第41話
16
土気色をした串田の虚ろな双眸がよく見える。
彼はつい数分前まで生きていたのに、今は死んでいるのだ。その間、串田の視線はずっとこちらに向いていたが、どのタイミングで生と死が切り替わったのか不思議と分かった。抜け出る魂を目視したわけではないが、確かに分かったのだ。
その瞬間をカメラに収めた。つくづく、高い投資で高精度のナイトヴィジョンカメラを買って良かったと思ってる。予想以上の衝撃映像を予想を超える撮り高として、比較的鮮明な映像のまま保存できたのだから。
思わず声を出して笑ってしまうが、誰も生きていないので問題はない。ただ、チャンネルの視聴者にはノイズになる恐れもあるので、編集時には削除したほうがいいだろう。
(はい、カット)
樽井を真似するように心中で呟くと、シャッターボタンを押してカメラ撮影をストップさせる。
これで撮影は終わり。あとは家に帰って映像を急いで編集すれば、明日の朝には動画を投稿することができるだろう。最初の計画とは違うが、終わりよければ全てよし、だ。
――元々は鮫島と二人で動画を作るはずだった。
立ち位置としては、廃墟巡りの一環として廃キャンプ場を撮りにきたら偶然、殺人鬼(鮫島)に遭遇してしまった動画配信者。惨殺される映研のメンバーが殺人鬼物の撮影をしていたという事実もうまく盛り込み、B級ホラーを地でいくドキュメンタリーを撮る予定だったのだ。
虚構の物語をさも事実かのように構成するモキュメンタリーではなくドキュメンタリー。つまり、鮫島は本当に映画映研会のメンバーを殺していき、その様子をこちらが撮っていく流れだった。
鮫島が樽井にホラーの撮影を持ち掛け、血原キャンプ場のことを教え、そこから順調に事が進んでいったこともあり、全てうまくいくと思っていた。
しかし、最初に殺した生意気な女を池に捨てたあとで、想定外の出来事が起こった。
映研での役割を終えた鮫島がSUVで殺人鬼用の服に着替えようとしていたとき、見知らぬ人間に背後から襲われたのだ。
丁度、こちらも迷彩服に着替えて準備を整えて、いざ鮫島と合流というところで目撃してしまったのだが、あれは今思い出してもゾッとする光景だった。
突如、木の影から現れた般若の面を付けた白い着物の女(歩き方と体形、長い髪からその時点で女であることは分かった)。般若の面の上にヘッドライトを装着するという奇抜な格好の女は、両手で握っていた包丁を一切の躊躇もなく鮫島の背中に突き刺したのだ。
「死ねええええっ」と声を上げ、力任せに上から振り下ろしたそれは、まるで凝縮されていた怒りが爆発したかのような渾身の一撃だった。
女の一刺しであっけなく絶命した鮫島。
悪い夢を見ているようなそんな、現実感の喪失。唐突に計画を台無しにされた戸惑いが徐々に怒りへと変わっていく最中、女の次の言葉が、新たな計画を脳裏に描き出した。
「私と稔さんのキャンプ場を冒涜し汚し無断使用する奴らは全員、ぶっ殺してやる」
のちに分かることだが、女は血原キャンプ場の所有者だった。
この瞬間、正真正銘やらせなしの、最高のドキュメンタリーが撮れる予感がした。
シャッターボタンを押して女にばれないように撮影を開始。そのときは夜の帳が降りるまで三〇分ほどあったが、周囲の木々や雑草に溶け込める迷彩服のおかげで、女にはおろか、映研の人間に見つかることもなかった。
鮫島を殺したあとの女の活躍は凄まじいものがあった。
てっきりすぐに管理小屋に向かうと思っていた女は、キャンプ場専用の駐車場へと向かうと置いてあった車、高柳のミニバンと樽井のSUVのタイヤを包丁でパンクさせた。
逃げることは許さない。全員ここで殺すという女の確固たる意思の表れだと思った。
そして一〇分後、駐車場とキャンプ場を繋ぐ道で出くわした綾野が、女の狂気の餌食となった。
それにしても綾野の言葉には笑った。鉢合わせた女に「あの、あなたは殺人鬼じゃないですよね」と問い掛けたのだ。おそらく鮫島の死体を発見して、本物の殺人鬼がどこかにいると思っているからなのだろうが、そんな道を尋ねるような聞き方があるだろうか。
でっぷりとした腹を横一文字に裂かれてそこで殺人鬼だと気づいた綾野は、腹部から飛び出る臓物をおさえるかのような仕草を見せながら逃げ出した。
悲鳴と懇願が入り交じった声を上げる綾野は果たして、背中をざっくりと斬りつけられたあげく、足を滑らせて落ちた用水路の中で絶命したのだった。本当に笑わせてくれる男だった。
次の犠牲者は天王寺だった。そこには樽井と鳴河もいて、三人相手となると女には分が悪いかと思ったが、彼女の凶猛なる殺意の前では数の優位性など無意味だった。
奇声を上げながら三人の元に走っていく女はまず、先頭にいた樽井に包丁を振り下ろした。その一振りは樽井が咄嗟に避けたこともあり、腕のあたりを傷つけるだけで致命傷には至らなかった。
しかし、呆気に取られて動けないでいる天王寺の頸動脈の切断には成功した。斬られて尚、自分に何が起こっているのか理解していない天王寺の首から、ホースの切れ目から噴出する水の如く、血が噴き出た。
