Faze 03

 今度は美緒の方からある人を呪って欲しいと頼まれたのは、あれから三日たった日の帰り際だった。

「これ」

 そう言って渡されたジップロックには長い黒髪が入っている。多分女の髪だ。

「いいけど、誰?」

「……同じ部活の子」

「部活って、バレー部でなにかあったの?」

「なにもないよ。ただ……」

 美緒は俯いて小さな声でつぶやいた。

「その子がいると邪魔なの。恨みはないけど、しばらく来ないでほしい」

 なるほど、そういうパターンもあるのか。確かにライバルがいなくなればそのまま不戦勝でポジションなりレギュラーなりを勝ち取ることもできるかもしれない。私自身は文芸部の幽霊部員なので、そういう使い方には気が付かなかった。

「わかった。やってみる」

「……その、誰にも言わないでね」

「当たり前じゃん。私と美緒だけの秘密だよ」

「うん。……ありがと」

 日頃とは違ってどこか躊躇いがちな様子の美緒はなんだか新鮮で、なぜだかちょっとドキドキした。


 三回目ともなれば呪いももう慣れたものだ。といってももともと複雑な操作は必要ないのだけど。むしろ私が気になったのは、相手を恨む気持ちがなくても呪いがかけられるのかどうか、ということだ。特にそういった説明は亮平さんから受けていないけど、やっぱり呪いと怨念というのはどうしても切り離せないもののようにも思える。逆に言えば、これで呪いが成功すればカースメーカーは使用者や対象者の状態に一切影響を受けることはない、と断定することができる。必要なのは電気と髪の毛だけで、後はスイッチを押すだけで機械的に呪いをばらまいてくれる。

 美緒の話を聞いてから、この機械にはまだ私が気づいていない賢い使い方があるんじゃないかという気がしているのだ。それがなんなのかはまだわからないけど、せっかく手に入れた特殊能力を使わずにいられるほど臆病にはなれなかった。


 そんな気持ちに呼応するように、カースメーカーは私の期待に応えてくれた。人伝ではあるが、隣のクラスのバレー部の子が急に高熱を出して倒れたという話を聞いたのだ。昼休みも美緒はその話に言及しなかったけど、すっかりいつもの調子に戻っていたからきっとうまくいったんだろう。

「ねえ香織、私ちょっと思ったんだけど」

 不意にそう囁いたのは優花の方だ。一度周囲を見回して、誰もこちらの話を聞いていないのを確認してから、また話し始める。

「例のあれ、もっと色んな人の頼みを聞いてみてもいいんじゃないかなって」

「それって、業者みたいに依頼を受けるってこと?」

「そうそう。そうすればさ、すごい大金が手に入るんじゃない?」

「んー、でも先生に目ぇ付けられるのも面倒だし、お金はいいかな」

「えー、いいアイデアだと思うんだけどなぁ」

 そういう発想自体は私も悪くないと思うけど、こういうのはお金が絡むと途端にめんどくさくなるということを去年の文化祭でやったクレープ屋で学んだのだ。そもそも私はお金に困ってないし、大金を手に入れても特に使う当てもなかった。すると今度は美緒があっけらかんとした調子で問い返す。

「じゃあボランティアならいいってこと?」

「ボランティア?」

「え、でも、人を呪ってるんだからボランティアではなくない?」

「そうかな? ……場合によっては、人助けになることもあると思うけど」

 ——ボランティア。それも駅前の掃除とか通学路の見守り活動とかじゃなくて、呪いを使った人助け。きっと今まで誰もやったことがない、私とカースメーカーにしかできないこと。その時私の中で何かが動き出したような気がした。スイッチが入った、とでも言うんだろうか。とにかく私はもっとカースメーカーを使ってみたかったし、そのためには良心をごまかすための言い訳が必要だった。

