第12話


 五



〈遅きに失する〉の意味はなんだ?


 俺は愕然とする。まさかスタートラインでつまづくとは思ってもいなかったのだ。

〈遅きに失する〉の意味は漠然とは分かっている。なのにその意味が正しい文字列としてまとまらない。其処かしこに文字が浮遊していて整列してくれないそんなイメージ。恐怖による焦りが先行して思考が全くもって儘ならないのだ。


 死ぬ。


 このままでは一文字も書かずに頭にマチェットを振り下ろされて、死ぬ。

 出ろっ、くそっ、〈遅きに失する〉の正しい意味は何だっ? 出ろっ、出ろっ、出ろっ、出ろぉっ、このままじゃ間に合わない!


〝遅すぎて間に合わない〟。


 その瞬間、意味が脳内をテロップのように流れる。同時に俺は自由帳欄にタイピングを始めた。遮二無二なってひたすら文字を打ち込んだ。幸いなことに一〇〇文字以上の文章を作り上げることそのものに苦はなかった。急いで誤字脱字がないかを確認すると【投稿】をクリックした。


「で、できたっ、投稿したぞっ、時計を止めてくれっ!」


 俺は限界まで首を捩って殺人鬼に向けて吠えた。すると殺人鬼がスイッチを押す。使った時間はペナルティ込みで三分二二秒。不合格とされた場合、残り一分三八秒で新たな文章を作成しなければらない。それだけはなんとか避けたいところだったが、ここで俺は審判者不在の件を思い出して息を飲んだ。


「どれ、見せてみろ」


 ぬぅっと顔を寄せてくる殺人鬼が画面を注視する。

 第二の〈ウェバーの亡霊〉は暫し眺めてフンと鼻を鳴らすと、腐臭めいた残り香を残して後ろへと下がった。


 黙する殺人鬼。やはり審判者の代理人はこの男であり、今は合否の判断でもしているのだろうか。しかし長い。俺は精神を削っていくような沈黙に耐えられなくなり、気付けば殺人鬼に聞いていた。


「合格……なのか?」


 刹那、マチェットが目と鼻の先に振り下ろされて、俺はひぃと情けない声を漏らす。すぐさま謝ろうと思ったが、口を開くのは殺人鬼のほうが早かった。


「判断するのは俺じゃねぇ。もう一人の俺、ドッペルゲンガーだ。判断を待て」


 ――ドッペルゲンガー。


 そんなものが現実にいるとは思えない。また、頭のネジが数本外れた殺人鬼ならではの妄想だろう。


 異常に振り切ったような人間を相手に、やはり〈表現ゲーム〉が成り立つはずがない。絶望に打ちひしがれる俺は、それでも言われた通りに判断を待つ。やがて通知アイコンに通知を示す光が灯り、俺は恐る恐るそれをクリックした。そして目を見張ることになる。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【串田】

 俺達はホラー映画の撮影をしに廃キャンプ場にきていた。撮影だから本物の殺人鬼など出てきやしない。だからそのマスク男が現れてメンバーを殺したときは驚いた。そのマスク男が本物の殺人鬼だと気付いたものの、遅きに失した。俺も殺されるかもしれない。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【@5い21HH7%4】

 ごぅかく

  ただしつぎから

   おれたちのことをかくな

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 


 咄嗟に今の状況を取り入れた俺の文章に対して、見知らぬユーザーからコメントがあった。つまり、この〈@5い21HH7%4〉というユーザーは鳴河の代わりと見て間違いない。となると殺人鬼の云ったドッペルゲンガーなのだろうか。


 存在を否定しつつあり得ないと断じることができないのは、〈モジノラクエンの呪い〉の侵蝕を、〝頭のイカれた殺人鬼に〈表現ゲーム〉をさせられている〟という形ですでに突き付けられているからかもしれない。


