第27話


 意想外の答えが返ってきた。聞き違いだと思ったのだが、鳴河はもう一度、念を入れるかのように〈モジノラクエンの呪い〉の存在を否定した。


「〈モジノラクエンの呪い〉は串田さんに恐怖を与えるために映研のメンバーであつらえた、架空の呪いなんです。撮影時のドッキリに、より強固な真実味を帯びさせるためと私が提案したんです。全ての撮影が終わったあと、架空の呪いだったと教えなければいけなかったのですが、城戸さんの一件があってそのまま……すいません」

「……そうだったのか。そりゃ架空の呪いだからネットで検索して出てこないのも当然だよな。あー、してやられたぜ。完敗だ、完敗っ」


 仕事熱心な鳴河である。自分に対してだけ辛辣だったパワハラ野郎を徹底的にこらしめてやろうという、頼もしい気概が感じられるほどだ。

 ということは、あの不快極まりないノイズも仕組まれたものだったのか。そんなことができるのか疑問だったが、実際に発生したのだからできるのだろう。


「外、ほとんど真っ暗ですね。ライト持ってくれば良かっ――」


 鳴河の語尾が聞こえない。いや、言葉を発しなかったのだ。

 スマホの画面に鳴河の横顔が見える。何かを見ているようだ。


「今の叫び声ってもしかして綾野君じゃない?」


 樽井会長の声が聞こえる。 


 ――綾野の叫び声?


「な、何かあったんすかね」


 蒼白めいた天王寺の長細い顔がフレームインして、すぐに消えた。


「おい、鳴河。何があった? 綾野の叫び声とか聞こえたが」

「微かにですけど、遠くのほうから叫び声が聞こえたんです。声の感じからおそらく綾野さんだと思います」


 まさか、本当に綾野の死亡フラグが回収されたとでもいうのだろうか。

 殺人鬼に殺されるという形でもって。


「それでどうすんだよ? そこまで行って確認でもするのか」

「それは会長に聞いてみないと。……会長、どうしますか? 様子を見に行きますか」


 鳴河が樽井会長に判断を仰ぐ。

 樽井会長は逡巡の表情を浮かべながら腕を組んでいる。やがて発せられた言葉は、ある意味予想通りのものだった。


「行きましょう。彼はもう映研のメンバーじゃないと断じたけれど、それでもまだ仲

間であることには違いないわ。放っておけないわよ」


 樽井会長が逆方向へと歩きだす。


「え? い、行くんすか? もし綾野さんが殺人鬼に殺されたとしたら、その殺人鬼がまだそこにいるんすよ。危険ですよ。予定通り、管理小屋に戻って、串田さんを解放してから一緒に向かったほうがいいんじゃないすか。あと高柳さんもいれば一緒に」

「私もそう思います。それに暗いですからライトが必要だと思います。そのライトも管理小屋にあるので一旦、戻ったほうがいいと思います」


 天王寺の正論を鳴河が補強する。

 いい加減、拘束状態から解放してほしいというのもあるが、それ以上に、殺人鬼がいるかもしれないというのにライトも持たずに暗闇を進むなど、向こう見ずとしか言いようがない。


「あなたたちは戻っていいわよ。あたしは会長としての責任を全うするだけだから。仮に綾野君がその殺人鬼に怪我を負わされていたとしたら、すぐに介抱する必要があるわ。後回しにすることなんてできないわよ」


 樽井会長のスマホから比較的、大きな光が発せられる。

 そうだ。スマホのフラッシュライトがあった。懐中電灯の明るさには及ばないが、ないよりははるかにマシだろう。


 樽井会長が背中を見せて遠ざかっていく。


「あーもうっ。か、会長、待ってください。僕も行きます」


 その樽井会長を追いかけていく天王寺。

 もっともな正論が、感情論にあっけなく打ち負かされたようだ。ならば正論側にいた鳴河の判断はどうかと固唾の飲んで待っていると、


「串田さん。私も行くことにします。単独にならないことが殺人鬼から生きのびる鉄則だと思いますので」


 ホラー映画の理屈で感情論側に寝返った。


「お、お前まで何言ってんだよっ。戻って来いって。俺を解放してから、高柳と一緒に武器とライトを携帯して向かうほうがどう考えたって安全だろ。頼む、鳴河。戻ってこい」

「串田さんの拘束具の鍵は城戸さんが持っているんですよ。別の方法で解放するにも手間が掛かると思いますし、高柳さんもまだ戻っていないかもしれません。綾野さんが殺人鬼に襲われて傷を負ったのであれば、会長の言った通りすぐに介抱する必要があります。ライトなら三人のスマホのライトがありますし、武器だって会長がマチェットを持っています。なので行きます。ビデオ通話は一旦、切ります。また何かあったらこちらから掛けますね」

