第28話
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俺は早速、まずは両手の解放へと着手する。
やり方は、両腕の二の腕から先を限界まで中央に寄せて、右手に持ったペンチのくわえ部で左手を拘束している鎖を破壊するというものだ。
だが、いざ試してみると、くわえ部が鎖に一〇センチ以上も届かないことが分かった。これだけ離れていると腕の向きを変えたところで全く意味がない。
いきなり万事休すかと消沈しそうになった俺だが、たまたま逆手に持ったところ、手首を曲げれば右手の鎖に届くことが分かった。
俺はペンチのくわえ部で手首付近の、黒い革製の枷と鎖をつなぐ円状の金具を挟みこむ。そして右手で出せる最大の力でもって柄部を握った。
が、壊れない。しかし一回で壊れるとは思っていないので、何度も繰り返す。それでも破壊まで至らなかった。
「かてーな、くそ」
径にして三ミリほどの鉛のくせに、なかなかの硬さを保持しているようだ。とはいえ、ペンチの硬度より上のわけがない。実際、金具は傷だらけで、この短時間で多大な金属疲労を蓄積したかのようだ。
もう少し繰り返せば壊せるだろうと再びくわえ部で挟もうとした俺は、考えを変えた。くわえ部の下の刃部で局所にダメージを与えることにしたのだ。疲弊したところに止めの一撃というやつである。
「せーの!」
俺は瞬発的な力を一気に放出する。するとパキンと小気味よい音が鳴り、金具が切断された。
「よっしゃっ」
目論見の成功した俺は、切断された金具の別の箇所の破壊工作へと出る。もしかしたらいけるのではないかと刃部からのチャレンジだったが、二度繰り返したところで金具を真っ二つにすることに成功した。
枷と鎖が離れて完全にフリーになる右手。手首に枷がついたままだが、この解放感は現状、何ものにも代え難い。俺は右手を振り回したり、突き上げたりと何度かしたのち、左手の救出を始める。
右手も使えることもあり、力は充分だ。且つ金具を指で動かせることから切断箇所も一か所でよく、左手は難なく解放することに成功。
両手が自由の空へと羽ばたいた俺は、取り合えず大きく伸びをする。
どうせだったら、鳴河が樽井会長達を追う前にペンチを渡してもらっておけば良かった。そうであれば、今頃俺は樽井会長達と共に行動していたに違いない。樽井会長の優しさゆえの愚かな行動を止めることだってできたに違いない。
刹那。
液晶を光らせるスマホが一言言葉を発して、俺は体をびくりとさせる。
メールだ。見ればそれは鳴河からだった。
何かあったらこちらから掛けると言っていたが、ビデオ通話でも通常の音声通話でもなく、メールとは一体どうしたのだろうか。
俺はスマホを手に取ると画面をタップしてメールを読む。
『天王寺君が殺されて会長あ行方不明私は今かくれています殺人鬼がそちに向かうかもなのでにげられませんかか電話しないでください』
急いで書いたからなのか句読点がなく誤字脱字がひどい。だがその文面から鳴河が俺に伝えたいことが全て読み取れた。
天王寺が殺人鬼に襲われて殺された。
その際、鳴河は樽井会長と逃げたが、はぐれてしまった。
二人を探す殺人鬼が、もしかしたら管理小屋まで行って俺を見つけてしまうかもしれない。だから何とか拘束を解いて逃げだせないか。
殺人鬼に気づかれてしまう恐れがあるので、電話しないでほしい――。
メールの文面が事実であれば、事は急を要する非常事態だ。
しかし両手の拘束を解いていたからいいものの、ペンチもない状態でこんな文面を見せられても俺はどうにもできなかった。それを承知でも、伝えなければならなかった情報だということなのだろう。
僅かばかりあった気持ちの余裕がなくなり、俺は次なる標的、首の拘束具の攻略へと移る。
首の拘束具は、椅子の背もたれの背束の一つと繋がっているので金具は必然的に後ろにある。目視確認できないから時間が掛かるのではと思ったが、金具が大きいこともあり、意外と簡単に刃部で挟みこむことができた。
両手でペンチの柄部を思い切り握り込む。すると俺の求めていた例のパキンという音が耳に飛び込んできた。
俺は金具を鎖から外すと、顔をゆっくりと前に出す。そのまま前屈して机に額を付けたところで、首をさすりながら大きく深呼吸。次に両足に視線をやって、拘束具が両手についていたのと同じであるのを確認した。
外はすでに夜の帳がおりている。本来ならその確認すらできないほど真っ暗なはずだが、窓から入ってくる月明りのおかげで、ギリギリのところで視界を保てている。
晴れた空、十三夜月、カーテンを開けてくれた高柳に感謝である。
それはそうと、お腹を椅子の背もたれに縛り付けているベルトを先に外した方がいいだろう。今の体勢でも足の金具を壊すことはできそうであるが、お腹が圧迫されて少々、難儀しそうだ。
腹部の拘束具は他のとは違い、ズボンで使う普通のベルトである。ゆえに椅子の後ろに手を回して難なく外すことができると高を括っていたのだが、どうにもうまくいかない。というより、バックルの部品であるベルトの小穴に通すツク棒がないのだ。
ならば一体何で固定しているのかと指でバックルをくまなくまさぐると、結束バンドらしきものが二本見つかった。どうやらツク棒の代わりに結束バンドを小穴に通して、尾錠に締め付けているらしかった。
「何で結束バンドなんだよ!」
秒で終わるはずの簡単なお仕事の難易度が急に上がり、俺は思わず声を荒げる。
バックルのツク棒が壊れていたから代替品として結束バンドを使ったのだろうが、
俺は拘束具を付けた天王寺を心底恨んだ。あるいはそのアイデアを出した誰かを。
俺はペンチを取ると、くわえ部で結束バンドを挟もうとする。しかし結束バンド自体が細く目視もできないので、くわえ部が当たっているのかすら分からなかった。
「あーくっそぉ! 後回しだ、後回し!」
苛立ちからまたしても大きな声を出してしまう。鳴河のメールを思い出し、心臓がキュッとなる。
俺は耳をすまして周囲の音を拾おうとする。無風なのか、葉擦れの音もなく、小動物や昆虫の鳴き声もしない。この状況で人が来ようものなら、歩く際の音くらい聞こえそうなものだ。
誰も近くにはいないと判断した俺は、両足の拘束具外しに取り掛かる。
予想通り、ベルトが腹を圧迫してベストな体勢を取ることができない。
前屈して腕を限界まで伸ばせば、ペンチのくわえ部が拘束具の金具に届くには届く。しかし、柄部の少し下を握らなければいけなくなり、思うように力が入らない。
「あ」
ここで俺は己の間抜け加減に呆れる。
足を上げればいいだけのことだ。拘束されていると言っても靴底が床に固着しているわけではない。鎖で繋がれている以上、例えその長さが短くとも足を上げれば必ず靴底と床の間に隙間が生じる。その隙間分くわえ部と金具の距離は近づくわけで、そうなるともうこっちのものだった。
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