継承者
真っ白な部屋、ホワイトルーム。
脈絡なく、そこに招かれたアナタは、自ら女神と名乗る女性と話をしていた。
「あなたが見た光景は、この世界ではありふれた悲劇です。あのような悲しい出来事、無情な現実、熾烈な戦い。数え切れないほどの不幸が、この世界には満ちている」
女神は強く訴える。
「ヤマト、と言いましたか。あなたが一部始終を見ていた彼も、あなたと同じ地球人、日本人でした。彼は自らの意思で、戦う道を選んだようだけど。残念ながら、あのような結末になってしまった」
「……僕は。僕もああやって、この世界で戦わないといけないのか?」
アナタがそう問うと、女神は素早く否定する。
「いいえ。あなたは、他の異世界人とは違います。彼らはただ、この世界に偶発的に呼ばれただけ。しかしあなたは、明確な理由を持って”選ばれた”」
ただの異世界人ではない。
アナタは、”特別”であると。
「かつてこの世界は、希望に満ちた素晴らしい世界でした。人々は幸福を知り、あらゆる生命が躍動していた。けれども14年前、”絶望の如き厄災”に見舞われ、世界は崩壊寸前に。それから現在まで、あなたの見た地獄のような光景が続いています」
何も知らないアナタに、女神は語る。
「きっと、あと10年と持たないでしょう。世界は闇に覆われ、人類は滅びる。そんな結末を、わたしは望まない。ゆえに、あなたをここへ呼んだのです」
「……分からない、な。どうして僕を? 別に、特別な人間じゃない」
「いいえ。気づいていないでしょうけど、今のあなたは、ここへ来る前のあなたとは違います。その体には、世界を救えるだけの力が宿っている」
「僕に、力が?」
アナタは、自分の手を見つめてみるも。
以前と、何ら変わりはない。特別な力も感じない、色白の手がそこにあるのみ。
「あなたが見た光景。あれに出てきた怪物など、比較対象にすらならない。強い、弱いという次元ではなく、世界そのものにも匹敵します」
「……よく、分からないけど。つまり僕が、あの怪物たちを根絶やしにして、この世界を救えと?」
「いいえ、違うの。そんな原始的で野蛮な方法じゃなくて、もっと手っ取り早い方法があるのよ」
そう言って、女神が指し示すのは。
このホワイトルームの中でも異質な、”真っ黒な木”。
「あの、おぞましい木が見えるわね?」
「ああ」
「あれこそが、この世界に闇を振りまく、”全ての元凶”です。ゆえに、あなたの持つ力で木を”破壊”すれば、それで世界は救われます」
そんなにも簡単に、世界は救えるのか。
「どうか、どうか。この残酷な物語を、あなたの手で”終わり”にしてください」
終わり。
その言葉に、アナタは息を呑んだ。
なぜ、どうして。理解不能という考えに、アナタの脳は埋め尽くされる。
「……なぜ、僕が選ばれたんだ? そんな大層な役目に、僕がふさわしいとは思えないけど」
「それはもちろん、あなたが善人だからです。強力な力には、正しい心が必要です。故にあなたは選ばれ、この場に存在している。この凄惨な世界を終わらせる、救世主となるために」
無意識に、アナタの拳に力が入る。
それは違うと、自分が一番良く分かっているから。
「さぁ。元凶たる呪いの木を、その手で打ち砕くのです」
女神が、高らかに声を上げるも。
アナタは微動だにしない。
「僕が選ばれた? 凄惨な世界を、終わらせるために?」
「ええ」
「こんな僕に、そんな役目が?」
「ええ!」
妙に、不思議な。
アナタが動かないことに、女神は苛立っているようだった。
「よりにもよって、こんな僕に……」
「自分を卑下しないで。――さあ早く、世界を終わらせてください!」
急かせるような、女神の声。
しかしそれに反するように、アナタの頭は冷静になっていく。
「……おかしいんじゃ、ないか?」
「え?」
アナタの言葉に、女神は戸惑う。
「どういう選考基準なのか知らないけど。世界を救うとか、終わらせるとか。そんな重大な責任を負うのは、僕には無理だと思う」
「な、何を言っているの? あれを壊せば、世界が救われると言っているのです。そしてあなたには、それを可能にするだけの力がある。あなたは良い心の持ち主でしょう? なのになぜ、ためらうのです」
「……確かに僕は、悪人じゃないけど」
アナタは知っている。自分がとても臆病で、何よりも”終わり”を恐れていると。
自分でも笑ってしまうほど、くだらない性分。物語や世界、そういったものが終わるのを、アナタは耐えられない。
ゆえに、おかしいと感じる。
世界を救う、悲劇を終わらせる。そんな大役が、自分にふさわしいはずがないと。
「それに、あなたが焦って見えるのも、僕は不思議に思う」
「わたしが、焦っている?」
「ああ。どうしてそんなに、ことを急がせるのか。そもそもあなたは、本当に神様なのか?」
アナタの質問に、女神の顔がこわばる。
「言ったはずです。わたしはこの世界の代弁者、女神のような存在であると。それが信じられませんか?」
「そうだね。僕も、不思議に思うよ」
「ならば、あの黒い木を壊してください! そうすれば、わたしの言うことが真実だと分かるでしょう」
何かがおかしい。
この部屋で目覚めた時から、ずっと感じていた違和感。それがどんどん、大きくなっていく。女神の主張と重なるように。
「それで、この世界が救われる?」
「ええ、もちろん。わたしは、嘘など1つも吐いていない」
ピキッ、と。真っ白なホワイトルームに、大きなヒビが入った。
それは違うと、まるで自白するかのように。
「これは?」
「か、関係ないわ。さぁ今すぐ、世界を救ってください。もう限界なのです!」
女神の訴えが、大きくなるにつれて。部屋のヒビも大きくなっていく。
「あなたの手には、全てを終わらせる力がある!」
「……だったら、僕を選ぶべきじゃなかった」
アナタの声が、鼓動が。
強く己を主張する。
自分は、ふさわしくない。
すると、
ホワイトルームが、粉々に砕け散った。
塗り固められた嘘が、暴かれるように。
正しい姿に、戻るように。
そう。最初から、全てが嘘だった。部屋の名前も、色さえも。
ホワイトルームなど、真っ赤な嘘。いいや、”真っ黒”というべきか。
純白だった部屋は、まるで反転したかのように暗黒に染まっていた。まるで、あの映像の中で見た、ダンジョンとやらの中のように。
自分に話しかけていた女神は、もはや”人の形”すらしていない。
それは地面に這いつくばる、”一匹のヘビ”であった。
そして、女神が壊すよう訴えていた黒い木も、まるで正反対。
この漆黒の領域で、唯一の輝きを放つ。
とても神聖で、”美しい純白の木”がそこに在った。
周囲の穢れに抗うように、その木は輝きを放ち続け。
薄っすらとではあるが、内部には”人影のようなもの”が見える。
絶対に、壊してはならないもの。
「それで、女神様?」
これはどういうことなのかと、アナタが問いかけると。
「――本っ当に、癪に障るわね」
女神と名乗っていたもの。地面に這いつくばるヘビは、ようやく本性を表した。
「何なのよ、あなた。わたしがここまでお膳立てしてあげたのに、どうして役目を果たさなかったわけ? 普通、これだけ持ち上げられたら、言うことを聞くものでしょう」
「……それは、悪かったよ」
あなたには世界を救う力がある。そんな言葉を、女神のような存在に言われれば、きっと普通の人は喜んで力を振るうだろう。
しかしアナタには、その”度胸”がなかった。
アナタの優柔不断さが、世界の終わりを回避へと導いた。
「あのクソガキ共、どういう基準でこいつを選んだのよ。ようやく、全てを終わらせられるはずだったのに」
もしもアナタが、あの美しい木を壊していたら。いったい、何が起こったのか。
少なくとも、幸福な未来は訪れなかったであろう。
「世界を救うなんて、嘘だったのか?」
「ええ、そうね」
女神に化けていたヘビは、あっけらかんとした様子で答える。
「あのクソッタレな木はね、この世界を延命させてる柱なのよ。あれさえ壊せば、この世界に”とどめを刺す”ことができる。まぁ、そういう意味では、”救い”とも言えるんじゃない?」
悲劇を終わらせる。確かに、嘘ではない。
