第22話
「私も行きます」
それは鳴河。
俺は反射的に声を上げた。
「待て、お前は行くな」
「なんでですか?」
「い、いや、別にお前まで行く必要はないだろ。ここにいろって」
「……」
じっと俺を見詰めている鳴河。
「なんだよ?」
「もしかして一人だと寂しいんですか?」
「んなわけないだろっ。ちょっと聞きたいことがあるんだよ」
聞きたいことがあるのは事実だ。同時に寂しいというのもまた的を射た指摘である。しかし後輩相手に頼りない内面を曝け出すわけにはいかない。ゆえにムキになっての全力否定だったのだが、鳴河は真意に気づいただろうか。
「聞きたいことって何ですか?」
廊下から離れて俺の横に立つ鳴河。
「えっとな、お前だけだから聞くんだが、その、なんというか……」
「なんですか、早く言ってください」
「これは、本当の本当に俺へのドッキリじゃないのか?」
「これとは?」
「だから、城戸が鮫島さんか別の誰かに殺されたっていう一連の流れだよ。会長の態度や高柳、綾野のやり取りを見る限り、本当でもおかしくはないと思う。だからといって疑念の全てが晴れたわけじゃない。だってそうだろ。殺人だぞ? そんなことが簡単に起こってたまるかよ」
「それは、城戸さんは実は生きていて、あとでドッキリの看板を持って出てくるってことですか?」
「まあ、そういうことだな。別にドッキリの看板を持つ必要はないが」
「……城戸さんは、私みたいな地味で色気のないオタク女にも偏見を持たずに優しく接してくれました。華やかで近寄り難くてこちらから距離を置こうとしていた私に、彼女はどこまでも自然体でフレンドリーでいてくれたんです。いい人でした。その城戸さんが殺されたというのに、串田さんは悲しむこともせずにドッキリだと断じるんですか?」
鳴河の頬を一筋の涙が伝い、床を濡らした。とても演技とは思えない自然な落涙だった。
「い、いや、俺は二度も騙されているから、どうしたってこれもドッキリなんじゃないかって思ってしまうんだよ。……真面目な話、城戸は殺されたんだな?」
「はい。それは事実です」
「信じていいんだな?」
「はい。信じてください。でもまだ疑ってそうなので、一応写真を見せておきます」
「写真ってなんのだ?」
「城戸さんに決まっているじゃないですか。沈んでしまったときのことを考えて、カメラで撮っておいたんです。野次馬根性で写真を撮る人間と一緒にしないでくださいね」
鳴河がスマートフォンを取り出すと操作する。三秒後、スマートフォンの液晶を俺に向けた。
城戸の死に顔が写っていたらと焦ったが、杞憂だった。
見覚えのある渋谷系の服装を着た人間が、うつ伏せの状態で池に浮いている。間違いなく城戸だろう。彼女じゃなかったら、それこそ誰なんだという話である。
俺へのドッキリのためだけに最上級の汚水に入るというのも、一二〇パーセントない。
全く現実味のない、だが現実であるというある種の矛盾が俺の情緒を一時停止させる。やがて受け入れ態勢の整った脳に〝城戸の死〟が保管されると、徐々にではあるが感情が己の役割をこなしはじめた。
「くそっ、マジかよ。なんだってこんなことに」
「犯人のみぞ、知るですね」
「やっぱり、お前も鮫島さんが犯人だと思っているのか?」
「はい。彼以外にはいないと思っています。綾野先輩は人を殺せるような度胸なんてありませんし、外部の人間説は思考の放棄に等しいですから」
鳴河が靴紐を結び直す。小さく「よし」と聞こえた。
「おい、どこか行くのか」
「会長達を追いかけます。聞きたいことはもうないですよね?」
「まあ、ないかな。いや、待て待て、あるっ。鍵、鍵はどうなるんだよ? 城戸が持っているこの拘束具の鍵は?」
「それは、城戸さんを池から引き揚げないとどうしようもないと思います」
「いつ、どうやって引き揚げるんだよ?」
「鮫島さんを探したあとに、なんらかの方法で引き揚げるんじゃないでしょうか」
城戸の引き揚げの前に鮫島さんの捜索。どうにも優先順位が違うような気がしないでもない。仮に鮫島さんがまだいて犯人かどうか問い詰めたとして、彼は素直に白状するだろうか。白状までいかなくとも、追い詰められた鮫島さんが逆上して更なる惨劇を生む可能性だってあるのではないだろうか。
そもそも、鮫島さんがいなくなってからかなりの時間が経っていて、駐車場にいない確率のほうが断然高い。
やはり優先順位が間違っている。しかし高柳達が行ってしまった以上、今更変えられるものでもない。何事もなく彼らが帰ってくるのを待つしかない。
「もういいですか? 行ってきます」
「ちょっと待てって」
「なんですか?」
「本当に行くのか? 行ってどうするってんだよ。意味があるとは思えないが」
「ここにいたって意味ないですよ。それに嫌なんじゃないですか?」
「何が?」
「私がそばにいることです。だって串田さん、私のこと嫌いじゃないですか」
「そ、そんなことはないぞ。そんな……」
「いいですよ、無理しなくて。じゃあ、本当に行きますので」
「待て、鳴河!」
三度度目の制止。嫌いじゃないし寂しいから行かないで、などとは口が裂けても言えない。だからといって引き留める強い理由もない。せめて鳴河が去ったあとの孤独を和らげる術があればと考えた矢先、妙案がポンと浮かんだ。
「串田さん。いい加減に……」
「鳴河、お前と俺のスマホをLINEのビデオ通話で繋げてくれないか?」
「それは一体、なんのためにですか?」
「窓から見えるが、もっと景色が見たいんだよ。ほら、俺はここでずっと拘束中だろ。部屋に一人っきりで息苦しいってのに拘束中のせいで三割増しだ。だからせめて外の映像を見て、少しでも開放的な気持ちになりたいと思ってさ」
鳴河と繋がってる安心感もある――という理由は口が裂けても言えない。
「そういうことですか。でもデータ通信量をかなり消費しますよね。わたし3ギガプランなんで、あまり使いたくないんですけど」
「パソコンのモバイルWiFi使えばいいだろ。ネットワーク探してパスワードを入力するだけだ。俺のスマホはポケットに入っているから、頼む」
鳴河は一つため息を吐くと、俺の言った通りに行動する。すると、ものの五分で俺と鳴河のスマートフォンがLINEのビデオ通話で繋がった。
鳴河が俺の手にスマートフォンを握らせる。彼女の手は白魚のように綺麗だった。
「映像ぶれても怒らないでくださいね」
スマートフォンを前に向けながら廊下へと向かう鳴河。
「おう、その……気を付けてな」
「らしくないですよ、串田さん」
「ぐっ」
「でも……嬉しいです」
スタンドミラー越しの鳴河がほほ笑んだような気がした。
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