第33話

13



 スマホのフラッシュライトだけを頼りに池へと向かう俺と鳴河。

 心もとないとはいえ二台使っているので、移動するには充分な明るさだ。


 しかし何かと便利な文明の利器だが、充電が切れればただのガラクタ。そこが人類の英知の限界かとどうでもいいことを過らせる俺は、そのスマホに殺されかけたことを思い出す。


「二度目のLINEだけどさ。最悪のタイミングだったぞ、あれ」


 密着するように横を歩く鳴河に俺は切り出す。


「二度目のLINEですか」

「ああ、あのLINEさえなければ、殺人鬼に気づかれずに逃げられたはずなんだ。あ、別にお前を責めているわけじゃないからな。俺の置かれた状況を知っていた訳じゃないし」

「してません」

「ん? 何が?」

「あの慌てて書いたLINEのあとに送信したかといえば、してません。今日、串田さんにLINEしたのはあの一回きりですから」

「そうなのか。じゃあ、あれは誰なんだ」


 その前に受信したLINEが鳴河で、且つあの着信音が映研のメンバー限定というのもあって、勝手に鳴河だと思い込んでいたらしい。そうなると鳴河以外のメンバーということになるが誰だったのだろうか。


 確認すればいいだけだ。俺はスマホでLINEアプリをタップ。開くと誰からのLINEだったのかすぐに分かった。健からだった。そして〈トーク〉の項目には更にタップするまでもなく、高柳の名前の下に短い文章でこう書かれていた。


『はやくそこからにげろ』


「池、見えました」

「おい、急ぐぞっ。健がやばい」


 俺は微かに見えている池に向かって走り出す。闇の中にぼうっと浮かぶ池はそれだけで怖気を震うものがあるが、それを振り払うほどに俺は高柳の安否が気になってしょうがなかった。


「待ってください。串田さん。どうかしたんですか」

「健から〝はやくそこからにげろ〟とLINEがきてた。何かあったからこその〝にげろ〟だろ。事実、健は戻ってきていない」


 池の前に到着する俺と鳴河。極限まで水質の悪化したヘドロ臭なのか、思わず鼻をつまみたくなるような悪臭が漂い始める。一分一秒だっていたくないが、高柳を見つけなくてはならない。


 俺は写真で見た通りに池に浮いている城戸から目を逸らすと、高柳の名を呼んだ。何度か繰り返したが、彼からの反応はなかった。


「串田さん。高柳さんはライトを持っているんですよね」

「ああ、そうだ」

「ならここにはいなんじゃないでしょうか」

 その通りだ。月明りで真っ暗というわけではないが、いたらライトを付けているに決まっている。しかしここに来るまでも、光源の一切を周囲で確認していない。ならば高柳の目的地であった池にいる確率が高いと思っていたのだが、呼んでも応答がないのだから違うのだろう。


 ほっとする反面、では高柳はどこにいったのだろうかと不安心が顔を出してきたとき、池の横の茂みを照らしていた鳴河が「あれ、誰かいます。もしかして……」と語尾を飲んだ。


 俺はその光で照らされる誰かに走り寄る。

 服で分かる。高柳だ。高柳がうつぶせに倒れているのだ。


「健っ――う」


 あまりの光景に俺は後ずさり、反射的に直視を避けた。

 高柳は顔を横に向けていた。虚空を凝視する瞳孔の開いた双眸と土気色の顔が死者のそれだったのもあるが、それ以上に後頭部の一部を失っている光景が衝撃的だったのだ。


 呼吸を落ち着かせてもう一度、死体の顔を見る。やはり死体は高柳であり、よく見ると後頭部の周囲には血と脳漿のうしょうと思われる物体が散乱していた。


 喉元に迫る嘔吐物をなんとか押さえ込む。その俺の横では「即死のようですね。スマホが落ちています」と、高柳の死に全く関心がないような鳴河が高柳のスマホを拾い上げていた。


