ささやかな夢

真田紳士郎

ささやかな夢




 私のには108の夢がある。




 彼女自身が決まり文句のようにそう言っているだけで実際に何個あるのかは分からない。

 そんなにはないのかもしれないし、それ以上にあるのかもしれない。


「私の夢は武道館のステージに立つこと!」


 ただ私は、夢を語る彼女の顔を見るのが好きなのだ。


「私の夢は大観衆の声援を浴びながらランウェイを歩くこと」


「あの有名番組にゲストとして呼ばれること」


「自分のラジオ番組を持つこと」


「地元で凱旋ライブをやること」


 いつも彼女の夢は具体的だった。



 

 私の推しはアイドルだ。


 大きな規模で活動しているグループではない。

 世間でいう「地下アイドル」というものに分類されるだろう。


 都心のライブハウスで行われている特典会の列に私は並んでいた。

 『特典会』とは主に握手会やチェキ撮影会など、アイドルとファンとが交流する場の総称のことだ。

 握手をしたり、チェキを撮ってそれにサインやメッセージを書き込んでいる間、推しとふたりで会話ができるのだ。

 推しとの今日の思い出を残したくて私もチェキ券を購入している。


「また夢の話しを聞かせて欲しい」

「いいよ。私の夢は、私の投稿した動画が100万回再生されること!」


 推しのその真っすぐな瞳が可愛らしくて、思わず笑ってしまう。


「ねぇ、なんで笑うの? 私は本気なんですけど」


 スネたような態度で突っかかってくる。

 もちろん本気で怒っているわけじゃない。


「いつも色んな夢を語ってくれるよね」

「そりゃあもう。なんたって私には108の夢があるからね。まだまだあるよ」

「じゃあもっと聞かせて欲しいな」

「ダメ。チェキ一枚につき、夢は一つまでだよ」

「そうだったね。意外としっかりしてるんだから」

「まあね。私の夢をもっと知りたいなら、これからもいっぱい会いに来てね」


 悪戯っぽく笑う彼女の瞳がキラキラと輝いている。

 夢を持って自分の好きなことに打ち込んでいる人は素敵だと心の底から思う。


「ところでさ……今日はもう帰っちゃう?」


 八の字にした眉で問いかけてきた。

 後ろを見ると、さっきまでは大勢の人でごった返していた彼女のチェキ列が、あと少しで途切れそうになっている。


「もっと夢の話しを聞きたいから、チェキ券を買い増ししてくるね」

「やった! 待ってる!」


 途端、弾けるように満面の笑顔を見せてくれる。 

 これを見せられると私は弱いのだ。


「私の夢は、ソロ曲をもらうこと」


「私の夢は、雑誌の表紙を飾ること」


 彼女の夢を聞くのは私の至福の時間だ。


「私の夢は、配信者やってる高校時代の友達とコラボすること」

「また違う夢が出てきた」

「でしょ」

「それって、いつ聞かれてもいいように準備しているの?」

「そんなわけない。その時その時、思ってる夢をそのまま口にしてるんだよ」


 チェキにサインを書き込みながら彼女は笑って言った。

 夢を語る推しはいつも眩しい。

 彼女の話しを聞いてるうちに私の口角は自然と上がってしまうのだ。


「本当に、夢がたくさんあるんだね」


 独り言のようなニュアンスで私はつぶやいた。

 その途端、彼女は視線をチェキから私に移して不思議そうな表情で見つめてきた。

 推しの大きな瞳の中に私の顔が映っている。


「なんで? あなたにもあるでしょ、夢」


 あなたにもあるでしょ、夢───。

 

