第10話
誰だろうかと
では高柳だろうか。そのシルエットに一番近い体格は彼しかいない。この際、高柳だと仮定しよう。ならば彼は一体、そこで何をしているのだろうか。窓ガラスに手を当てて屋内を確認するように顔を近づけているようだが、その理由が判然としない。俺は声を掛けてみることにした。
「おい、健かっ? そこで何やってんだよ!」
「ちょっとごめん。今そっちにはいけない」
高柳からの返事。しかしそれは後ろからだった。つまりシルエットの男は高柳ではない。となると、次に推測できるのは何らかの理由――例えば、俺達と同じようにこの廃キャンプ場を使用するためにやってきた一般人だ。
やがてシルエットの人物は窓から手を離すと、俺から見て左へゆっくりと歩いていく。そちらに向かっていき左に折れれば、管理小屋の入り口がある。そこで映研のメンバーと顔を合わせることになり、シルエットの男が誰なのか、すぐにでも俺の知るところになるだろう。
――あれ?
俺は窓ガラスの一部分に違和感を覚える。カーテン越しに見える窓ガラスに、さきまではなかった染みができているのだ。そこはシルエットの男が手を置いていた箇所であり、その染みは人差し指と中指の跡のように見えた。
しかし、跡とはどういうことだろうか。指に濃色の液体でも付着していなければ、あれほどの濃さの跡は窓ガラスには残らないはずだ。
濃色。俺は最初、それがカーテン越しということもあって黒い色だと思い込んでいたが、別の色の可能性だってある。例えば血のような赤であっても、カーテン越しには黒に見えることだってあるだろうから。
血と赤を結び付けてしまったとき、城戸と高柳が口にしていた殺人鬼の血濡れた手がフラッシュバックのように過り、全身が総毛立った。
「そんなことあるわけがない!」
俺は敢えて声を出して否定する。確かにニュースの通り殺人鬼が〇△×町に潜伏しているのであれば、この場所はかなり危険だと俺自身も認識している。その
そもそも殺人鬼は無差別なのか。痴情のもつれだとか隣人トラブルの絡んだ怨恨による犯行ではないのか。そうであれば、縁もゆかりもない他人に殺意を向けるなど考えられない。百歩譲ってさきのシルエットの男が犯人だとしても、自分が殺人鬼ですといわんばかりに問答無用で襲い掛かってくるなど最早、B級映画の世界の出来事だ。大体、人を殺したいなら、こんな人気のない廃キャンプ場くんだりまで足を運ぶこともないはずだ。
「そんなことはあり得ない」
俺はそう結論づけると再び声にして吐き出す。すると
それはさておき、実際のところ例のシルエットの男は何者なのだろうか。もうそろそろ高柳辺りが教えに来てもいい頃だと思うが。
……ああああっ!!
刹那。叫び声が聞こえた。
何か、大層驚いたような絶叫。
突然のことに拘束された体を更に硬直させていると、また同じような叫声が内耳を震わせた。いや、今のは少し違う。何か恐ろしい物を目の当たりにして溢れ出た、喉笛も裂けそうな悲鳴という感じだった。
「お、おい、誰かっ。何かあったのかっ!」
俺は返事を求める。しかし返ってきたのは、またしても怖気を振るうような断末魔の叫びめいたものだった。拡散して去ったはずの不安が恐怖へと変質し、肢体にまとわりつく。
あるはずがない。そう思っているのに、弥が上にも〝あり得ない可能性〟を鮮明に脳裏に過らせてしまう。それは〈モジノラクエン〉に起きた
シルエットの男は本当に殺人鬼だったのかもしれない。
一言一句を噛みしめるように浮かべてしまった瞬間、冷静さをつかさどる何かにヒビが入った。
俺は拘束されていることも忘れて椅子から立ち上がろうとする。僅かに尻が浮き上がるが当然それ以上は動かない。更にじたばたして力任せに腕と足の拘束具を引きちぎろうとするが、やはり駄目だった。鳴河のくせに拘束具はいい物を使っているらしい。
「くっそぉ。早く鍵持ってこいよ、バカ野郎っ!」
しかし俺の切願は最早叶うことない。
「お前、お前なんなんだよっ!」
「いやっ、助けてっ!」
明確に聞き取れた高柳の叫び声と城戸の悲鳴。それは廊下で聞こえたかと思うとドアを乱暴に開ける音が続き、数人の入り乱れた足音で隣室が騒がしくなる。その後、何度か叫び声と物音が聞こえたが、やがて静寂が訪れた。
「健? 城戸?」
想像したくもない高柳と城戸の凄惨な姿が浮かび上がる。そして彼らを見下ろす、血の滴る武器を握った殺人鬼の姿も。
体が大きく
鼓動が激しく胸を打ち、息が苦しい。
急激に口が乾いて唾を飲み込むのもやっとだった。
思考も儘ならない中、不気味な静けさを打ち破るように、隣室からギィギィと誰かの足音が聞こえ始める。何かを引きずっているような音も。
それは扉を抜け、更に音量を上げた。俺のいる部屋に向かってきているのだ。
徐々に徐々に近づいてくる廊下の軋む音。小さな呻き声も混じっている。
城戸。そうだ、これはおそらくあいつの……。
凝視していたスタンドミラーに誰かが映り込む。やはり城戸だった。その後輩の撮影係は、口から赤い液体を垂らしながら虚ろな瞳を鏡越しの俺へと向ける。本当にあの城戸なのかと思うほどに、衝撃的な画だ。
「た、助け……て」
シャツの襟を掴まれて引きずられていたらしい城戸はそこまでを口にすると、部屋の隅に乱暴に放り投げられた。
城戸の苦痛の声が衝撃音によって掻き消える。彼女のいる場所は俺からはほぼ死角であり、足しか見えない。その後輩へと近づくダウンジャケットを着用した巨躯の男。目深にフードを被っているため、顔はよく分からなかった。只、手に持っている血塗れの
巨躯の男も俺の視界から消える。しかし振り上げたマチェットだけが再度そのどす赤い凶悪な刃を露わにして、すぐさま風を斬る音を発した。
二度、三度と振り下ろされるマチェット。その度に肉を割くような音と、城戸の「痛いぃっ」「止めてぇっ」という断末魔の声が響く。やがて両方とも聞こえなくなると、城戸のだらりと投げ出された足が痙攣したように跳ねる。しかしそれもすぐに終わった。
城戸は死んだのだ。
殺されてしまったのだ。
単なる一般人ではない。ましてや映研のメンバーでもない。巨躯の男は紛れもなく殺人鬼であり、それ以外の答えなど見つかりようがなかった。
うそだろ、そんな……。まさか、ほかのみんなも――。
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