「お前……高柳が殺されたんだぞ」

「知ってます。LINEの画面のままのようですね」

「知ってますって……LINEの画面なんてどうでもいいんだよっ」

「どうでもよくないですよ。これ見てください。〝はやくそこからにげろ〟のあとに、続けて送信しようとしたらしいのですが――」

「やめろっ!」

 鳴河が見せようとした高柳のスマホを手で払いのける。スマホは鳴河の手から離れてどこかに落ちた。


「串田さん」

「なんでお前、そんな冷静でいられるんだよ。高柳が今、ここで、こんな状態で死んでんだぞっ。普通、もっと驚いたり悲しんだりするものなんじゃないのかよっ」


 俺を見ていた鳴河の視線が地面に落ちる。


「そうですよね。串田さんの言った通りだと思います。でも、すいません。うまく感情を表に出せないんです。高柳さんが殺されたのに……すいません」


 その謝罪自体にも感情の現れをほとんど感じられない。なのに不思議なことに俺の怒りは段々と蒸発していく。


 鳴河の喜怒哀楽の表現の乏しさは何も今になって始まったことじゃない。いつだって鳴河はこうだった。これが鳴河なのだ。それを充分に分かっているはずなのに、感情の発露を強制する俺の方が悪いのだ。


 表現が苦手なだけであり、高柳の死を悲しんでいないわけがない。同じ映研の仲間なのだから。


「いや、悪かった。健が殺されたことを悲しまないわけないもんな。……それで、さきは何を言いかけたんだ?」

「はい。〝はやくそこからにげろ〟のあとに、別のLINEを送信しようとしてたみたいんなんです」

「別のLINEだって? それを見せてくれ」

「串田さんに振り払われてどこかにいってしまいました」

「――あ。ど、どこにいったかなー」


 俺は慌てて周囲を探そうとする。


「覚えているので大丈夫です。〝はんにんがわかった。さつじんきは〟と送ろうとしてたみたいです。文章が途中で送信できなかったのは、状況的に見て殺人鬼に襲われたからだと思います」

「〝はんにんがわかった。さつじんきは〟……か。その犯人は、あの婆さんのことだよな」


 フラッシュライトを消す俺は鳴河にも消すように伝える。鳴河が頷きスマホを操作すると、辺りは一瞬にして闇に包まれた。むろん、殺人鬼の婆さんに居場所がばれないようにである。


「そうだと思うのですが、それだと文面に違和感がありますね」

「違和感……」

「はい。まず第一に高柳さんが、私達とは違い、〝殺人鬼の口からこのキャンプ場の所有者であること聞かされていない〟場合ですが、その場合、高柳さんはあの般若の面を被った老婆を見ただけで、キャンプ場の所有者であると断定できたことになります」

「それは確かにおかしいな。あんな恰好をして両手に包丁を持っていれば殺人鬼だと疑うのは当然だが、さすがにキャンプ場の所有者であることまでは推測できない」


 俺はここで、鳴河も殺人鬼の正体を既知であることを知る。おそらく俺同様に三人の誰かが老婆に素性を問い掛けて、殺人鬼が律儀に答えたのだろう。


「はい。次に第二ですが、高柳さんが私達同様に〝殺人鬼の口からこのキャンプ場の所有者であること聞かされていた〟場合ですが、その場合ですと、もっとおかしなことになります」

「そうか? 〝はんにんがわかった。さつじんきは〟のあとに、この〝キャンプ場の所有者だ〟と続ければ全く変ではないと思うが」

「でも、続きを書くことなく殺人鬼に殺されていますよね」

「ああ、そう――あっ」


 自分のあまりの愚かしさに恥ずかしくなる。

 あり得ないのだ。絶対に。

 なぜなら高柳が殺人鬼に殺されたとき、その殺人鬼は俺と一緒にいたのだから。

 やがて鳴河の口から驚愕の答えが滑り出る。


「殺人鬼は二人いるのだと思います。所有者の老婆、そしておそらく映研の誰かです」


「映研の誰かだって? どうして分かるんだよ」


 鳴河はすぐには答えない。その〝間〟に彼女が何を思ったのかは知らないが、ただ一つ言えることは――、


「だって状況的に相応しくないですか」


 俺もそう思ったということだけだった。

 あまりに現実からかけ離れたフィクションめいた出来事の連続だったから。

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