第21話


 前科。その言葉に皆の表情が一瞬、凍り付く。


「……前科って、どんな犯罪を犯したんですか」


 と高柳。綾野に背を向ける彼を見るに、今は鮫島さんへの興味しかないようだ。


「暴行よ」

「……暴行。それってもしかして強姦とか……?」

「ううん、違うわ。同棲していた女性を殴って重傷を負わせて傷害罪で捕まったの。それ以外にも、捕まりはしなくても人に乱暴を働くことはあったみたいね。映研に在籍中も後輩を殴って問題になったこともあったっけ。だから見た目どおりってわけ。鮫島さんは」

「そんな人物なら確かに殺人だって厭わないかもしれないですね」

「そこまでは言わないけど、綾野君よりかはよほど犯人に相応しいとは思ってるわ」

「最悪ですね、あの人」


 言葉を吐く鳴河。相変わらず表情に乏しい彼女だが、その言葉に内包された濃度の濃い感情を感じることはできた。

 俺自身、それを聞いたところで特段驚くこともなかった。鮫島殺人鬼版での撮影の際、彼の粗暴が演技という一線を越えてきたことを、この身をもって分かっていたからだ。


 撮影終了間際にマチェットの柄を口に突っ込んできた鮫島さん。あれは彼の本来の性質が露わになったものなのだ。そのほかにも本物のマチェットを俺の近くで振り回すなど、常人らしからぬ行動もあってか、少なくとも俺にはこの時点ですでに犯人は鮫島さんしかありえなかった。


「鮫島さんには綾野君以上に時間的猶予もあるし、城戸さんと何かしらのひと悶着があって殺めてしまった。あたしはそう考えているわ」

「……そうか。あの人は、彩花にちょっかい出して無視された。それでカッとなって殺してしまい池に投げ捨てた。……あるかもしれない。鮫島さんが会長の言った通りの人ならやり兼ねない」


 綾野犯人説から鮫島犯人説に乗り換えようとしている高柳。名探偵ならあり得ない方向転換だが、高柳は灰色の脳細胞の持ち主ではない。感情に任せて早とちりで誤った判断を下してしまうことだってある。その判断を下された綾野はたまったものではないが。


 そんな綾野が叫ぶ。


「……ほ、ほら、おれじゃないじゃないですかっ。は、犯人は鮫島さんなんですよっ。分かりましたか、高柳さん、おれじゃないんですよっ」

「まだあの人が犯人って決まったわけじゃない。もしも決まったときは、そのときは土下座して謝ってやる」

「……き、聞きましたからね。絶対に土下座して謝罪してくださいよ」

「ああ」


 土下座は確定だろう。

 やはり綾野は犯人たりえないのだ。殺人という非日常の最たる愚行は、それ相応の人間でなければ実行に移せるものではないのだから。


 そこで俺は自分の愚かさに気づく。殺人が非日常の最たる愚行ならば、それが起こらないほうが正しいに決まってる。


 そうだ。そうに違いない。やはりこれは――。


 俺は両手を動かす。拘束具をつなぐ鎖がジャラリと鳴った。


「でも会長。なんでそんな人を今回の撮影に呼んだのですか?」


 鳴河が眼鏡のブリッジを人差し指でクイッと上げる。

 いつのまに眼鏡少女に戻っていたのだろうか。だからといって、鳴河をぞんざいに扱うことはもうないのだが。


「呼んではいないわ」


 樽井会長の口から予想外な言葉が出た。


「あれ、おかしいですね。鮫島さんは俺に、会長から殺人鬼役でのオファーがあったって言ってましたけど」


 これは間違いない。確かに鮫島は俺にそう言ったのだ。しかし会長は違うと言う。なぜだろうか。


「え? じゃあ、あの人、勝手に来たんすか」

「それはないだろ。俺達は来るの知ってて前日から打合せしてたんだから」

「あ、そうっすね。じゃあ、どういうことなんすか、会長。説明してください」


 まぬけな天王寺が代表して真実を求める。

 樽井会長は相変わらず、ゆゆしき問題にぶちあったような顔のまま説明を始めた。


「今回の撮影は鮫島さんに持ちかけられたものなの。殺人鬼役を俺がやってやるからホラーの撮影をしてみないかって。タイミングが良かったのよね。ホラー物を撮影したいと思っていたところに、その話だったから。それで話はあれよあれよと進んでいって、いい撮影場所も見つかって、ソリッドシチュエーション・スリラー物の殺人鬼役で彼に出てもらうことにしたの」

「そういうことだったんですか。でもなんで鮫島さんは、会長からオファーがあったなんて嘘を言ったんすかね」


 当然の疑問である。


「それは多分、鮫島さんなりの気遣いよ。OBである自分はでしゃばらないって彼の中にあったのだと思う」

「案だけもらって、鮫島さんを出さないっていう決断も下せたんじゃないですか。あいつが前科者でやばいっていうのは、会長だって知っていたんですから」

「殺人鬼という役柄にリアリティが欲しかったからよ。あの人の纏っている〝ある種の狂気〟が今回の題材にうまく合致すると思ったのよ。事実、鮫島さんの演じた殺人鬼は本物の殺人鬼にしか見えないほどによくできたものだったわ。でも、やはり間違った人選だったと反省しているわ。高柳君の言った通り、あんな危険な人間を使うべきではなかった」

「くそ、あいつ!」


 突然、高柳が廊下へと飛び出す。


「高柳君、どこへ行くのっ」

「鮫島の奴を追うんですよ。まだ下の駐車場にいるかもしれませんから」


 樽井会長の声を背中に浴びた高柳が追跡者に立候補する。最早、高柳にとって鮫島さんは、愛しい彼女を殺めた殺人鬼で確定しているのだろう。


「そうね。まだいる可能性だって捨てきれないわね。あたしも行くわ。もしいたら全てを話してもらいましょう」


 てっきり、危険だからやめなさいと止めるかと思った樽井会長が高柳に同調する。すると天王寺や綾野までが付いていくと言い出し、瞬く間に部屋から消えていった。

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