第26話
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「さあ、戻るわよ」
樽井会長の号令で管理小屋へと戻り始める四人。――だったのだが。
「……じ、冗談じゃないっ。おれは戻りませんよっ。き、城戸さんと鮫島さんを殺した殺人鬼がうろついているんですよっ!? こんなところには一分だっていたくないっ。 わ、悪いですけど、おれは先に帰らせてもらいますっ!」
綾野が喚きだす。腰を抜かしてから一言も言葉を発していなかったのは、このときのために取っておいたのだと言わんばかりの大声で。
「何を言っているのよ。そんな勝手が許されるわけないでしょ。綾野君も一緒に戻って撤収の準備よ。一人で帰るとか、バカなこと言うもんじゃないわよ」
「……バ、バカなのは会長ですよっ」
「ちょっと。あたしにバカって言ったの? あなた」
「……え、ええ、そうですよっ。殺人鬼がいるって分かっているのに残るなんてバカそのものじゃないですかっ。こ、殺してくださいって言っているようなもんじゃないですかっ。お、おれは死にたくはない。だから帰るんですっ」
「いい加減にしなさいっ。仮にあなたの言う殺人鬼がいたとして、自分だけが助かればいいというその腐った性根はなんなのっ? 大体、警察だって来るのよ。串田君を解放してみんなでかたまっていれば、その殺人鬼だって手を出せやしないわよ」
「……や、やっぱりあんたはバカだっ。警察はすぐに来ないって言いましたよねっ? そ、そんな状況でおれ達がかたまっていたら一網打尽ですよっ。あ、相手は殺戮衝動のみで行動する不死身で残忍な殺人鬼なんだっ。……そ、そうだ、たとえ警察が来たところで奴には敵いっこないっ。今すぐ逃げるしかないんだぁぁ!」
綾野が背を向けて走り出す。一〇メートルほど進んだところで足がもつれて派手に倒れたが、すぐに起き上がり、そのまま駐車場のほうへ向かっていってしまった。
「綾野先輩、本当に行っちゃいましたね。いいんですか? 会長」
「どうでもいいわよ、あんな奴。綾野君は今を以て映研のメンバーじゃなくなったから。行くわよ、あなた達」
さっぱりした顔の樽井会長。その表情を見るに、言葉通り、綾野は歯牙にもかけないどうでもいい奴に成り下がったようだ。三度もバカと罵られて怒りすら通り越したということだろう。
それにしても――。
「フラグ立ちましたよね、綾野さん」
管理小屋に向かい出したとき、鳴河が俺にだけ聞こえるように声を掛けてきた。
「そうだな。あいつ、マジでやばいんじゃないのか」
高柳が一人で去ったときに覚えた懸念。それが綾野に対しては、はち切れんばかりに肥大化していて、もはや確信に近い状態になっていた。
スプラッタ系のホラー映画で殺人鬼に殺される人間というのは、大概決まっている。
セックスに興じるパリピカップル。
モブに近い数合わせだけの男。
ヒロインより格下扱いの女友達。
主人公以外で殺人鬼に立ち向かう奴。
怖くなって、単身逃げだす臆病者。
つまり綾野は五番目に当てはまり、スプラッタ系ホラー映画においての死亡フラグが立ったわけだ。ちなみに高柳は逃げたわけではないので被害者のテンプレートには当てはまらないが、単独というがネックだ。
「綾野さん、殺人鬼に殺されるかもしれませんね。でも今更どうしようもありません。あとは無事を祈るのみです。そんなことより、串田さん」
「なんだ?」
綾野が殺人鬼に殺されることよりも大事な話があるらしい。
「鮫島さんはどうしてあそこに車を停めたのでしょうか?」
「どうしてって言われてもな。確かに下の駐車場に停めずに、なんであんなところにとは思ったが。歩いてくると遠いからじゃないのか」
「はい。それもあると思います。実際、あそこからキャンプ場まで歩くと遠いですし、車が入っていける広い道があるから、できるだけ近くまで車で行ってしまおうという心理も理解できるんです。でもなぜ、〝あんなところに〟なんでしょうか」
