第61話 べーだ! 食らえ毒薬!



 もうちょっとこっち来てーや。

 もう一歩で、留美でも届く距離やねん。って、止まんのかい! 完全に距離を見切られている。……いま進化すれば……いま距離をもうちょっとだけ伸ばせれば……。


「留美は図太そうだし大丈夫でしょ」


「……私、図太くはないと思います」


「そうか?」



 キラさんがあと一歩近づいてこなかったので、こっちから一歩踏み出した。

 そしてそのままキラさんに手を伸ばす。


「そうですっ!」

「ハハッ、残念」


 キラさんは予想していたかのように、いや、予想していたのだろう。私の手をスルリと回避する。


 もー。キラさん速い! でも。あはははっ、こんなに楽しいのは久しぶりだ。

 ……あれ? 楽しい? 遊びやもんな。楽しいのは久しぶり。勝ちたい。勝ちたい。この人を捕まえて、留美はもっともっと。


 キラリと輝いていた目と笑顔が、唐突に曇った。



 違う。


 はぁ。もっと冷静に行こうや。頭に血が上った方が負けや。全ての値で負けてるっぽいのに、策なしに突っ込んでどうする。

 頭は冷静に。勝つためにはまず分析。


 こっちはナイフ取られとんねん。あれマジで取られたらやばい。楽しく遊んでる場合ちゃう。捕まえなくてはならない。そうするべきなのだ。


「はぁーーー」


 相手を観察するように、冷静で冷たい目を向ける。


「…………」


 キラさんは突然冷静になった私を見て、笑ったまま目を細めた。

 そして私は『シャドウステップ』を使いながら、キラさんを追いかける。やることは何も変わっていないが、少しずつ動きが変わっていく。


 彼は私を揶揄いながら、躱し続け、余裕の態度をまったく崩さない。


「こっちだよー」


「ほらほら!」


「遅い遅い!」



 うっざいっ!


 右。後ろ。右。左。詰め過ぎると戻られる。今はこの角以上は行かない。正面からずっと避けてくれるなら、それだけ見れる。動きの癖なにかない?

 呼吸が。……お腹痛い。頭が熱い。



「もうお終いか?」

「く……」


 クソ野郎。

 一度止まって、汗を拭う。


 傍観していた人たちは欠伸をしたくなるようなのんびりとして、二人を眺めていた。留美が掠る気配もないことで、カムロさんが呆れたように口を開く。


「キラさん、ちょっとは手加減してやれよ」


 その言葉を聞いた私は、またもや頭に血が上ってしまう。


「手加減? そんなん許さんぞ」


 頑張っても頑張っても、届かない相手がいることは知っている。でも、近づくことはできる。

 ついでに言うと、私は負けず嫌いだ。

 そんな勝てなかった相手に勝った時こそ、最高に嬉しい。それが手加減された結果ともわかれば、やる気消失は免れない。どう考えても、侮辱以外の何者でもないだろう。



「そんなん捕まえても、うれしくない」


 元の口調に思ってる事すら気づかずに、キラさんの動きを追いかけながら目でも追う。


 動く方向はわかるのに、体が動かへん。……もどかしいっ。

 何か弱点は。癖は。留美でも意表をつけること……。余裕かましてるこいつに一泡吹かせたんねん。



「西上嬢言うなぁー」


 カムロさんの呟きは耳に入った側から抜けていく。

 余裕綽々なキラさんが笑ったまま私の手を弾いた。ムカつくっ。でも行動が変わるたびに嬉しくなる。


 その時、朝日が私の顔に掛かかる。留美はふと我に返った。


「あ」


 太陽が眩しい。

 足を止めると体が急激に熱を帯びてくる。汗ばむ体を風が通り過ぎて行った。



「……なあ、今、何時か分かります?」


「今は七時過ぎ……七時三十分くらいですね」


 見守っていたパニクさんが不思議にしながらも伝えてくれる。

 留美の顔がみるみる青ざめていく。それはここにいる三人にも分かったのだろう。さらに、不思議そうな顔をされた。


 一時間も追いかけっこしとったん!?

 ありえへん。体力上がった……じゃなくて、七時半!? 勝手に出てきてもうたし、ママ達起きてまう。


 時間を聞いた私は、焦ってしどろもどろになる。



「あ、留美。帰らな……でも武器……。えっと、どうしたら……えっと、えぇと。そ、そうや。……キラさん! 遊びは一旦保留しましょう! ナイフは私が預かっていくという事で。また来ますから、その時に続きをお願いしていいですか!?」


 いきなり気が抜けた私を見て、とりあえず状況を確認したいようだ。その証拠に、少し離れた場所にいた二人も近寄ってくる。


「急に、どうしたんですか?」

「外に出てるって仲間にバレたら怒られます!」



「……あ。うん。じゃぁ、保留で。また来いよ?」


 キラさんは神妙な面持ちでナイフを返してくれた。

 それに対し、私はポーチから毒薬(麻痺)を自然に取り出す。


「あ。キラさんこれ差し上げます。飲んでください」


「なにこれ?」


「飲んでみれば分かります」


 結果だけ見れば完全敗北だったが、なぜか留美は満足していた。最初はブチギレていたが、遊べて意外と楽しかったのだ。

 汗を拭いながら純粋そうに笑う留美を見て、キラさんは疑いもせずにゴクリと飲む。

 人って常に警戒してるわけじゃないねんな。


「あ。瓶返してください」


「ああ……ぇっ」


 瓶を私に渡そうとすると、その手から瓶が落ちた。

 ギャー、数少ない瓶が—!



「セーフ」


 瓶は地面に落ちることなく、私がキャッチに成功した。

 安堵しながらポーチに入れる。


 そんな留美の前で、フラついていたキラさんは立っていられなくなり、膝をついて倒れた。


「キラさん!」

「おい!」


「ベーだ!」


 カムロさんとパニクさんが、倒れた仲間に慌てて近寄る。キラさんは目を見開いたまま、意識的に呼吸を繰り返していた。

 私はその隙に、回れ右をして走りだす。


 人間に効果あり。そんでもって即効性に優れている。っと。

 あれを皮膚にかけるだけでも、効果が出るのか。これも調べなあかんな。

 解毒薬の方も見たいけど、ちょっと怒られそうだし明日にしよう。うん。明日パニクさんに聞いてみよ。


 あ。そうだ。一応言っておかないとな。


「パニクさん、瓶後で返してくださいね!」


 足を止めてそう叫ぶと、カムロさんから鋭い声が飛んでくる。


「殺すな!」

「ふに゙ゃっ、ぃ゙ったー」



 走っていた私は、気づいたら痛みを感じながら地面に転がっていた。私の上にはジェスさんが。

 今日はまだ一言も話してない灰色の男性に乗っかられていた。……ナイフを当てられて。


 ひぃぇ。

 もしかして留美。カムロさんが止めなかったら死んでた? ……ははっ、笑えねー。

 これ本物? ……やんな。現実味が。ヘルプ! 重い痛い助けてっ!



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