鮮血が般若の面にかかり、目にでも入ったのか、女の動きが鈍くなった。その隙を付いて残った二人が反撃かと思ったが、鳴河は脱兎の如く逃げ出して、樽井のほうは女の撮影に意識が向いている間に、いつの間にかいなくなっていた。
悔しがる女だが、それはこちらも同じだった。樽井と鳴河の凄惨な死にざまも約束されていたはずなのに、あいつらは己の役割も全うせずに逃げ出したのだから。だが、樽井はともかく鳴河の行く先は分かっていて、それは管理小屋だった。他のメンバーに女の存在を教えて一緒に逃げるつもりだったのだろう。
あのとき、それを女に伝えたくてもどかしかったが、女はこちらの思惑通り管理小屋へと足を向けてくれた。映研の連中が管理小屋で撮影を行っているのは既知であり、元々行くつもりだったのかもしれない。
管理小屋に着いた女は窓から中を確認したあと、入口へと歩を進めた。管理小屋の内部が真っ暗だったため、残りのメンバーはすでに退散したのかと焦ったが、しばらくすると中から女と串田の会話が聞こえてきた。
外にいては決定的な映像が撮れない。殺戮の現場をおさえてこそ価値がある。だが自分まで屋内に入ってしまっては女か串田、あるいは別の映研メンバーに発見される恐れもある。
入るか否か。そんな葛藤に駆られていたそのとき、背後から誰かが走ってくる音が聞こえて、雑草の上に腹ばいになった。
鳴河だった。まだ管理小屋には着いていなかったのだ。彼女はそのまま管理小屋に入ると、次に出てくるときは串田と一緒だった。
正直、ほっとした。二人とも中で殺されていたら、大きな後悔に苛まされていたところだった。
なぜか椅子の背もたれと背中をくっつけたままの串田と、その串田を椅子から解放しようとしている鳴河。滑稽な光景はさておき、女はどうしたのかと不安を覚えた矢先、管理小屋の入口から飛び出してきた。
女は、おぞましい顔をした老婆だった。
全裸で血だらけの着物を風になびかせる老婆が、両手の包丁で串田に襲い掛かった。
ついにそのときがきたかとカメラを握る手に力が入る。がしかし、椅子から離れた串田の思いも寄らぬ反撃で老婆が返り討ちにあってしまった。
包丁を振り回しながら、地面でのたうち回る老婆。その老婆から逃げ出そうとする串田と鳴河。
待て、逃げるな。ちゃんと殺されてくれ――との苛立ちが、痛恨のミスを発生させた。今思い出してもあれは血の気の引く失態だった。立ち上がる際に足が木の根に引っかかり、倒れたと同時に決して小さくない音を発生させてしまったのだ。
頭上にライトの光が走る。しかし幸いにもこちらの存在には気づかなかったらしく、串田と鳴河はこの場を離れていってくれた。
二人を追うか老婆の回復を待つか。悩むこと数秒、前者を取って串田と鳴河を追いかけた。老婆の回復を待っている間、二人が樽井と高柳と共に逃げ出してしまっては、そこで撮影が終わってしまうからだった。
逃げ出さないために何をするかなど考えてはいなかったが、最悪、大声を上げて自分のほうに注意を逸らそうと思っていた。結局、その必要はなかったのだが。
串田と鳴河を追うと、池に着いた。高柳との合流が目的らしかった。しかし彼ら同様にこちらも高柳の姿を見つけることができなかった。すると鳴河が何かを見つけたのか、串田が彼女の傍に寄っていった。
さっきのようなチョンボを犯さないように忍び足で近づくと、二人の足元に無残な遺体と化した高柳が横たわっていた。
最初、何の疑いもなく老婆が殺したのだろうと思った。鮫島を亡き者にする前に一仕事していたのだろうと。だがどうやら串田と鳴河の話を聞く限り、そうではないことが分かった。老婆ではなく別の殺人鬼が殺したようだった。しかも鳴河が言うには、新たな殺人鬼は映研の誰かということだった。
映研の誰か。となると必然的に樽井しかいないと、このとき思った。串田と鳴河も同じ結論に行きついたはずだ。だからなのか、彼らは樽井を積極的に探そうとはせず、駐車場へと向かっていった。警察との合流が目的だったのだろう。いつ連絡したのかは不明だが、もし来ていたら面倒なことになると思った。せめて串田と鳴河の惨殺シーンは撮りたかったが、諦めるしかないとも。
しかし、懸念は杞憂に終わった。警察自体は来ていたが、乗っていた二人の警官は樽井に殺されていた。
このときの心情は串田や鳴河と同じだった。
なぜ、樽井が殺人鬼になったのか――。ただその一点のみだった。
でもその疑問は串田と鳴河の会話を盗み聞きして氷解した。フランスの殺人鬼アダン・ウェバーが化粧マスクを介して、樽井の精神と融合したのだ。
ここにきて新たな殺人鬼の登場に歓喜して身震いした。しかもその殺人鬼は映研の会長である樽井という意外性。これは最高どころではない超ド級のドキュメンタリーに仕上がると確信した。
果たしてその確信は確信として、更なるエンターテインメント性を加味してエンディングへと向かったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます