第13話
――合格。
緊張の糸の数本が切れ、強張った筋肉が自然とほぐれる。
しかしやはりというか、台本の文章をほぼそのまま使ったことを指摘され、次の問題からは止めろと釘を刺される形となった。
第一問目のときにも怒らせたことを踏まえれば、二問目が合格となったのは正しく幸運の一言に尽きるかもしれない。繰り返さなくとも次に似たような小細工を弄すれば、問答無用でドッペルゲンガーの本体に殺されるだろう。
「そうかこの台本か。悪知恵が働くじゃねえか。ぐははっ」
豪快に笑う殺人鬼が、そこで声色を変える。
「今ここに新たなルールがもう一つ追加された。次からは台本を参考にして書いてはならない。もしもまた書いたら」
殺人鬼が背後でマチェットを振り上げるのが鏡越しに見えた。まさか斬りやしないだろうと思いつつ肌を粟立たせる俺は、そのマチェットが部屋の左隅に落とされるのを見た。
「こうなるっ、こうなるっ、こうなるっ、こうなるっ」
肉を裂くような音。
そこに何があったか気づき、脳裏に浮かぶ城戸の顔。
死んで尚、切り刻まれる城戸に心の底から同情するものの制止できるはずもない。俺にできるのは殺された城戸やほかのメンバーを弔い、彼らの分まで生きていくことだけだ。そのためには、俺は〈表現ゲーム〉を絶対にクリアしなければならない。
「こうなるっ、こうなるっ、こうなるっ、
用を為さなくなった頭上の電動丸鋸が突と動き出す。
第三ステージが開始されたのだ。
予想通りの唐突なスタート。しかし今度は聞き逃しはしないと耳を傾けていたこともあり、俺はペナルティを食らわずに五分MAXでスタートすることができた。
脳の警鐘に従ったこともあり、文章を作成する際のシチュエーションは問題ない。ならば書けばいいのに一文字も打てないのは、決まり文句である〈須らく〉の意味を度忘れしていたからだった。
〝すべてに渡って〟が誤用であることは知っている。多くの人間がこの誤用を正しいものと勘違いしている中、誤用であると認識している俺はそれだけで賢いと言えるかもしれない。しかし肝心の正しい意味が分からないのでは、それこそ意味がない。シチュエーションという舞台はあるのに、決まり文句という登場人物が全く動いてくれないもどかしさ。
なんだっ? 須らくの意味はっ? 分かっていたはずだろっ。こんな肝心なときに忘れてんじゃねーよ、俺はっ!
俺は胸中で声を荒げる。
その後、何度も〝〈須らく〉の意味は〟と繰り返すうちに、突と降りてくる〈須らく〉の意味の片割れ。〈須らく〉の〝すべ〟がそのあとに続く〝き〟を呼び寄せたのだ。
そう、〝~すべき〟がその片割れだ。
片割れが浮かんだあとは寸刻も置かずに、磁石のようにもう一つの片割れである〝当然〟が、〝~すべき〟の前にがっちりと固着した。
〝当然~すべきである〟。
それが〈須らく〉の意味。
その瞬間、俺はシチュエーションというステージの上で、決まり文句というキャラクターを躍動させる。集中力が際立っているのか、耳に届くのは乱打されるタイピング音のみ。それは残り時間二分三〇秒を切ったところで、タンッとひと際大きな音を立てて終了した。
「終わったっ! 時計をっ、時計を早く止めてくれっ!」
「分かってるよ。あんまりうるせぇと殺すぞ」
あくびを噛み殺すような声をこぼす殺人鬼がスイッチを押し、動きを止める時計。運命の判断が出るまで殺人鬼はまた口を閉じたままなのだろうかと様子を見ていると、突然くつくつと嗤い出した。モニターを暫し覗き込んだあとに。
文章を作る上でのシチュエーションには書きやすさもあり、昨今ウェブ小説を賑わせている異世界ファンタジー風にしてみた。だから俺は、勇者だの魔王だのとある種のチープさを醸し出している文面そのものに、殺人鬼は失笑しているのかと思ったのだが。
「あっ!」
文章を改めて読んだあと、殺人鬼が嗤った理由がそうではないと気づいて愕然とした。
訪れるであろう危機的状況に全身が熱くなり、汗が噴き出す。通知を知らせる通知アイコンを震える指でクリックすると、窮地が現実のものとなった。
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【串田】
俺を異世界へと転生させた女神。その女神が言うには、俺を転生させたのは異世界を救ってほしいからだという。どうして俺がと問い掛けると女神はこう言った。異世界に転生された勇者は須らく、その異世界を救うために尽力を尽くすべきであり、それが異世界テンプレの宿命なのだと。
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【@5い21HH7%4】
ふごぉかく
じゅぅげんはっけん
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くそっ、バカか、俺はっ!
予想通りの不合格。〈@5い21HH7%4〉は致命的なミスである、〝尽力を尽くす〟という重言を見逃すことはなかった。
しかしこれは著しくレベルの低いポカミスだ。〈須らく〉の意味とシチュエーションをうまく融合させることができた高揚感が、洗練さに対する慎重さを失わせていたのかもしれない。
そこで殺人鬼が、今度は声を抑えることなく嗤う。
「ぐはははははっ。こりゃどんな言い訳も通じねえよなぁ。文章を書く上で絶対やっちゃいけねえミスの一つだ。洗練さゼロ。じゃ、書き直せ」
電動丸鋸の騒音が呆然とする俺の意識を鮮明にさせる。見ると時計も数字が動き出していた。そこで俺は、やり直しの時間がすでに始まっていることに気づいた。その唐突さに最早驚くことはないが、不合格からの動揺が気持ちの切り替えを鈍重にする。
三〇秒ほどしてようやく精神が正常化すると、俺は自由帳欄に文字を並び連ねていく。残りタイムは一分三〇秒弱と少ないが、そこに問題はない。事実、一分ほどの時間を余らせて文章を作り上げた。問題があるとすればそれは、グレーゾーンが白になるか黒になるか予断を許さないところだ。
「やけに早いじゃねぇか」とモニターに顔を寄せる殺人鬼。ややあって「おめえ、舐めてんのか?」とドスの効いた声を俺の顔に吐いた。
「ル、ルール違反じゃっ……ない、はずだ」
俺は先ほど不合格を食らった文章の重言部分だけを直して、改めて書き直していた。それに対して殺人鬼は憤りを覚えているのだろう。
確かに〈化粧マスクの殺人鬼〉では、新しい文章=シチュエーションも新しくするというルールがあった。しかし台本には、実際のところは新しい文章を書けとあるだけでシチュエーションを変えろとは書いていない。つまり、殺人鬼版の〈表現ゲーム〉に於いては、そのルールは正式なルールとして定められていないと俺は判断したのだ。
しかしこの賭けは失敗だったかもしれない。すでに殺人鬼が気分を害している状況で、その殺人鬼がドッペルゲンガーと呼ぶ〈@5い21HH7%4〉が合格にするとは思えなかったのだ。あと一分で違うシチュエーションで文章を書くしかないのか、と絶望の淵に立たされた俺だったが、しかし結果は――
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【@5い21HH7%4】
ごぉかく
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