第20話


「犯人はお前だよ――綾野っ」


 スタンドミラー越しに写っていた綾野が、ブルンッと身を震わせた。


「……な、何言ってるんですか? お、おれは、おれはそんなことしませんよっ」


 犯人扱いされた綾野が、口角泡でも飛散させているかのように否定する。


「いや。お前だ。お前しかいない」

「……や、やってませんよっ。な、な、なんで、おれが城戸さんを、こ、殺さないといけないんですかっ」

「お前しかそのチャンスがなかったからだよ」


 高柳が窓を背にして腕を組む。西日が後光のようになっていて画になっていると思った。さながら、犯人を追いつめる名探偵かのようだ。


「……お、おれにチャンスって、なんですか?」

「単純な話だよ。犯行の時間的猶予がお前にしかなかったんだよ。鳴河による裕司へのドッキリが始まったとき、お前と彩花はすでにいなかった。鳴河と裕司は当然のこと、会長と天王寺は俺のそばで映画談義をしていたから、ドッキリの間はずっといた。そしてドッキリが終わったあと、お前だけが遅れて部屋に現れた。お前を見なくなってから、再び姿を現すまでの時間は約三〇分。お前はその間、何をやっていたんだ? いや、彩花を殺して池まで捨てに行ってたんだよ。そうなんだろ、綾野!」

「そうなんですか? 綾野先輩」


 然して衝撃を受けていないような鳴河が問う。

 指を差されて、これ以上ない状況証拠を突きつけられた綾野。スタンドミラー越しに綾野を見ると、顎の皮下脂肪を左右に揺らしていた。


「……ち、違う。た、確かに長い間いなかったけど、それは、べ、別にやることもないから近くを散歩してて、そ、それで途中からまたお腹が痛くなって、用を足していただけなんだ。だ、だからおれは、違う。……き、城戸さんを殺してなんかいないっ」

「嘘を吐くな、綾野。何かしらの用があって屋外に出た彩花を、チャンスとばかりに追いかけて殺したんだろっ」

「……だ、だからおれじゃないって言ってるじゃないですかっ。だ、大体、城戸さんなんて見てませんよっ。お、おれが外にいる間、い、一回だって見掛けませんでしたから」

「犯人ならそう言うだろう。それにな、綾野。動機だってあるんだ」

「動機? それはどういったものだ」


 過呼吸気味の綾野の代わりに、俺が先を促す。


「恋慕から一転した憎しみだよ」

「恋慕から一転した憎しみ? つまり、フラれた腹いせに殺したとか、そういう意味か?」

「正しくその通りだよ。――綾野。お前は彩花のことが好きだったんだろ。そうだよな?」


 脂汗なのか、顔を異様にテカらせている綾野。米粒のような瞳を右往左往させて口を金魚のようにパクパクさせているが、出てきた言葉は「……そ、それは」だけだった。


「お前は彩花が好きだった。これも間違いない。俺はな、綾野。彩花から相談されていたんだよ。お前が何かにつけては接触してこようとしてきて、それをどうにかしてくれないかってな」


 綾野の城戸に対する好意は、メンバーの誰もが知るところだ。あまりにもあからさまで無謀、時に強引というのもあったのだが、映研の活動に支障をきたすレベルではないということで放置していた。


 城戸が拒否し続けていれば、いずれ綾野の無駄な努力も終わると思っていたが、想像力が欠如していたのかもしれない。愛と憎しみは表裏一体なのだ。


「そして今日。俺は彩花に聞いた。お前が彩花に交際を申し込んだことを。もちろん、彩花は即座に断ったらしいけどな。それが引き金となりお前は、彩花が自分のものにならないならと殺した」


 張り詰めた空気。誰もが綾野の発する言葉を待つ。

 五秒後、スクリプター担当はゆっくりと口を開いた。


「……こ、告白はしました。で、でもそれは、じ、自分の気持ちにけじめをつけたくて、したことなんです」

「けじめだと?」

「……はい。お、おれは、高柳さんの言った通り、城戸さんのことが好きでした。で、でも、城戸さんの態度から、か、彼女はおれに全く興味なんてないってことは分かっていました」