世界そのものが崩壊すれば、苦しむ人々も居なくなるのだから。
「……」
自分の手を見つめて、アナタは震える。
もしも本当に、自分にそれだけの力があって。もしも言うことに従って、あの木を壊していたとしたら。
自分はあと少しで、世界を終わらせるところだった。
「なにはともあれ。僕は、あなたの企みには協力できない。元の世界に戻すか、僕をここから解放してくれ」
「……そうね。騙せなかった以上、わたしの計画も失敗だから。どうぞ勝手に、出ていったら?」
ヘビがそう言うと。
真っ黒な部屋の、扉が開く。
「あの扉を通れば、元の世界に戻れるわ。どうぞ、つまらない人間さん。もうあなたに用はないから、さっさと消えてくれないかしら」
「……そうだね。悪い夢を見たと思って、このことは忘れるよ」
急に、凄惨な世界の光景を見せらせて。急に、世界を救えと言われて。化けの皮を剥がしてみれば、とんでもない出来事に巻き込まれるところだった。
ここが、本当に異世界だとしても。あんな凄惨な光景を見た以上、こっちで生きてみたいとも思えない。
自分に、そんな度胸はない。
故にあなたは、帰り道へと足を運んでいき。
「――さようなら」
扉をくぐった瞬間。
”真っ黒な何か”によって、アナタは押し潰された。
◇
「あーあ。本っ当、馬鹿な人間だったわね」
ずるずると、のろまな動きで。ヘビは真っ黒な部屋から出てくる。
そこに居たのは、恐ろしく巨大で、強靭たる”黒き竜”。
あらゆる生命を否定する、絶対的な捕食者の如く。
部屋から出てきた彼を、その手で押し潰した。
「あぁ、我が愛しの魔神竜。流石に14年もあれば、あなたも復活してるわよね」
14年前の、あの決戦。激しい戦闘の末に、黒き竜は撃破された。
氷漬けにされ、粉々に砕かれてしまった。
しかし、14年という歳月が経ち。この領域に満ちる”影”を取り込むことで、再びこの竜は元の姿、力を取り戻していた。
魔神竜が蘇っている。それを察していたからこそ、ヘビは彼を外へと向かわせたのである。
「プランが少し狂ったけど、まぁいいわ。あなたがこの人間の力を吸収して、代わりに終わらせなさい。あの時と違って、もう邪魔をする者は居ない。ようやく、わたしの悲願が達成されるのよ!」
大切なのは、”力”によって、”純白の木”を破壊すること。それさえ果たせれば、力の持ち主が誰であろうと関係ない。
すでに力の大半が失われた、このヘビには不可能ではあるものの。復活を果たした魔神竜ならば、十分に可能なことであろう。
自身を持って言い切れる。
この世界に、この宇宙に、この竜よりも強い生き物は存在しないのだから。
唯一、拮抗しうる者たちも、今は人としての形を失っている。
「ほんと、馬鹿ばっか。あなた達の決死の抵抗も、結局は無駄。世界の終わりが、ほんの少し遅くなっただけじゃない」
純白の木を見ながら、ヘビはあざ笑う。
元々の彼女は、数千年の時を生きる魔女である。その人生の大半を、”終わり”へと費やし。
そして今、その集大成が果たされようとしていた。
「アンカーは繋がったまま。この柱さえ壊せれば、数多の並行世界が連鎖崩壊を引き起こす。さぁ、魔神竜よ! 宇宙に響き渡る偉業を、あなたの手で果たすのよ!」
押し潰した、その人間の力を吸収し。
より強大な存在となって、この世を終わらせる。
とても単純で、悪意に満ちた魔女の計画。
だがしかし、
「……」
ヘビの声に、魔神竜は応えない。
影に侵された、そのおぞましい巨体と、真っ赤な瞳を持って、地に這うヘビを見下している。
「ちょっと、何をしているの? わたしの声が聞こえないのかしら。さっさとその人間を食べて、世界を――」
まるで、ツバを吐くかのように。
魔神竜は、その口からエネルギーを放射し。
地を這うヘビを、一瞬で”消し炭”へと変えた。
「ウルサイ、ゴミ、ダ」
それは、完全なる誤算であった。
14年という歳月と、この領域に満ちる邪悪なエネルギー。確かにそれが合わさることで、この魔神竜は復活を遂げた。
