第31話 本当の恋人

 立ち上る陽炎かげろうの熱風が、冷たい瘴気しょうきの風とぶつかり合って霊気の火花を散らす。

 眼前には恨みと苦悶に満ちた悪霊どもの形相。舞台袖ではクラスメイト達が予定外の展開に目を見張り、客席では劇の演出と思った観客達が口々に悲鳴や歓声を上げている。


 ――ドウシテ……ドウシテ、ソノダケ……――


 冷たい手で心臓を掴んでくるような群体の声に、背後のちえりが身を震わせるのがわかった。


 ――私達ワタシタチダッテ……シアワセニ……シアワセニナリタカッタノニ――!


「耳を貸すな、ちえりっ!」


 次々と伸びてくる悪霊の腕を霊気の障壁バリアで押しとどめながら、ちえりの方を咄嗟に振り返ると。


「あっ……だって……」


 彼女は、同情とも共感ともつかない哀しさに満ちた目で、俺の背中越しに有象無象の悪霊どもを見上げていた。


(そうだ……初めて会った時から、コイツは――)


 コミュ障のくせして――いや、だからこそ、他人の言葉には敏感で。

 自我のない悪霊の声にも耳を傾けてしまうような、そんなヤツだったのだ。


 ――アナタモ……コッチニテヨ――


 無数の群体の手が、薄暗いもやの中からちえりを手招きしている。

 陰キャ少女の感受性に感心している場合じゃない。あまり負の感情に共鳴しすぎると、本当に連れて行かれてしまう。

 俺は胸の前でいんを組んで気力を高めつつ、背後のちえりに目配せした。


「しっかりしろよ……悪霊コイツらと違って、お前には俺がいるんだからな……!」

「あっ……そ、そうですよね……」


 ちえりが安心したように唇を緩ませた、その瞬間。

 俺の意識も安堵に傾きかけた、その一瞬を突いて、悪霊の腕が障壁バリアの一部を打ち破って伸びてきた。


「……!」


 ちえりには触れさせない――

 彼女を庇って広げた俺の腕を、悪霊どもの冷たく湿った手がガシリと掴んでくる。

 いや、霊体が生者の体を掴めるはずもないが……瘴気しょうきの渦に腕を取られた俺の目には、どちらでも同じことだった。


「くっ……!」

「イツキ君っ!」


 鼓膜を震わすちえりの叫び。俺の背中に駆け寄ろうとする彼女の前に、無数の悪霊達が俺の頭上を越えて割って入ってくる。


 ――ソレナラ……二人フタリ一緒イッショニ……レテッタゲル……――


 話の流れをわかっているかのような群体の声に俺は耳を疑った。悪霊コイツら、botのくせにそんなことまで……!


 ――カレ一緒イッショナラ……サミシクナイデショ――?


 悪霊に両腕を捕らわれたまま、俺は必死にちえりを振り返る。


「あっ……」


 狼狽うろたえる心を霊に付け込まれたか、彼女がその口元に逡巡の色を浮かべかけた、その時――。


「ダメよっ、浅桜さん!」


 客席の最前列で立ち上がって声を張ったのは、四月一日わたぬきさんだった。

 俺とちえりと、他の皆の注目が集まる中、怖がり屋のクイーンオブ陽キャが恐怖を振り切った顔で声を震わせる。


「行ったらダメ! 浅桜さんも宮島君も、私の大事な友達なんだから!」


 危ない――!

 俺が思った時には、野生の獣のように激昂した悪霊の群体が、その声の主に矛先ほこさきを変えて襲いかかろうとしていた。

 助けに走ろうにも、俺の腕だけは瘴気の渦が掴んで離さない。

 極限まで引き伸ばされた時間の中で、俺の視界に映るのは、足がすくんで動けない四月一日さんと、劇のサプライズ演出か何かと思って唖然としている周りの生徒の顔と――

 疾風の速さで客席の前に飛び出し、数珠を持った手を突き出す鈴鳴りんなさんの姿だった。 


曩莫のうまく三曼さんまん縛曰羅ばざらだん!」


 彼女の唱える不動ふどう明王みょうおうの真言が、霊の干渉を遮る霊気のカーテンを形作り、客席一帯を包み込む。


躊躇ためらうな、イツキっ!」


 普段の彼女とは別人のような勢いで、姉弟子は俺に叫んできた。師匠が乗り移ったかのような鋭い声色で。


「姉弟子……!」


 新月にいづきさんが、四月一日さんが、周りの皆が、そしてちえりが俺を見ている。

 皆の力でぎ着けたこの大舞台で――これ以上、無様な姿は見せられない!


「――ッ!」


 腕に纏わりつく瘴気の渦を強引に振り払って、俺は即座にだい金剛こんごうりんいんを組み上げる。霊気のカーテンに行く手を阻まれた群体が、真っ直ぐ俺に向かってくる。


婆娑羅ばさらおん摩利支まりしえい娑婆訶そわか!」


 振りかぶって突き出す腕の先、拮抗きっこうする霊力が、バチバチと爆ぜる火花となって炸裂した。

 苦しみ藻掻もがく悪霊どもが、なおも往生際おうじょうぎわ悪く、俺の肩越しにちえりに手を伸ばしてくる。


 ――アナタハ、ワタシタチトオナジデショ……ダカラ……一緒イッショコウヨ……――


 舞台のスポットライトの下、皆の注目を浴びる陰キャ少女は――


「あっ……ご、ごめんなさい……」


 俺の背中を見て、客席の皆を見て、舞台袖のクラスメイト達を見て。


「わっ、私は……あなた達と一緒には行けない……」


 悪霊の群体をしっかりと見据えて、その意志を告げていた。


「あっ……確かに、私は……あなた達と同じだったかもしれないけど……」


 霊から目を離さないまま、そっとピアノに向かうちえり。

 コミュ障は事前に台本がないと喋れない、なんて言っていた彼女は今、


「ずっと、そんな自分を変えたかったから……やっと変われる気がするから……」


 大勢の人の目の前で、台本でも何でもなく、己の思いを己の言葉で口にしていた。


「すっ……好きな人と一緒に、リア充になりたいからっ!」


(! ちえり――)


