第37話
「鳴河、ごめん」
「急に謝ってどうしたんですか?」
「いや、実はお前のことも疑ってたんだよ。高柳を殺すための時間なら会長同様にあったし、状況的にも相応しいと思ってさ」
「そういうことですか。なら別に謝る必要ないです。だって事実ですから」
「じゃあ許してくれるか? もしよければ、今までのお前に対する態度も込みで許してくれると非常に嬉しいんだが。本当に今まですまなかった」
沈黙の鳴河。
どさくさ紛れにいくらなんでも虫が良すぎたかと慌てた俺の耳に、
「はい。赦します」
ややあって、彼女は優しく返してくれた。
「サンキュー。ありがとう。――そういや警察に電話したほうがいいんじゃないのか」
「そうですね。忘れてました。ただ、警察との会話となると小声だと難しいかもしれません。もう少し、会長から離れて――」
鳴河の言葉が途切れる。
「どうした?」
「ライトの光がありません。会長の声も聞こえなくなりました」
「――え?」
鳴河の言った通り、樽井会長がいた場所は周囲同様に闇と無音に支配されていた。
いつのまにいなくなったのだろうか。俺が来ないから自分から探しにいったのだろうか。ライトの光が見えないことから察するに、ここから遠く離れたところに移動したと思われるが、そんな時間があっただろうか。
刹那、近くでガサッと音がした。
藁半紙に垂らした一滴の墨が広がっていくかのように、不安が増長していく。
大丈夫。違う。思い違いだ。
言い聞かせる俺だが、不安の膨張が止まらない。
音が発生する直前まで俺と鳴河は話していた。もしもそれを聞かれていたら――。
「串田さん、取り合えず場所を……」
「話すな、静かにっ」
鳴河の顔がライトに照らされ鮮明な色を取り戻す。
瞳を見開いて息を飲む鳴河の視線の先を、俺は追う。
予想通り、そこには。
「みーつけた。って、あら。鳴河さんのほかに串田君もいたの。鍵見つかったのかしら。ところであなた達、そんナ関係だったっけ」
樽井会長がいた。
普段と何ら変わらない口調の彼が。
ただ――。
近くで見て分かったのだが、樽井会長の服はペンキをぶちまけたかのように赤黒く染まっていて、鉄錆のような血の臭いを漂わせていた。化粧マスクとマチェットを合わせれば、スプラッタ映画から飛びでてきたと形容できる様相だった。
「い、いや、別にそんな関係じゃないですよ」
何を普通に俺は。
「いいのよ、別に隠さなくたって。同じ映研で一緒にいるんだから、イイ関係になったって不思議じゃないわ。お似合いだと思うわヨ」
その普通に樽井会長が普通に返す。
「そう、ですか。あ、あの……」
「そうそう、鳴河さんスマートフォン落としたわよ。なんで呼んでるのに取りに来なイのよ。はい」
と差し出される鳴河のスマートフォンは血だらけだった。
俺は後ろにいる鳴河の代わりに、そのスマートフォンを受け取る。
これは誰の血だろうか。高柳か、あるいは警官のものか――。
「あの……会長」
「そういえば綾野君はどうしたのかしら。見掛けてないのよね、アタシ。知っテる?」
「綾野でしたら、用水路で死んでいます。……あのっ、会長」
「なんで死んでるのよ。ああ、あの殺人鬼がやったのよね。酷いことすルわね」
「会長っ!」
フラフラと揺れていたマチェットが止まる。
明らかにおかしい樽井会長だが、会話が普通に成立しているならば、これだって普通に答えてくれるに違いない。その返答を聞いてどうするかなんて考えてはいないが、樽井会長の口から真実を聞きたかった。
「……会長が健を殺したんですか?」
「高柳君をあたしが殺した? あたしが……?」
そのまま沈黙する樽井。
「会長なんですか? 健も警察も会長が殺したんですか?」
「……あたしは、そんなことをするわけがないわ。するわけないじゃない。人殺しなんてそんな」
ふらりと揺れて、マチェットを持つ右手の甲を額に当てる樽井会長。次の瞬間、何かを追い出すように頭を振りだす。
「では違うんですね。会長が健や警察を殺したんじゃないんですね?」
「違うわよ。違う、あたしじゃないっ」
「信じていいんですね、会長じゃないって」
「信じていいわ。あたしじゃない。大切な映研の後輩や、やっと来てくれた警官をあたしが殺すわけないじゃないっ。それはあたしじゃなくって――」
樽井会長の動きが止まる。
こちらに向ける化粧マスクが嗜虐的な嗤いを浮かべたような気がした。
右手に持ち替えた〝それ〟を強く握りしめる。
「アタシよ。ねえ、あなたはどんな生の慟哭をアタシに与えてくれるのかシら。高柳君も警官も簡単に殺しちゃってちゃんと聞いてないの。だから串田君と鳴河さんには、しっかり聞かせてもらうつもリよ。〈デスマザー〉最新作の参考にしなくっチャ」
俺は鳴河のスマートフォンを思いっきり樽井会長に投げつける。
それは狙い通り、マチェットを振り上げてこちらに詰め寄ってくる樽井会長の顔面に当たった。殺人鬼がよろめく。
「逃げるぞっ」
「あ、はい」
俺は再び鳴河の手を掴むとその場を走り出す。
向かう先は特にない。あったところで照らす光もない中、辿り着けるものでもない。とにかく樽井会長から離れて、捜索を諦めさせるほどに距離を取らなければならない。
「串田さん、なんのために会長にあんなことを聞いたのですか」
〝あんなこと〟とは当然、〝会長が健と警官を殺したのか〟という問いかけだろう。
「会長の意思じゃないってはっきりさせたかったんだよ。もちろん、会長が自分の意思で殺人なんて犯すわけがないって分かってるけど、そこはどうしても明確にしておきたかったんだ」
「それに意味はあるんですか。結局高柳さんや警官を殺したのは会長なんですよ。罪の重さが変わるわけではありません」
相変わらずドライな考えの持ち主である。
「意味ならあるだろ。いつもの会長に戻せる可能性もあるんだから。もしかしたらそれが、俺達の生死を決める重要な要素かもしれない」
「そうですか。ところで……」
「何だ――」
只ならぬ衝撃が側頭部に走り、意識が定位置から揺れ動く。刹那、足元がおぼつかなくなり世界が九〇度回転して――そこで映像が途切れた。
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