しかし、あまりにも多くの”影”を取り込みすぎた結果、この竜の力は、14年前よりも遥かに増大しており。
一種の、自我のようなものすら持ち始めていた。
故に、死に体のヘビの命令など、聞くはずもなかった。
部屋から出てきた”彼”を潰したのも、ただ目障りだっただけ。
そして、今。支配者であるヘビが消えたことで、魔神竜は完全なる自我を獲得するまでに至った。
すなわち、”魔王”の誕生である。
「セカイニ、ホロビ、ヲ」
この世界に広がる、膨大なる闇と影。その根源の近くに、ずっと存在していたのだから。
もはや魔神竜の自我は、まともな生命体のそれではない。
魔神竜が見つめるのは、自らの頭上。すなわち”地上”である。
影による侵略を受け、滅びに瀕している世界。
絶望にあえぐ人間たちが、地上にはまだ大勢残っている。
「ワレガ、オワラセル」
魔神竜は、翼を広げた。
ただそれだけ、動いただけで、世界が震えるようだった。
ヘビという支配者が消えたことで、もはやこの怪物を制御できる者は存在しない。
封じ込めていた領域、ダンジョンすら破壊して、この怪物は世界を殺し尽くすだろう。
それがこの世界、この物語の結末。
――くだらない。何千年も費やした計画なのに、こんな終わり方になるなんて。
塵に等しい、ヘビ、魔女の残滓がそう呟く。
圧倒的な力で世界を焼き払うなど、まったく美しくない。
”あの力”で、”あの白い木”を破壊することで、至高なる結末を迎えるはずだったのに。
魔神竜の裏切りにより、遥かに矮小な結末となってしまう。
それが何よりも、無念であった。
とある世界、アヴァンテリアの結末。
穢れた闇に世界は覆われ、人類は邪悪な竜によって滅びされました。
そんな、ありきたりな。
『――いいえ、終わらせない』
その結末に、待ったをかけるように。
純白の木が、微かな輝きを放つと。
”1本の大剣”が、木の内部より解き放たれた。
それは、希望。
例えるならば、魔王に対抗するために生み出された、勇者の剣のようなものだろう。
勢いよく解き放たれた大剣は、魔神竜の足へと突き刺さった。
だがしかし、希望の抵抗はそこまで。
純白の木が生み出したのは、たった1本の大剣のみ。
そしてその大剣も、魔王を滅ぼすほどの力を持たない。
魔神竜は天を見上げ、その口にエネルギーを収束させる。
それは、滅びの一撃。
世界を引き裂くような、圧倒的な破壊の力。
解き放たれれば、地上まで到達し。成層圏の彼方まで突き抜けていくだろう。
絶対に、撃たせてはいけない。この攻撃に、世界はきっと耐えられない。
滅びへの歩みが、途方もなく加速してしまう。
だからこそ、誰かが。
誰かが止めなければ。
「……ン?」
魔神竜は気づく。
自分の体が、口の角度が、傾いていることに。
その原因は、己の下にあった。
「――まったく」
竜の足が、持ち上げられていく。
自分よりも、遥かに小さな存在。虫のように、踏み潰したはずの存在に。
『後は、お願いね』
安心したように、純白の木は輝きを失う。
それと共に、無骨な大剣が魔神竜の体から抜け落ちた。
それを使うにふさわしい、担い手のもとへと。
「何が、なんだか」
”アナタ”は、竜の足を押しのける。
何一つ理解できず、何が起こっているのかも知らず。
ただ、そうするべきだと思い。自分より遥かに巨大な竜を、投げ飛ばした。
この人がいいよ。
どうして?
純粋な善人でも、心の強い人でもダメ。あの性格のわるーい魔女は、きっと対策をしてくるから。案外、こういう人のほうが良いと思う。
なるほど。わたしにはよく分からないけど、―――が言うなら信じるよ。
ありがとね、―――ちゃん。
女神でも、ヘビでもない。
とある2人の人間によって、アナタは選ばれた。
――後は任せたよ、”ユウキ”さん。
選ばれた理由も、応援の声も届かない。
それでもアナタは、ユウキは。
しっかりとした足で大地に立ち、巨大な竜へと対峙する。
これは、プロローグ。
最初にして、最大級の戦いが始まった。
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