 ——自分のためじゃない。あくまで頼まれたからやるだけだ。

「……いいじゃん。やってみようよ」

 無言のまま二人は顔を見合わせて、やがて小さく頷いた。きっと二人も同じ気持ちなんだろう。だって私たちは、友達だから。


 まずは美緒を中心に色んな所で呪いの噂をばらまいた。半分笑い話としてだけど、こういう話には皆食いつきがいいのであっというまに噂には尾ひれがついて広まっていった。依頼人を探したり直接やり取りしたりするのは優花に任せた。三人の中で一番コミュ力が高いし、なにより私は黒幕でいたかったからだ。こういうのは正体を明かさない方がミステリアスでそれっぽく見えるものだと相場は決まっている。

 それが功を奏したのかはわからないが、二週間もすればさっそく最初の依頼人が現れた。ムカつく先輩がいるから痛い目に合わせてやりたいという単純な依頼で、私は特に何の感慨もなく優花伝いで依頼人から受け取った髪を使って呪ってやった。するとそれをきっかけにして次から次へと新しい依頼が舞い込んでくるようになった。とはいえ私の労力は微々たるものだ。貰った髪の毛をカースメーカーに入れてスイッチを押し続けるだけ。誰が誰を呪ったとかはわりとどうでもよくて、私がスイッチを押すたびに世界が変わっていくのがただ楽しかった。気づいたら野間はまた病院送りになっていたし、仲の良かった子も何人かは呪ってしまったみたいだけど、結局それも他の誰かがそう望んだ結果なんだからしょうがない。

 大人たちもなんとなく不吉な違和感を感じているみたいではあるけど、だからといって学校をお祓いしてもらうわけにもいかない。まさかこれが全部インチキみたいな呪いの機械のせいだなんて誰も考えはしないだろう。カースメーカーなんて物騒な名前をしているけど、私にとっては愉快で刺激的な最高の玩具だ。そしてふと亮平さんに使用感を報告するよう言われていたことを思い出した。私は通販の商品レビューを書くみたいに、頭の中をこね回して文章を考える。


『最初はちょっと怖かったけどやってみるとすごく楽しい』

『コンパクトで隠すのも簡単だから助かった』

『呪いの強さを調整できるともっといいかも』


 まあこんなところでいいだろうか。とりあえずそれを亮平さんに送って、私は今日最後の呪いの準備をする。最近になって気づいたことだけど、髪の毛を二本入れて同時に呪おうとしてもカースメーカーは動かない。構造上の問題なのか技術的な問題なのかはわからないけど、どうもそういう仕様になっているらしい。まあ別に呪いを効率化する必要もないと思うから、これで不満はないんだけど。

 その癖のない真っ黒な髪はぱっと見では男女どちらのものか判別できなかった。でも少なくとも私や美緒・優花のものではなさそうだったので、いつも通りトレイに入れてスイッチを押した。呪いがかけられるまでの三分弱、私はベッドに寝転がってぼんやりと天井を眺める。

 呪いを使ったボランティアというのは、最初はどこか言い逃れに近いものを自覚しないわけでもなかったけど、今は結構本気でそう思っている。確かに私が呪いで誰かを不幸にしているのは事実だ。だけどそのおかげで代わりの誰かが喜びや幸せを手に入れているという一面もある。私たちの幸せは誰かの不幸の上に成り立っている、というのはありきたりなセリフだけど、きっと真実なんだろうと思う。だとしたら私たちのやっていることは幸福の再分配だと言い換えることもできるんじゃないだろうか。それならちゃんとボランティアとしての条件を満たしている気がする。

 結局どんな道具も使い方次第で良いものにも悪いものにもなる。それでも私ならきっとカースメーカーを正しく使いこなすことができるという自信があった。亮平さんもそう思ったからこそ私にこの機械をプレゼントしてくれたんだろう。明日はいったい何人呪うことになるのか、私の指先一つでどんな風に世界が変わっていくのか、そう考えるとどうしようもなく胸がわくわくした。


 その時、突然「バンッ」という破裂音が部屋に響いた。驚いてベッドから飛び起きると、机の上のカースメーカーが白い煙を噴き上げていた。

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