 突然の思いがけない問いかけに私は返答に詰まってしまった。


「夢、ないの? 何もないってことはないよね?」

「……そりゃあ、あるにはあるけど」

「なに? あなたの夢、教えてよ」

「ひとに聞かせるような夢じゃないから」

「なんで? 私の夢を聞いてばっかりで自分のは教えてくれないの? ずるい。よく『夢は口にした方が叶う』って言うじゃん。言ってよ」


 笑いながら彼女は手厳しく非難してきたが、私は手を横に振るだけだ。

 そんな私たちの背中にスタッフが「お時間でーす」と事務的な声で終了を告げてくる。

 チェキ撮影会、ほんの数十秒間のふたりの時間。


「それじゃあ、また来週ね」


 チェキを受け取ろうとすると、推しがチェキをぐっと握ったまま渡してくれなかった。

 えっ? と私が戸惑っていると彼女は、


「次に会う時は、あなたの夢を聞かせてもらうからね」


 そう茶目っ気たっぷりな表情で言ってからパッとチェキを手放すものだから、私は呆気あっけに取られてしまった。

 たまにこちらの予想もつかないことをしてくる。そういうところも可愛いのだが。

 私はチェキを財布にしまって、じゃあねと手を振る。


「絶対に聞かせてよ! 約束!」


 スタッフに促されて離れていく私の背中に彼女は言葉をかけてくる。

 私は振り返らなかった。




 帰りの電車に揺られながら流れていく景色を無言で見つめる。

 さっきまでの特典会の喧騒が遠く感じられるほど、夜の電車内は静かだった。

 熱心にスマホを見つめる若者、身体を寄り添ってひそひそ声で語り合う男女、寝息をたてているスーツ姿の男。

 誰も他人には関心がない静寂の空間。

 窓に反射する無表情な自分と目が合った。


 これから私は電気の消えた誰も待っていない部屋にひとりで帰る。


 私と推しとは、ひと回り以上も年齢が離れている。

 これまでの社会人生活の積み重ねで、私には自分の人生の先行きが大体は見えてしまっていた。可能性だってたかが知れている。

 自分の将来に大きな夢も希望も持てはしない。


 だけど、推しの未来は私のそれとはまるで違う。

 まだ若いうえに可能性がいくらでもある。

 これからどんな選択肢でも獲得していける。

 ステージで歌い踊ってファンを増やし続けている彼女の姿を見ていると、そう感じられるのだ。


 自分なりのアイドル像をやりきって芸能人生を終えていく場合もあるだろうし、

 アイドルを卒業して、役者やタレントなど別ジャンルに転向する場合もあるかもしれない。

 きっと推しはこれから何者にもなっていける。


 それをそばで見届けられるのは、何者にもなれなかった自分にとって救いなのだ。


 栄えている駅で停車すると、私の乗っている車両からはほとんどの乗客が降りて行った。

 車内でひとりになったのをこれ幸いと、私は今日推しと撮ったチェキを取り出してスマホで撮影した。

 今まで推しと撮ったチェキはすべて保存してある。


 久しぶりに最初の頃の写真を見返すと、今では考えられないほど初々しく緊張した面持ちでチェキに映る推しの顔が表示されて、私は思わず笑ってしまった。

 こんな時期もあったなぁ、と懐かしく思う。

 

 いろいろな偶然が重なって出会えた推し。

 正直にいえば、最初の頃はそこまで好きという感じではなかった。

 けれど、ライブを観る回数を重ねるごとにステージ上での彼女の魅力にハマり、特典会での会話で人となりを知れば知るほど心を惹かれていった。

 今では、もっとたくさんの人に彼女のことを知って欲しい、好きになってもらいたいと心から思えるのだ───。


 ガタンッと大きな音を立てて電車が止まったので、私は我に返った。

 今はどのへんかな? 駅名を見て私は慌てて立ち上がる。もう降車駅だったのだ。

 間一髪、ドアが閉まる寸前で降りる。

 危うく乗り過ごすところだった。


 推しとの思い出にひたっているうちに、自分の降りるべき駅に着いてしまっていた。


 いい大人なのに……我ながら情けない。

 苦笑いを浮かべて改札を通り過ぎる。

 駅舎の外へ出ると、真っ暗な駅前には無数の車のライトが集まっていた。

 同じ駅で降りた人たちが、家族の出迎えの車に乗り込んでいく後ろ姿を見ながら、私は暗い帰り道をひとり歩き始める。


 


 私の推しには108の夢がある。


 そのすべては叶わないかもしれない。

 だけどひとつでも多く、推しの夢が実現してほしいと祈っている。



 推しが夢を叶えていく姿を見守るのが、私の夢なのだ。





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ささやかな夢 真田紳士郎 @sanada_shinjiro

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