第31話 そんなつもりじゃなかった



 あれ?


 一瞬何をしていたのかわからなかった。

 血だらけのナイフと濡れた布。


 私は記憶を探る。


 メモ……えっと。



 水の入った桶を、明かりのつく風呂場へ持っていく。


 うわ、血だらけ。人殺してないよな……。自分切った? いや、傷は特にない。薬草の本数……ふえてる。

 今日何日? カレンダーない。


 水を含ませたゴブ布で、返り血を拭く。拭き終わったら、その辺の木にかけといて乾かす。

 私の部屋に誰もいないのを確認してから、窓から入った。


「ふぅ」


 ナイフとポーチを置いて、ベットに入る。


 ああ。なんか記憶が。



 …………ポーチ誰にも見せられへんな。

 まだ入るけど、結構入ってるからなー。あの全部出す魔法を唱えられたら、やってることバレて。確実に怒られる。



 クリスティーナさんにポーチ(中)どこで売ってるか聞かないと。この便利ポーチを、留美だけが持ってるのは不公平やしな。


 毛布にくるまった時にドアが開いた。


「留美起きてる?」


「寝る」



 もう一回寝ようとした時に、雷が部屋に入ってきた。


 何の用やろ?

 まだ朝日登り切ってないのよ。



「起きてや」


「……なんかよう?」


 毛布から出ず、ひとあくび。

 雷はなんでもないように笑う。取り繕っているようなそれを私は冷たく見上げた。


「ねむい。でてけ」


「いや。ちょっと緊張してて、打ち合いしよ?」


 撃ち合い……。

 なんとなく雷の緊張感が伝わってきてしまい、ベットからころころと転がり落ちる。ドンッと痛む身体を起こし、地べたに座り込んだ。



「ん〜〜〜。……いいけど。マジの剣でやる気?」


「木刀……ないか」


「うん」


「じゃぁ、マジの剣で」


「……わかった。井戸辺りに、先行っといて〜」

「了解。ちゃんと来てや」



 パタンとしまった扉を見て立ち上がる。のびー。


 ……マジでやんの? 木刀でも当たり所悪かったらヤバいのに。斬れる剣で打ち合いしようとか、何考えてんのアイツ。

 それを了承する留美も、何考えてんやろな。


 でも雷には必要な事なんかもしれん。雷がそう思うんやったら、付き合ってあげようやないの。

 刃を向けられる恐怖に、怖気づいたら、今度こそ死ぬかもしれんし。


「行きますか」



 キュッと括った黒髪をサラリと撫でる。


 ナイフを持って、雷の待つ井戸へ。

 留美が怪我さすのを気をつけるより、むしろ怪我しないように気をつけんとな。あの剣で思い切り振り下ろされたら、ナイフで受けれる気がせえへんもん。



 *


「よし。やるか」


「えっと。殺す気でやる? 顔とか首とか、急所はなしやんな?」

「一回殺す気でやろうや。真剣にやりたい」


「えぇ……。殺す気ってほんまに死んだらどうするんさ。留美嫌やねんけど」

「じゃ、寸止めな」


 寸止めぇえ?

 そんな高等技術を留美と雷が覚えてると思ってんの?