「おい、鳴河!」


 ビデオ通話が切れる。

 どうやら鳴河は、本当に会長と共に綾野の元に向かってしまったようだ。


 樽井会長と腰ぎんちゃくな天王寺はともかく、鳴河までが行くとは思わなかった。鳴河の何事にも動じない冷静さがあれば、樽井会長の選択がいかに誤ったものであるか分かったはずなのに。


 俺には聞こえなかったが、もしかしたら綾野の叫び声に、それこそ生々しい切迫感が籠っていたのかもしれない。だからこそ感情に突き動かされた。今はそう思うしかなかった。



 ◇



 ――静寂。

 ビデオ通話に集中していたときはなんとも思わなかった静けさが得も言われぬ不気味さを醸し出して、俺は体を身震いさせる。背後が気になりスタンドミラーに視線を向けると、そこには何者かが立っていた。


「うわあああああ! だ、だ、誰だっ?」

「待て待て。俺だよ。高柳だ」

「なんだよ、お前かよ。驚かすなよ、マジで」

「ごめん。別に驚かすつもりはなかったんだ。城戸をなんとかしたくて池に行ったんだけど暗くてさ。ライトを取りにきたんだ。スマホのライトじゃよく見えなくて」

「そういうことかよ。それはともかく、会長達のほうで動きがあった」

「動き? 何かあったのか?」


 俺は綾野が逃げ出してからの話を、要点だけを掻い摘んで高柳に伝えた。


「そうなのか。だとしたら会長は判断を間違ったんじゃないか。あまりにも危険すぎる」

「だよな。お前ならそう言うと思った」


 鮫島さんの車を見つけたとき無鉄砲な行動をした高柳だが、あれは怒りゆえに合理的な判断を難しくしていただけなのだろう。本来の高柳は物事を俯瞰ふかんして最適と思える解を導くことのできる優秀な人間なのだ。


「しかし殺人鬼か。どうにも信じがたいが、そんな悪魔のような奴がここにはいるらしいな」

「そいつの目的はなんなんだ? 誰だかは分からないがそれくらいは知りたい。どうだ、健。分かるか」

「そうだね。殺人に対しての動機があるなら、それは〝憎しみ〟じゃないかな」

「憎しみ……。俺達映研の人間を恨んでいる誰かってことなのか」

「いや。俺達とは断定できない。世の中を恨んでいる奴が通り魔となって無差別殺人を起こす話なんてよく聞くからね」

「通り魔的な無差別殺人……か」


 確かにニュースで通り魔がなぜ被害者を狙ったのかを知るとき、〝誰でもよかった〟という理由が多い。しかしそういった奴は大抵、多くの人が集まる場所で犯行を行うもので、わざわざこんな辺鄙へんぴな場所にある、しかも本来人がいないはずの廃キャンプ場まで足を運ぶだろうか。


 とてつもない違和感。

 なのにその違和感を解消できない気持ちの悪さが、俺を苛つかせる。


「ちょっとライト取りに、となりに行ってくる」


 隣接する部屋に向かおうとする高柳。

 その高柳の言葉で、撮影に使う道具のほとんどがとなりの部屋にあることを思い出す。ならば〝あれ〟もあるはずだ。


「ちょっと待て、高柳。確か美術用のペンチもあったと思うんだが、持ってきてくれないか」

「ペンチ? ああ、鍵がないから強引にってか。分かった、探してみる」


 意図を理解した高柳が首肯する。

 戻ってくると、彼の手にはしっかりとペンチが握られていた。


「壊してやる。と言いたいところだけど、とりあえず、手に握らせるから一人でやってもらっていいか」


 今すぐお前が拘束具を壊してくれと言いたかったが、高柳の最優先の目的をこれ以上、後回しにさせるわけにはいかない。俺は分かったと答えると、高柳に右手にペンチを握らせてもらった。


「それじゃ俺は城戸のところへ行ってくる。それと会長達三人のことだけど、無事に戻ってくるのを信じるしかないと思う」

「だよな。……ところで、健」

「うん?」

「城戸は本当に残念だったな。お前の彼女だったんだろ」

「知ってたのか。いつバレたんだ?」

「城戸が死んだあと、お前がしきりに彩花って言っててそれで」

「そうなのか。自分では気づかなかったけど、口に出してたみたいだな。……なあ、裕司」

「なんだ」


 スタンドミラー越しに、ドアの外に出た高柳がこちらを見向くのが映った。

 笑みの中に悲しみ、そして燃え盛る怒りが垣間見えたような気がした。


「男だったら、愛した女性を殺した人間を絶対に許せないよな。それこそ何度殺したってさ」


 高柳がスタンドミラーから消える。


 ――高柳……お前。


 高柳の言葉から強大で揺るぎない意思を感じたが、それ以上を考えることはしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る