第23話
※
来た。このときがようやく。
どいつもこいつも、安穏としていられるのは今だけだ。今日このとき、この瞬間から全てが一転する。悪夢が去るのだ。
もう止まれない。
恐れ慄くがいい。
ここまでさせるのはお前らのせいだ。
憤怒の感情を血の惨劇に変えてぶちまけてやる――。
九
「どうですか? ちゃんと見れますか?」
俺が手に持つスマートフォンから鳴河の声が届く。液晶には廃キャンプ場屋外の映像。遠くに茜の空が見えたが、あと一時間もすれば夜の帳が降りそうだ。
「大丈夫だ、ちゃんと見えるぞ」
「了解です。串田さんが恋しがっていた外ですけど、会長を追いながらの撮影でいいですよね」
「ああ。あまりぶれないように頼むぞ」
「がんばります」
映像に入り込む家屋。一瞬、なんの建物だろうかと思ったが、すぐにそれが血原キャンプ場の管理小屋だと気づいた。
窓のすぐ向こう側に、かれこれ四時間近く拘束されている男がいる。哀れみと同情の念を覚える俺は失笑するほかなかった。
しかし、スマートフォンは現代に必須の文明の利器であるが、この窮屈なフレームに制限された情報はどうにかならないのだろうか。最近のスマートフォンの液晶画面は大きくなってきてはいるが、所詮6インチ程度。テレビに比べればはるかに狭い枠内で流れる映像は、手振れもあってか快適には程遠かった。
とはいえ、俺の要求を無条件で飲んでくれた鳴河に文句を言うのも憚れる。屋外の風景が見れるだけでも御の字だと受け入れるべきだろう。
「鳴河」
「……」
「おーい、鳴河ぁ」
「……」
「鳴河っ、聞こえてるかぁ!」
スマートフォンの映像がぐにゃりと捻じれたかと思うと、鳴河の顔がアップで写った。
「なんですか?」
「いや、景色だけ見ててもなって思ってさ。なんか喋る気ない?」
「景色が見たいって言いませんでしたっけ」
「そうだけど、いいだろ、少しくらい」
「何を喋るんですか? 私、動画配信者じゃないんですけど。実況なんてできません」
「実況なんて求めていないって。城戸じゃないんだし」
「城戸さんがどうして出てくるんですか?」
高柳が言うには、大手動画共有プラットフォームでの動画配信者だったらしい城戸。彼女なら何の変哲もない廃キャンプ場の映像に、興味を引かれるような実況ができたかもしれない。廃キャンプ場で殺人が起きたというホラー的シチュエーションを余すことなく生かして。
「ごめん。城戸は関係ない。取り合えず何か喋ろうぜ」
「何かって、何ですか?」
「そ、そうだな……」
何かと聞かれると出てこないものだ。いくつかの候補が頭の中に浮かんだが、どれもこれも鳴河の淡泊な一言で終了してしまいそうなつまらない質問だった。そこでふと、例のゲームが脳裏を過った。
「〈表現ゲーム〉をやってみないか?」
「〈表現ゲーム〉ですか? いいですよ。じゃあ、決まり文句を言いますね」
「待て待て、違う。俺が決まり文句を言うからお前が文章を作るんだよ。俺はもう充分だよ。鮫島さんの狂気を思い出すから勘弁してくれ」
「分かりました。いいですよ。〈審判者〉も串田さんがしてください。では決まり文
句をお願いします」
淡々と粛々と物事を進める鳴河。少しくらい難色を示すかと思ったがそんなことは全くなく、寧ろ乗り気のようにも思えた。
いい傾向だ。先輩後輩の間柄とはいえ、したくもないゲームなら理由を付けて断るはずだ。しかしそうしないことから推するに、鳴河は俺に対してそれほど悪感情を抱いてはいないのかもしれない。ならばここで挽回の余地はある。
「じゃあ、決まり文句言うぞ。――〝
「はい」その五秒後。「できました」
「うん。できたらできたって教えてくれれば――って、ええっ、もうできたのかよっ?」
「はい。では言いますね。〝会長の考えを素直に解釈すれば、電動丸鋸の刃は硬い柔らかいではなく本物感を出せる素材でとのことだった。しかし解釈を誤った串本さんのせいで、順調なはずの計画に齟齬を来し、結果、撮影が大幅に遅れてしまった〟。以上です」
拙い文章でも大らかな心で合格にして、今までの自分とは違うのだというところを見せようとしたのだが、予想外の展開である。
まさか一〇秒も経たずに、合格としか言いようのない文章を作り上げるとは。
「串田さん、判定は? もし覚えていないならLINEで文章を送りますけど」
「い、いや、大丈夫だ。合格、合格だよ」
「良かったです」
「たださ、細部は違うけど、どこかで聞いたことがある話なんだよな。串本って俺のことだよな?」
「違います。串本は串本です」
言い切る鳴河。
会長やら撮影やら電動丸鋸やらと出てくるのに、串本が串本のわけがない。しかし言及したところで正直なところを話すとは思えないし、問い詰めて険悪な雰囲気になるのも得策ではない。なのでスルーして進むことにした。
「次の決まり文句いいか?」
「いいですよ」
俺は〈決まり文句辞典〉の内容を思い出し、その中の一つを抽出する。もちろん意味が分かっているものをだ。意味が分からなければ合否の判定ができない。
「〝枚挙に
「分かりました」の五秒後。「できました」
「はやっ。い、言ってみろ」
「はい。〝私の髪が髪型になってないとか、マル眼鏡がださいとか、ファッションセンスがゼロどころかマイナスとか、色気は母親の体内に置いてきたのかとか、感情がなくて何を考えているの分からないんだよお前は三流SF映画のロボット以下だなおいとか、串本さんの私に対する暴言を上げれば枚挙に遑がない〟。以上です」
変な汗が額を伝う。まるで窮鼠猫を噛む状態だ。多分意味合いが違うが、追い詰められたのは事実である。
「ご、合格っ。それと……」
「それと?」
「ごめんっ」
「なんで謝るんですか? もしかして串本が串田さんだと思ってそれで謝っているのですか。さきも言ったじゃないですか。串本は串本だって。それとももしかして身に覚えがあるんですか?」
「あー、分かった、分かったっ。よっしゃ、次、次に行くぞっ」
女って怖い。俺はこのときほど思ったことはなかった。
「はい。どうぞ」
「その前に聞きたいんだけど、お前、なんでそんなに文章作るのうまいんだよ? 決まり文句もしっかり使ってしかも早いだろ? 不思議に思ってさ」
「私、中学生の頃からネットの投稿サイトで小説を書いているんです。だから文章を紡ぐことに関しては慣れているんです」
そんな話は聞いたことがなかった。いや、単に鳴河に興味がなくて彼女のことを知ろうとしなかっただけなのだが。
「そうなのか……。なら納得だな」
「串田さんもうまかったですよ」
「そりゃどうも」
長年小説書いている人間に褒められても、お世辞にしか聞こえない。お前が拘束された人間だったら、〈ウェバーの亡霊〉もさぞかし調子が狂って困るだろうなと皮肉が出そうになったが、虚しいので止めた。
それにしても小説家の卵か。ならば鳴河に聞いてみたいことがある。
「なあ、鳴河」
「はい。決まり文句決まりましたか?」
「そうじゃない。お前だったらどうするんだろうと思ってさ」
「何をですか?」
「俺達の現状が小説だったとして、このあとの展開。このホラー的シチュエーションをどう料理する?」
わずかの逡巡があったのち、鳴河の声がスマートフォンから聞こえた。
「みんな殺人鬼に殺されますね。それが最良だと思います」
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