 やる気満々すぎて、今更撃ち合いやめよとは言えへん……。



「……出来んかったらごめんな」

「避けるから大丈夫やし。むしろ留美が斬られへんか心配しとき」



 この時の私たちは、刃物に対しての認識がまだ甘かった。


 実際に斬る感覚を味わてったことがあっても、それが人間すら斬る物だとわかっていない。真剣に殺す気でやれば、その結果がどうなるのかくらい想像できただろうに。



 風が木々を揺らす。

 私は雷の行動に集中せず、広く見る。


「いくぞ」


 雷が走って来る。結構本気の目に、留美も応戦する気でナイフを構えた。

 私はまだ動かない。


「ハアッ!」


 雷が剣を振る。

 それと同時に、『シャドウステップ』で背後に回った。昨日の経験を活かして、正面衝突は避けるのだ。


 雷は剣を振り切り。消えた私を探して振り向こうとする。そこへ留美は、相手が振り返る前にとナイフを首に刺す。


 打ち合いをする気が。ついつい『殺す気』でと言う言葉で、本気になってしまっていた。

 武器は殺意を実現できるもの。ちょっと、認識が甘かった。


 抵抗感のある肉の感覚が手に伝わってくる。そしてハッとした。



「ゴヒュッ」

「雷!? あ。ご、ごめん!!」


 軽いパニック状態だ。

 喉の横から入ったナイフは、半分くらい埋まってしまっている。喉を押さえながら倒れ込んだ雷。

 私は涙を張った瞳で駆け出した。


「カヒュー、カヒュー」

「ママ呼んで来るから待っといて!! 抜くなよ! 死ぬなよ!」



 刺してしまった。

 殺す気でやってしまった……。あと少し気づくのが遅ければ……ゴブリンにやっていたように、ナイフを回して傷口を広げてしまっていたかもしれない。


 そもそも刺した時点で人間って死ぬ可能性が高いんじゃ……。


 鳥肌が立つ、手足の先が冷えていく。階段に躓いて膝を打つ。血が出た。今は自分の状態なんか、どうでもいい。


 や、やるんじゃなかった。



 母の部屋へ押し入る。


「ママ! ママ! 起きて!!」


「なに? どうしたん……?」



 私の声をうっとおしそうにして、ゆっくり起き上がっている。

 うっと少し傷ついて。そんな事を気にしている場合じゃないと思い出す。私は雷の喉を貫いた。時間が惜しい。


「いいから来て! 回復魔法使って! 雷が死んじゃう!」


「死ぬ?! 雷が!? どうしたん! どこ!?」

「井戸!」



 それを聞くな否や、ママは走っていく。

 私は窓から飛び降りて、ママより先に雷の元へ行く。


「雷! 雷! ごめんな。大丈夫か!? 大丈夫じゃないよな。ほんまゴメン。痛いよな……」



 私は苦しそうにしている雷の姿を見て、涙を流す。


 そこにママが走って来た。

 泣いている留美の事はひとまず置いといて、雷に駆け寄る。刺さっているナイフを抜いて、溢れ出る血を服で抑えつけた。


「ヒール! 治って治って、死なないで。お願い」



 急速に傷が治っていく。

 向こうの世界ではありえないスピードだ。

 出来るなら回復魔法を絶対に覚えよう。痛いのを治せるように、何も起こらなかったかのように。時間を戻すように。



「ゴハッ、ゴホッゴホッ。ペッうぇ……」


 雷は血を吐きだした。


「雷? 治った?」

「だい……大丈夫。ゲホッゲホッ。……ヒールってすごいな」


「うん」


 まだ微かに光っているが、座り込んだ雷に縋るように抱きつく。

 本当によかった。


「二人とも何してたん!? 何でこんな事になったん!」



 ママが涙を流しながら怒っている。

 ゴメン。全部留美のせい。


「ごめ……ん…なさい」


 私も泣いていたから鼻声だ。

「お前、鼻水はつけんなよ」なんて雷の軽口を流して起き上がる。



 パシンッ!


 痛い。ジンジンする。……今。殴られた? 痛い。


「アンタのせいか! いい加減にしいや!!」



 顔が痛い。揺さぶられて怖い。


「ママ違うって! 俺が打ち合いしよって言ったんや! やろうって俺が言った!」


 でも留美が止められへんかったんが悪い。


「ごめん」


「雷もつい最近、刺された所やで!? 何考えてるん!?」

「俺は! 気を使われたり、足手まといになりたくなくて……」


 萎んでいく声からは罪悪感のようなものが感じられた。

 家族に気を使われるって嫌よな。留美はそんなつもり全くなかったけど。


「今死んだらどうする気やったん!? ふざけて良い時と悪い時ぐらいわかりぃな!」


「ふざけてない!!」

「ふざけてない」


 全然ふざけてない。

 いたって真剣や。だからこそ起きた事故やもん。本気になりすぎて。それがふざけてるってことなん? 留美わからんくなってきた。


「ママは後ろで回復係やもんな! 相手を殺すのとか、殺されそうになるとか、まだないもんな!」

「それとこれとは話が違うやろ!」


「なに騒いどる。近所迷惑やぞ」



 パパが小走りで向かってくる。

 ぼやぁと視界だけでなく、耳までも遠くなってく来た。頭が真っ白で、何も考えられない。

 ……みんな怒ってる。みんな怖い。


 喉が閉まって声が出ない。


 もうママ止めて。

 留美と雷が 喧嘩するなら分かるけど、ママと喧嘩する必要は全くないんやから。


 剣は人を傷つける。

 今回のことでよくわかった。

 もう十分わかったから。もう十二分にわかったから。一番わかってるから。



 小走りで来たパパは雷の血を見てギョッとする。


「留美が雷を殺しそうになったんや!」


 わぁと泣きながら顔を隠したママが屈む。その言葉を聞いたパパも表情が険しくなった。

 パパも、そっち側?


「ほんまか?」


「打ち合いしてたら、寸止めが出来んかったってだけ」


 雷の説明に、私は頷く。

 まだ打ち合いにすらなってなかったけどな。


 ゴンッ

 私は尻餅をついた。



「……え?」


 殴られた。グーで殴られた。

 なんで? なんで? なんで? 初めて殴られた。なんで? パパには迷惑かけてないのに。なんで殴ったん?

 なんで殴られたん? なんで? なんで? なんで? なんで? 留美がいらない子だから?


 私は全速力で、自分の部屋に駆け出す。


 痛い。

 泣いたらあかん。

 これくらいで泣いてたら、ダメ。

 気にするな。ちょっと、ママもパパも頭に血が上っただけや。


 想像できなかったから受けた、当然の罰……。


「なんで留美殴ったん!? ……もういい。俺も部屋にいる」



 井戸に残された父と母は項垂れて。パパがぽつりと言う。


「しまった……後で留美に謝らな……」



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