第2話

「はい、カットォ!」

 

 樽井たるい賢太郎けんたろう会長が甲高い声で撮影を止める。俺は〝激痛で激しく歪んだ顔〟という設定の表情を元に戻すと、ふぅと大きく嘆息した。


「おつかれぇ、串田くしだ君」


 横に来た樽井会長が肩に手を置く。樽井会長は、某〝シェーポーズ〟を行う嫌味な男ばりの出っ歯を主張しながら、俺の望んでいた充足感をその顔に張り付けていた。


「おつかれです、会長。……で、どうでした? 最後の、恐怖に満ち満ちた断末魔の演技」

「良かったわよ。本気で頭削られているのかと思ったくらい」

「そうですか。良かった、撮り直しじゃなくて」


 樽井会長の満足感の発露に嘘はなかったようだ。今の言葉は、自分の関わる全てのシーンを撮り終わったという意味でもあり、俺の全身に得も言われぬ達成感が駆け巡る。


「あら? あれ以上の演技ができるなら、もう一回撮ってもいいわよ」

「勘弁してくださいよー、ははは」


 お姉系の入っている樽井会長はそこで「パーフェクト」とウインクすると、肩をポンと叩いてその場を退く。


 四年生である樽井会長は俺の所属する映画研究会の会長だ。全ての自主製作映画において脚本・監督・編集を担当しているのだが、今回の〈表現ゲーム ~化粧マスクの殺人鬼~〉でも当然、その全ての仕事を兼任していた。


 それにしてもパーフェクトの言葉には少々驚いた。キャストの演技にうるさい樽井会長にしては破格の褒め言葉だ。何か良いことでもあったのか、或いはあとで良いことが起こると確定しているのか――などと考えたとき、俺は頭の痛みを思い出した。

 刹那、怒りが沸き上がり、俺は叫んだ。


「おい、鳴河いるかっ!」

「はい」


 俺が呼ぶと、すぐに後ろから鳴河なるかわ結衣ゆいがやってきた。


 鳴河は三年である俺の二つ下、一年生の女性メンバーだ。

 どでかい丸眼鏡にぼさぼさのショートカットは女らしさの欠片すらなく、無論、ファッションにも頓着しない。誰もが容易に想像できる、偏見を体現したような陰キャのオタクそのものだ。


「電動丸鋸の刃、ウレタンフォームだったよな? なのに痛かったぞ」


 俺は美術係の鳴河に聞く。彼女はずり下がる眼鏡を上げると言った。


「すいません。ウレタンフォームの柔らかさですと鋭利な刃感が出せなかったので、ポリエチレンシートのハードタイプに変えました」

「は? 何勝手に変えてんだよ。聞いてないぞ、そんなこと」

「会長には言ったんですけど、伝わってませんか?」

「いや、伝わってないから痛いんだけどっ。お前さぁ、なんでもかんでも会長に言ったから終わりって違うだろ。俺の頭に当たるんだから俺にも直に伝えろよ」

「はあ、分かりました」


 気抜けた返事の鳴河。本当に分かっているのか疑わしいが、更に強く言ったところで同じような返事しか戻ってこないだろう。こいつはいつだってこうなのだ。


 取り敢えず鬱憤を晴らせたこともあり、この件は横に置く。代わりに、可及的速やかに解決してほしい問題を口にする。


「この拘束具の鍵は? 終わったから早く解放してほしいんだけどさ」

「鍵ですか。私のバッグにあると思いますけど」

「じゃあ早く持って来いよっ。ほらっ」

「はい」


 鳴河はぺこりと頭を下げると、踵を返して後ろの廊下へ向かった。


 本当に苛々させる女である。僅かでも女性らしさがあれば我慢できる部分もあるのだが、全くないときたものだ。せめて胸でも大きければと要らぬ邪欲が鎌首をもたげようとしたところで、鳴河と入れ替わるように〈ウェバーの亡霊〉がぬっと横から顔を出してきた。


「あんまりきつく当たんないでくれよ、裕司ゆうじ。貴重な美術専門なんだから」

「そうなんだけどな。どうにも腹が立ってしょうがないんだよ、あのイモ女は。つーか、そのマスク取れって。気持ち悪いから」

「あ、忘れてた」


 思い出したように、化粧マスクとその下に付けていた使い捨てのマスクを取る高柳たかやなぎけん。身長一メートル八〇強と大柄な高柳は俺と同じ三年であり、キャスト兼美術を担当している。 


 今回の役柄は殺人鬼ということで狂的なオーラを終始醸し出していたが、マスクを取ればそこにあるのは人懐っこい穏やかな顔だ。役柄とは対極の雰囲気と言ってもいいかもしれない。


「完全になりきってたな、殺人鬼に。本当に〈ウェバーの亡霊〉が宿ったみたいだったぞ」

「本当に宿ったらやばいけど、宿った感は出したつもりだから。というよりウェバーっていう人間を考えたら、宿るのは女性じゃないかな?」

「狂気自体に性別はないだろうし、そこは男でもいいだろ」

「狂気抜きにしても実際、どっちでもいいと思うけどね」


 そういえば、アダン・ウェバーについて検索をしていなかった。先日、樽井会長から教えてもらった情報は当然インプットされているが、今回の映画に深く関わる人物なのだから、自分でも調べておくべきだった。撮影は終わってしまったが、あとで検索してみることにする。


「それに、文章を作るっていう〈表現ゲーム〉との相性はバッチリですよねー。ウェバーは小説家だったわけですから。彼女の魂が、〈SAWソウ〉のジグゾーパズルに乗り移ったら、こんなゲームやりそうじゃないですかー」

 

 いきなり割り込んできたのは、撮影係の城戸きど彩花あやかだ。

 俺と高柳の一つ下の後輩であり、鳴河と同じく女性メンバー。しかし同じなのは女性であることのみであり、あのイモ女とは真逆に位置する生粋のギャルである。


 長い髪を金色に染めて両耳にイヤリングを付けているその様は、どう見ても映研で撮影係という感じではない。イベント系サークルで夜遊びしているほうが断然似合っているだろう。とはいえ、いてもらわないと困るのだが。


「ジグゾーパズルじゃなくて、ジグゾウな。そのジグゾウがこんなシュールなゲームするかよ」


 と、思わず口にした俺に高柳が「あ、バカっ」と浴びせる。高柳は背後を見遣るとほっとしたように嘆息した。


「会長の考えた案なんだぞ。聞かれたらどうすんだって。……まあ、確かに安易に〈モジノラクエンの呪い〉の噂に飛びついたのもどうかと思ったけどね。さてと、撤収の準備しないと。会長に怒られちゃう」


 高柳はそう述べると、城戸を連れて後ろの扉から出ていく。

 その途中に高柳が「そういえば、何か声が聞こえたんだよな。〝お前じゃない〟って」という話を城戸に話しているのが聞こえた。意味は分からなかった。


 一人になった俺はパソコンのモニターを凝視する。そこにあるのは未だ変わらず自由帳欄に書かれた文章のみで、何も異常は見当たらない。


 もう少し眺めていたら何か起こるかもしれない。そう思った自分に俺は驚く。怪異とは無縁と一蹴しながらも、どこかしら不安を掻き立てられていたのだ。

 

 原因はおそらくこの撮影場所の雰囲気にあるのだろう。

 埼玉県、○△×町、■地区。

 そこにある、廃キャンプ場の管理小屋という一種異様な雰囲気に――。

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