第36話


「カラフルなワイシャツと化粧マスク。それに私にLINE通話。あれはやはり会長ですね」

「ああ、間違いなく会長だ。……会長だよ」

「今見えましたが、凶器はマチェットのようですね。あれも会長が持っていたものです。高柳さんの頭が削られているのを見たとき、どんな凶器なんだろうと思いましたが、マチェットなら納得です。ライトは持っていなかったはずですが、あれは……」

「多分、健が持っていたライトだろう。健のそばに落ちていなかったからな。……しかし本当に会長だったとは」

「警官を殺したのも会長と考えるのが自然ですね」

「自然なもんかよ。全く意味わかんねーよ。警官殺したのも高柳を殺したのも。なんでだ? なんで会長がそんなことをするんだよ。意味わかんねーよ」


〝状況的に相応しい〟とは思っていたが、こうも現実として突きつけられると、やはり受け入れがたい。せめて会長が殺人鬼化した理由の片鱗でも分かれば、この混乱の渦から抜け出ることができるのだが……。


「どこにいるのよ、鳴河さん。スマートフォン、落ちてるわよ。早く取りにきなさイ」


 樽井会長が鳴河を呼んでいる。

 あまりにもいつも通りの呼びかけだったので、俺は危うく鳴河の代わりに返事をしそうになった。同時に、僅かでも可能性があるならばと縋りついていた無形の拠り所が完全に消滅した。


「アダン・ウェバーが乗り移ったのかもしれません」

「アダン・ウェバーって誰だ?」

「忘れたんですか? 会長が付けている化粧マスクを作成した人です」

「あ、ああ。そうだったな。確かフランスの怪奇小説家で、美容に興味があって化粧マスクを作ったんだっけか」

「はい。そして殺人の罪で死刑になった殺人鬼です」

「しかも殺人を犯すとき、化粧マスクを装着していた……」

「はい」


「鳴河さん、スマートフォンが落ちてるって言ってるでしょ。なんで無視するノよ」


 なるほど、アダン・ウェバーが樽井会長に乗り移ったというのも分かる。呪いを全面的に肯定すればあり得るかもしれないからだ。だが、それはアダン・ウェバーが使用していた本物の化粧マスクであればこそ。樽井会長が付けているレプリカで呪いが発現するとは考えられない。

 それを鳴河に云うと、


「あのマスク、もしかしたら本物かもしれません」

「まさか。会長言ってたぞ。ネット通販で一万六〇〇〇円だったって。本物だったら安すぎだろ。レプリカとしては高いと思うが」

「どういう経路で手に入れたかは分かりませんが、出品者側もまさか本物だとは思っていなかったのかもしれません。ただレプリカにしては凝っていることもあり、高額な売値に設定したのかもしれません」

「そういうことか。俺も本物だとは思っちゃいないが、レプリカにしては変なリアリティがあるなとは思っていた。それは会長も言ってたな。相当な年月が経ったかのような全体的な使用感が見事だったが、本物であれば合点がいく」


「鳴河さん、どうして出てこないのかしら。別に怒ったりしないから早く出てらっしゃイ」


 とはいえ、推測と外観の経年劣化だけに基づいて本物だと断定することはできない。もっと何か、より強固な根拠があれば……。


「私が本物だという理由はそれだけではありません。〝声〟の件があります」

「声だって?」

「はい。串田さんには直接伝えたと思うんですが、殺人鬼役としてあのマスクを装着してすぐに、頭の中に直接響くような感じで〝お前じゃない〟と声が聞こえたんです」

「そういえば言ってたな。空耳じゃないのか?」

「それ、あのときも言われました。〝確かにはっきり聞こえた〟と答えたはずですが」

「……」

「その声なんですが聞いたのは私だけはないんです。私の前に装着していた高柳さんと鮫島さんも聞いたって言ってたんです」


 そうだ。この話を今日どこかで聞いたような気がするとあのときも思った。それは高柳からだったのだ。鮫島さんに関しては知らないが、鳴河が聞いたのなら殺人鬼役同士でそういった話もあったのだろう。


「なら、〝お前じゃない〟っていうのはどういう意味だ」

「〝私であるアダン・ウェバーの魂が宿るのはお前じゃない〟ってことじゃないでしょうか。おそらく性別的に合致しないからだと思います」

「性別? アダン・ウェバーって女だろ。ならお前に魂が乗り移るんじゃないのか」

「串田さん。ちゃんとアダン・ウェバーについて調べましたか」

「あ、いや、あんまり……。あとでいいかと先延ばしにしてた」


 鳴河のため息が聞こえたような気がした。


「アダン・ウェバーは〝女性の心を持った男性〟です。実際、アダンという名前は男性にしか付けませんし、美容に執心だったのも女性になりたい願望の表れだったのだと思います。――つまりLGBTのトランスジェンダーこそが〝お前〟であり、だからこそ、オカマである会長が宿主として選ばれたのです」


「鳴河さーん。どこ? どこにいるの? 鳴河さーん。鳴河さーん。鳴河サーん」


 説得力のある根拠だと思った。

 鳴河の言った、アダン・ウェバーがトランスジェンダーというのが本当なら、それが正しい答えなのだろう。

 以前、樽井会長がアダン・ウェバーに対して〝親近感が湧く〟などと口にしていて、殺人鬼相手に何を言っているのだと理解しかねたことがある。だが、同じ〝女性の心を持った男性〟と知った今、ストンと腑に落ちた。


 更にもう一つ思い出す一幕。あれは撮影の前に樽井会長に化粧マスクを見せてもらったときだ。

 顔に化粧マスクを当てていた樽井会長が、どこか虚空を見詰めるような感じで〝あなたは、誰なの?〟と呟いた。なぜそんなことを聞くのだろうと奇異に思ったのだが、あれは話し掛けてきたアダン・ウェバーに対してだったのかもしれない。


「そこまでは分かった。多分、いや間違いなくお前の言う通りだと思う」

「そこまでは、ですか。あと何か不明な点があるのですか」

「乗り移られるといっても、化粧マスクを装着してからの話だろ。だったら会長はなぜ今、化粧マスクをしているんだ? マスクのほうから会長の顔に張り付いたのか?」

「それは分かりません。でも不適合者に〝お前じゃない〟と言い放つほどですから、心を操ってマスクを付けさせることくらいできるんじゃないでしょうか。老婆の殺人鬼に触発されて能動的になったのかもしれません。私も久しぶりに人を殺してみたい――と」


 コメディチックな話だが、ぞっとするほどの真実味があるのは、樽井会長が殺人鬼化している現実があるからだろう。〝状況的に相応しい〟かに照らし合わせても、そうだと言い切れるホラー展開であるのも間違いない。


 ところで俺は、樽井会長が殺人鬼に確定した時点で鳴河に言わねばならないことがあった。

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