「当たり前だろ。彩花には俺……それで、なんだ?」


 俺という彼氏がいる――と続けそうになったのを高柳は止めたのだろう。

 綾野がそこに気づいたのかは知らないが、傍から見たら綾野は道化を演じている哀れな男でしかない。しかし城戸が死んだとなれば、笑うに笑えないのだが。


「……だ、だから、今日、当たって砕けてもいいから告白しようって、さ、撮影が始まる前に告白して、それでフラれたんです」

「そして愛情が憎悪へと変質したお前は、彩花を殺した」

「……だ、だから、殺してなんかいないって言ってるだろっ。けじめをつけて、それで終わりなんだよっ。フラれて殺すなんて、そんな短絡的なことするわけないだろっ」

「お前、俺に向かってなんだよ、その態度。動機と状況証拠がお前が殺したって言ってんだよ。いい加減に認めろ!」

「や、やってないのに認めるわけないだろっ」

「綾野っ!」


 一触即発の次の瞬間、高柳が床を蹴った。高柳らしからぬ憤怒の形相が俺の横を通り過ぎる。刹那、スタンドミラー越しに綾野に掴みかかる高柳が拳を振り上げる。まさか殴るのか――と焦ったそのとき、


「止めなさい、高柳君っ」


 樽井会長の甲高い声が部屋に響いた。

 高柳の掲げた拳が止まり、あわやの危機がすんでのところで、収まる。

 さきほどの俺のときもそうだが、樽井会長の本気のお叱りには何かしらの力が宿っているに違いない。


「何で止めるんですか、会長。こいつは俺に殴られるだけのことをしたんですよっ」

「でも綾野君の犯行であると証明できてないでしょ」

「証明なんて必要ありませんよ。動機と状況証拠が、綾野が犯人であることを示しているんですから」

「動機と状況証拠以上に、あなたの私情が色濃く出ているような気もするけど」


 言葉に詰まる高柳。彼自身もそれを分かっていたのだろう。

 自分の恋人にちょっかいを出していた綾野には、最初からいい感情など抱いてはいない。城戸同様に疎ましく思っていたはずだ。そこへ、綾野を犯人へと仕立て上げられる動機と状況証拠という二つのピースが揃えば、別の可能性を考慮する理性が失われても不思議ではない。


「でも会長、だとしても綾野以外ほかに誰がいるっていうんですか? まさか外部の人間だっていうんですか?」

「まさかって言っていること自体が、私情に突き動かされていた証拠ね。あたし達のように誰だって簡単に入れるのよ、ここは。閉ざされた山荘ではなく開かれた廃キャンプ場なんだから」

「じ、じゃあ、犯人は外部の人間……」


 冷静さを取り戻した高柳が再び窓に近づき、外に視線を向ける。


「その可能性もあるのだけど、多分違う」

「は? 綾野じゃないのは外部の人間が疑わしいからってことですよね。なのに外部の人間が違うって意味わかりませんよ」

「別に外部の人間の犯行だとは言っていないわ。それはあくまでも可能性で、しかも限りなく低い。だから、そうね。だからおそらく……」

「もどかしいですよ、会長。綾野でも外部の人間でもないなら、誰が犯人だって言うんですかっ」


 高柳の怒声が響く。

 実際、高柳の怒りもよく分かる。綾野犯人説を否定しておきながら、しかし外部の人間の仕業ではないと樽井会長は口にしているのだ。なんら事件解決の糸口を提供せずに、しゃしゃり出てきただけの樽井会長に俺も若干の憤りを覚える。


 ――いや、待てよ。


 綾野でもなければ外部の人間でもない。当然、ドッキリ中だった自分や鳴河、そして三人でアリバイを証明し合える高柳と天王寺と会長も違う。ならば、犯人はあの人しかいないことになる。

 樽井会長は〝おそらく〟のあとに、その人物の名前を言おうとしたのだろう。


、犯人」


 俺は樽井会長に言った。

 映研のメンバーの視線が一旦俺に集まり、すぐに彼へと向けられた。

 堅い表情で俯いている樽井会長は両肘を抱えるようにしている。それは、まるで深刻な事態にたった一人で対峙しているかのように感じられた。


「串田君の言った通りよ。おそらく犯人は鮫島さん」


 樽井会長が重い口を開いた。

 思った通り、〝おそらく〟のあとに続いた鮫島さん。内部とも外部とも言い切れない微妙な立場ゆえに蚊帳の外に置かれていたが、彼の性質を考慮すれば最も犯人に相応しいと思えた。


「鮫島さんっすか。見た感じ粗野で荒々しさを感じますけど……それが理由っすか」


 天王寺が鮫島犯人説の根拠を樽井に問う。


「見た目だけならそれは偏見ね。でもね、鮫島さんは違うのよ」

「違うっていうのは?」

「あの人、鮫島さんは前科があるの」

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