずや。…………うーん。
「クリスティーナさん、時間って、私の仲間にも分けれますか?」
「ダメよ。これは留美ちゃんに対しての報酬だから分けられないわ。……ごめんなさいね。決まりなのよ」
「……お金も?」
「お金はお金だし、分けてもらって問題ないわ」
分けれない時間か、分けれるお金か。
お金。お金。お金。……待って、でもお金ってポーション売れば稼げるよな。人より働かんくても、稼げてるよな。
稼げるとわかってるなら、お金に拘る必要はない。
留美は、そんなに生にしがみ付きたいんか? お金やろ。………。でも、この感じは無視できない感覚。
クリスティーナさんはぐるぐると考え込む留美を見て笑みを深める。
悩む姿を見て楽しんでいるのではないと思う。どちらかというと、微笑ましい。そういう方が近いかも。
私は堂々巡りを始めた思考を破り、結論を出した。
こう言う時は直感大事にしていこう。
「決まった?」
「全て、その、時間? で払ってもらうことは可能ですか?」
「可能よ。でもいいの? お金じゃなくて」
「……はい。家族には悪いですけど、時間の方が大切な気がして。どうしても気になってしまって。……私は悪い子、ですか?」
「言ったでしょ、これは留美ちゃんが得た報酬よ」
私はもじもじと手を弄びながら。次に言われる言葉に期待して、怖がって。人に問いかけることじゃなかったって後悔してる。
それでも、悪い子じゃないよって言ってほしくて。胸の内で期待をしてしまう。
「留美ちゃんが得た報酬をどうしようが、本人の勝手だと私は思うわ。……それとも、留美ちゃんの家族は、お金に困ってるのかしら? お金と時間なら絶対お金にしろって言われてるのかしら? 子供の報酬を取り上げるような、酷い家族なのかしら?」
「違います。私の家族は優しくて、私のことを尊重してくれて、したいようにやらせてくれて……」
「答えは出てるじゃない」
わかってるけど、それでも不安なんです。
意味のない不安だって、わかっているのに。不安で。怖くて。不安で。どうしたらいいか分からなくなる。私がダメな人間だから。
ぎゅっと口を結ぶ。
「時間でいいのね?」
私はツルツルの机を撫でて、少し気を紛らわせる。
「……はい」
留美のものは留美が使う。それは悪いことじゃない。…………家族離れしなきゃな。
「わかったわ。手を合わせてくれる?」
クリスティーナさん手はゴツゴツとしていて、戦える人の手だった。手のタコがいくつもある。拳だけでなく、剣も握るのかもしれない。
その大きな手に、ペタリと子供のような小さな手を合わせる。
その瞬間、クリスティーナさんの目が光った気がした。同時に、私の身体に何かが流れ込んでくる感覚がする。
手を離そうとすると強く手を掴まれ、離れることはできない。
「全額時間に変換。魂の存在を確認。時間を延長します。魔力補充。存在を確立。変換完了」
クリスティーナさんの声ではない、どこか機械音のする声だった。
底なし沼にハマってしまったような。恐怖が足元から這い上がってくるように、身体が冷たくなっていく。
私の震える手をがっちり掴んでいたクリスティーナさんの手が緩んだ。
…………戻った?
「あら、あなた星? ……ごめんなさいね。怖がらせちゃったわよね」
「い、いえ。今のは……? あと、星って?」
「秘密。いい? 誰にも言ってはいけないわ」
「……はい」
触れては行けないことは確実にある。
魂? 時間? 魔力? 存在確立ってなんや。星ってなんや。
「もし留美ちゃんが誰かに言ったら。その時は貴方も。聞いた人も。どうなるか分からないからね」
「…………わかりました」
絶対誰にも言わない。重々しく頷いた私に微笑みかけ、クリスティーナさんが立ち上がった。
私も体温が戻らないまま、ふらっと勝手に部屋を出る。
後ろから慌てて身体を支えてくれるクリスティーナさんがいつもより、親切な気がする。
「家まで送ろうか?」
「いえ、これからジアさんのところに、行くので。大丈夫です」
留美って、恐怖耐性ほんまに低いよな……。
爪で脚を引っ掻いては、しっかりと自分の足で地面を踏みしめる。
「気をつけるのよ」
「はい」
引きつった笑みになってしまった。
心配そうにしている彼はいつも通りなのに、なんだか申し訳ない。底冷えした体温はきっと、太陽が温め直してくれるはずだ。
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