 ところで俺は安堵のため息を漏らす。そこには〝ごぅかく(合格)〟と書かれていたからだ。ただ、その後ろに続く〝ただしつぎからおれたちのことをかくな〟という文言を読んで肝を冷やした。


 殺人鬼が気分を害するかもしれないという恐れもあり、本当は書きたくはなかった。しかし置かれた状況があまりにも鮮烈過ぎて、ほかのシチュエーションが全く思い浮かばなかったのだ。


「合格だ。くく、俺に殺されるかもしれないか」

「ぐっ」


 突然、髪の毛を引っ張られて頭が顎を上げた状態となる。真上から覗き込む殺人鬼の、にごり血走った目がはっきりと見えた。


「そうだなぁ、また俺達のことを書いたら殺されるかもしれねぇなぁ。――ちと――ざを来たぁぁす」


 殺人鬼が髪の毛を離し、ゼロへと戻った時計が再び地獄へのカウントダウンを始める。殺人鬼が決まり文句を提示してスイッチを押したのだ。しかし俺はその決まり文句が何か分かっていなかった。睥睨する殺人鬼の狂気に晒されて、聴覚がまともな働きをしてくれなかったのだ。


「き、決まり文句が分からないっ! 頼むっ、もう一度決まり文句を教えてくれっ!」

「あ? ペナルティ一分だぞ。一頓挫いちとんざきたす」


一頓挫を来す。


 意味は〝順調だった物事が行き詰まる〟だったはずだ。

 悩むことなく決まり文句の意味が鮮明となったことに、俺は自分でも驚く。第一問目をクリアしたことにより幾分、自信と冷静さを得たのが要因なのだろう。今回の撮影にあたって、〈決まり文句辞典〉を興味の対象としてある程度読んでいたというのも、幸いしたようだ。


 ――しかし。


 その決まり文句を使うべき文章が出てこない。いや、正確に言えば文章そのものはすぐに作れるのだが、それは全て殺人鬼絡みであり、さきほどNGとされたものだった。


 どうにかして別のシチュエーションで文章を作成しなければならない。なのに頭の中は血塗られた廃キャンプ場の惨劇で埋め尽くされていて、一向にタイピングを始められない。その間も当然、残り時間は減っていき、書き始められないという焦りに拍車を掛ける。


 くそっ、頼むっ、消えてくれよっ、クソ殺人鬼めっ! でしゃばってくんなよ、俺の頭の中までっ。このままじゃ――、


 そのとき、俺は鏡越しにそれを見た。

 腕を組んで座る殺人鬼のその横のミニテーブル。高柳の頭部のすぐ脇にある〈化粧マスクの殺人鬼〉の台本を。


 それが果たして許されるかは分からないが、追い込まれた現時点ではその思い付きに掛けるしかなかった。


「で、できたっ。終わったぞっ!」


 ふんと鼻を鳴らす殺人鬼がスイッチを押すと、時計の残り時間は丁度一分で止まった。万が一にも不合格の烙印を押されれば、無謀とも言えるこのタイムリミットを相手にしなければならない。大至急別のシチュエーションで文章を考えておけと、脳が警鐘を鳴らす。


 立ち上がっていた殺人鬼は無言のまま、俺同様に〈@5い21HH7%4〉からのコメントを待っている。何とも息苦しい間(ま)に動悸が早くなってきたところで、〈@5い21HH7%4〉からの通知が届いた。

 俺は恐る恐るその通知アイコンをクリックする。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【串田】

 俺は最初、何の疑いもなく、その宝石を本物だと思っていた。その宝石の輝きが目を眩ます程だったからだ。しかし、めつすがめつ眺めていた宝石商の友人が言うには、間違いなく偽物とのことだった。転売で利ざやを稼ぐ計画は一頓挫を来すことになった。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【@5い21HH7%4】

 ごぉかく

  わかっているとおもうが

  つぎはないとおもえ

       くりかえしたらころす

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

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