第14話


 予想に反して合格だった。


「おいおいおいおいおいっ! なに合格にしてんだよっ! こいつは本当に俺のドッペルゲンガーなのかっ? なあっ!」


 ノートパソコンを乱暴に揺らす殺人鬼が、最後の〝なあっ!〟を俺に向ける。問い掛けられたところで答えようがない。俺が目を逸らして黙っていると、下から顎を掴まれて強引に不気味な化粧マスクを直視させられた。


「てめえ、さっきから悪知恵ばっかり働かせやがってよぉっ。俺を舐めんのも大概にしとけよっ、ああっ? ドッペルゲンガーは何も言わなかったがよっ、今度同じ文章を使い回ししたら、てめえの両目をえぐり取ってやるっ。分かったなっ!」


 俺は、口臭チェッカーの数値が跳ね上がりそうな殺人鬼のどぎつい息を我慢しながら、何度も頷く。


 暫く睨んだあと、何かぶつぶつ言いながら後ろへと下がる殺人鬼。俺が大きく深呼吸していると殺人鬼がページをめくる音が聞こえた。〈決まり文句辞典〉だろうか、次の問題を探しているのかもしれない。


 俺は気を取り直して、次の第四問目へと備える。当然、シチュエーションも用意している。考えたくもないが、不合格になったときのために二つほど、だ。

 ところで俺はある事態を憂慮していた。それは、決まり文句の使いやすさについてだ。 


 正直なところ第三問目までの決まり文句は、シチュエーションに組み込むのが比較的容易だった。だからこそ第四問目は、一転して使いづらいものが来るのではと思っているのだ。決まり文句はそれこそ数多あり、著しく限定されたシチュエーションでしか使えないものだってあるのだ。


 そもそもその決まり文句を選んでいるのは殺人鬼であり、怒髪天を衝いた今、その危惧が現実となる可能性は非常に高い気がする。その俺の恐れは、果たして現実となる。しかも、想像を絶する悪魔的な形でもって。


門前雀蔵もんぜんじゃくらを張る。咳唾珠がいだたまを成す。かなえ軽重けいちょうを問う。この三つの決まり文句を使って文章を作れ。本当はあと一問あるんだが、これで合格できれば解放してやる。優しだろぉ? ――始めろ」


 口をあんぐりという表現があるが、今の俺こそ当てはまるものはない。三つ、しかも全く馴染みのない、言うなれば未知の言語かのような決まり文句を前にして、開いた口は一向に塞がろうとはしなかった。


「みっ、いや、こん、できるわけ、そん、な……」


 開きっぱなしの口から、言葉の破片がボトボトと落ちる。どうしようもない状況を前にして俺は、モニターではなく鏡越しの殺人鬼に目を向けた。

 殺人鬼の面には、冷淡且つ嗜虐的な両眼。それは見る限り、俺を合格にさせる気など毛頭ないといった感じだった。


「俺を見てないで文章書けよ。くく」


 口調にもそれは現れていて、刹那、俺の冷静さは全て吹き飛んだ。恐怖を上書きするように純然たる怒りが込み上げる。すぐさま殺されるかもしれないこともお構いなしに、声のあらんかぎり叫び散らした。


「無理に決まってるだろっ! 決まり文句が三つだぞっ? しかもこんなの、語彙ごいに富んだプロだってほとんど分かんねぇってっ! ……こんな、こんなのは〈表現ゲーム〉なんかじゃないっ、ふざけんなよ、糞野郎っ!」


 電動丸鋸の稼働音が止まる。

 俺の怒号の余韻が僅かに遅れて消失すると、部屋が急激に静まり返った。見ると時計も止まっている。殺人鬼がスイッチを押したらしい。当然、文章を作り終えたからではない。ではなぜ止めたのだろうか。途轍もなく嫌な予感がする。


「俺を、糞野郎、だと?」


 低いトーンに乗せられる鋭利な威圧感が、俺の全身を突き刺す。

 空気が変わったような気がした。


「あ、いえ、その……」

「この俺を糞野郎とか、てめぇ、何様だごらぁっ。調子に乗ってんじゃねぇぞっ!」


 殺人鬼が再び俺の髪を鷲掴みにする。毛根ごとごっそり抜けるのではないかと思うほどの力で。しかし殺人鬼の怒りは収まらないのか次の手段として、マチェットの柄を口に強引に押し込んできた。


 喉頭蓋まで侵入を試みようかとする柄と、その暴走を必死に拒む口の攻防。

 それは、もう限界だと諦めかけたそのとき唐突に終わった。


 殺人鬼が柄を引き抜いたのだ。

 俺は激しくえづく。幸い何も出てはこなかったが、口の中に広がる血の味がとてつもなく不快だ。


 予感は当たった。つまり一線を越えてしまったのだ。超えた瞬間に死が確定するデッドラインを、殺人鬼への罵倒という行為によって。

 怒りに打ち震えて叫んだときは死をも恐れぬ蛮勇だったが、今は断頭台に首を突っ込んで慈悲を乞う憐れな罪人のような気持ちだ。


 ――絶対に死にたくはない。


「で、何か言うことがあるだろ。ほら、早く言え」


 殺人鬼がマチェットの刃の反対側で、俺の首をとんとんと叩く。

 俺は全身全霊での謝罪へと打って出た。


「す、すいませんっ! 言い過ぎましたっ。そ、その、あまりにも問題がちょっと理不尽かなと思いましてつい……。だからその、本当にすいませんでしたっ!」


 殺人鬼は許してくれるだろうか。瞑っていた目を恐る恐る開ける。するとそこには、朗笑を思わせる瞳の殺人鬼がいた。あまりの変わりように呆気にとられる俺に殺人鬼は淡々と述べた。


「反省すればいいんだ、うん。では続きを始めよう」


 スイッチを押して〈表現ゲーム〉を再開する殺人鬼。

 もちろん問題はそのまま。ゆえに俺の思考は、右往左往することもなく立ち尽くしたままでタイムリミットを迎えた。


「はい、終~了~。通知を見るまでもなく不合格だな。よしっ、サクッと逝くか。ちょうど神の準備も終わったようだからな」


「ま、待ってっ! もう一度チャンスを下さいっ! お願いしますっ、お願いしますっ、お願いしますっ! 頼むからまだ殺さないで下さいっ!」


 恥も外聞もかなぐり捨てた二度目の魂の謝罪。拘束されていなければ土下座して額を地面に擦りつけているであろうそれはしかし、何の意味もなかった。


 殺人鬼が、幾人もの人間を殺めてきたマチェットを振り上げる。暗闇の中で妖しく光ったそれは、もっとたくさんの血を欲しているようにも見えて。


「潔く死ねや」


 俺の頭に向けて振り下ろされた。

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