「丁度いい駐車スペースだから……いや、そうでもないな。雑草だらけで汚い小屋もあって普通なら避けそうだ。キャンプ場までの道のりで、ほかに停めるスペースだってあったんじゃないのか。なんていうか、敢えてあそこに停めたって感じだな」
「おそらくその通りだと思います。要するに鮫島さんは、雑草と小屋を隠れ蓑にして、車が他人の視界に入らないようにしていたんだと思います。さきは着信音を追うことで発見することができましたが、駐車場とキャンプ所を行き来するだけならば、まず見つけることのできない恰好の隠し場所だと思います。もしかして以前にも来ていて、下調べしていたのかもしれません」
鮫島さんは、敢えてあそこに車を隠していた。
いや、車だけではない。
「つまり鮫島さん自体も隠れていたってことか。それって俺達に見つからないためだよな。だってほかにかくれんぼの対象となる人間なんていないし」
「絶対とは言いませんが、正解だと思います。結論としては、帰ったと思わせて実は隠していた車にいて、新たに殺人鬼の恰好をしたのち、再び私達の前に姿を現わすつもりだったのではないでしょうか。鮫島さんの本来の目的は実は撮影ではなく、そこにあったのではと私は思っています」
「再び現わしたとして、それは何が目的だ? まさか俺達、映研のメンバーを皆殺しにするためですなんて言わないよな」
あまりにも荒唐無稽で突飛な憶測である。
しかしそうなると、俺を驚かすための撮影の続きという線が濃厚になる。ならば撮影に決定で、鳴河にもういい加減にしろと怒ればいいものを、肝心の声が一向に喉元を通ろうとしない。
撮影ではないと感じ取っている自分がいるのだ。
樽井会長は常識と節度を弁えられる、メンバー思いの良き会長である。そんな樽井会長が、ものの数分で辺りが闇に支配されるという状況で、これ以上の撮影を強硬するとはどうしても思えなかった。
「そうだったのかもしれません。鮫島さんの人間性を鑑みるに、あり得る可能性の一つだとは思えますから。ただ動機が全く分かりませんし、何より彼が殺されていたという事実が混乱に拍車をかけています」
「殺人鬼役だった鮫島さんが本物の殺人鬼になろうとしていた矢先、別の殺人鬼に襲われて殺された……。混乱するわな、そりゃ」
やはり、そこがネックだろう。
仮に撮影だったとしても、或いは鮫島さんの殺意が本物だったとしても、〝鮫島が殺されている〟という事象が思考を出口の見えない
鮫島さんが殺されたというのは、黒幕も予想できなかった予想外な因子なのかもしれない。
俺ははっとする。
黒幕とはなんだ? 全ての筋書を立てた奴がいるっていうのか? ならば、その黒幕は何に突き動かされてこんなことを――。
「そうだ。〈モジノラクエンの呪い〉」
「え?」
「だから〈モジノラクエンの呪い〉だよ。この、あまりにも非現実的な状況を作り上げたのはその〈モジノラクエンの呪い〉なんじゃないのか? 鮫島さんが殺人鬼になろうとしていたのも、その鮫島さんを殺した殺人鬼も全て呪いが原因なんじゃないのか? どう思う? 鳴河」
「お前、呪いとかバカなんじゃないのか? その呪いがどんなものか知らねーけどさ、んなもの、科学的に立証できないから魔法ですって言ってるのと同じだろ」
「へ?」
突然、鳴河の口調が変わり、呆気にとられる。
まるで過去の自分が鳴河に言いそうなセリフだ。
「と、先日、串田さんにそう言われたのですが、覚えてますか?」
鮮明に蘇るその日の映像。
今の鳴河と先日の俺の口にした言葉が、一言一句ピタリと重なった。
「あー、あのときはほら、今とは状況が違うというか、〈表現ゲーム〉について話しているときに唐突に呪いの話なんてするからさ。で、でも今は違うぞ。呪いであれば説明がつくような悪夢が現に起きているんだから」
「そうですね。でもこれは〈モジノラクエンの呪い〉では絶対にないんです」
「言い切れるのか? 絶対だと」
「はい。だって〈モジノラクエンの呪い〉なんて存在しませんから」
「は?」
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