 そして、ピアノの前に腰掛けた彼女は、衣装の胸元のリボンクリップをすっと外して――

 重たい前髪を白い手でかき上げ、

 前髪を無造作にクリップで留め、あらわになった双眸そうぼうでキッと悪霊を見据えて、眼前のピアノを奏で始めた。


(この曲は――)


 アミカの動画とも、劇のシナリオとも違う。幽霊幽霊した物悲しい選曲ではなく、この場の誰もが知るであろう流行りの歌手のヒット曲。

 アップテンポな勢いに満ちた、明るく楽しい青春の曲を――美少女の細い指が、軽やかに奏でていく。

 場内にはどよめきの一つもなく、誰もが静まり返ってその光景を見つめることしか出来なかった。


 ――ドウシテ……アナタハ……――


 群体どもが身をよじり手を伸ばす、その悪あがきをも弾き返すように。

 ぱっちりと綺麗な瞳を隠すことなく見開いて、ちえりは演奏に没頭し続ける。今の自分には、この世で楽しいことがいくらでもあるんだと言わんばかりに。

 それは、かつて同類だったかもしれない霊達への、コミュ障らしく場違いな鎮魂曲レクイエム――。

 その姿に見惚みとれていた俺は、ハッと我に返り、苦悶にゆがむ悪霊たちと向き合った。

 呼吸を整え、数珠を握る手に力を込める。これが最後の仕上げだ。


八百万やおよろず千年ちとせを兼ねて定めけん、奈良の都は陽炎かぎろいの、春にしなれば春日山かすがやま……御笠みかさの野辺に桜花さくらばな、人もかねば荒れにけるかも」


 言霊ことだまの一言一言を噛みしめるたび、温かな霊力の風が轟々ごうごうと勢いを増していく。

 ちえりの輝く瞳を見返し、俺は心の中で亡者の群れに誓った。

 ――許せ、名も無き死者たち。お前達が幸せになれなかった分まで、コイツは俺がどうにかしてやる。


怨敵おんてき調伏ちょうぶく! おん婆娑羅ばさら阿毘哆耶あびてや摩利支まりし娑婆訶そわか!」


 渾身の力を込めて放つ摩利支まりしてんの熱波が、天井まで届く悪霊どもを飲み込み――

 巨大な群体が音もなく爆散して、白い煙が天井を突き抜けて立ち昇った。

 ややあって、戦いの終結を悟った客席から、拍手と歓声の波がステージを包んでいく。

 ふうっと大きく息を吐いて、俺がひたいの汗を拭ってちえりを見ると――。

 いつしか演奏を終えていた彼女は、ピアノの椅子から立ち上がり、その端正な素顔を衆目に晒したまま、ふふっと笑って俺に歩み寄ってきた。


「いっ、イツキ君……」


 ……ちょっと待て、まだ皆見てる前だよな?


「あっ……わっ私は、約束を守りましたよ……」


 控え目に、だがしっかりと俺を見つめて自己主張してくる、可愛すぎる素顔の陰キャ少女。


「だっ、だから……イツキ君も、約束……果たしてくれますよね……?」

「今ここでどうしろと!?」

「あっふふっ……お付き合いしてくれるって言ったじゃないですか……今度こそ、本当の恋人として」


 俺の退路を塞ぐその一言に、たちまち客席からどよめきが起こった。

 舞台袖のクラスメイト達も、わっと声を上げて俺達を見守っている。


「あっ、大丈夫……今なら皆、文化祭ドリームってことで大目に見てくれます……」

「なんで毎回そういうことには頭が回るの!? ねえ!?」


 助けを求めるように客席に視線を振っても、鈴鳴さんはニヤニヤしながら見守っているだけだし、新月さんは面白がってカメラを指差す始末だし、四月一日さんは両拳を握って「ファイト」と目で言ってるし。

 どこにも俺の味方がいないのは明らか――いや。

 この場を取り巻く誰もが、なのか……。


「……いや、いいんだけどさ。その……」


 ここで空気を読まないと、後々の学校生活でどんな思いをすることになるかは、俺にだって理解できるし。

 元々、約束をたがえる気があったわけでもないし。ただちょっと、今この場で求められるとは思ってなかっただけだし。それと……。


「その、何ですか……?」

「いや……前髪上げたお前がさ……その、普段と違いすぎて……直視に堪えないっていうか……」

「えっ……イツキ君が出せって言ったんじゃないですか……」

「わかってるって……。だからつまり、舐めてたんだよ……お前の可愛さを」


 かぁっと顔が熱くなるのを感じる。霊障かな……?

 周囲のはやし立てる声が一層盛り上がるのを感じる。ああもう、後は野となれ山となれだ。


「わかったよ。これからはお前と……本当の恋人になってやる」

「あっ……そ、それって、私が放っておけないからですか……? 心配だからですか……?」

「ほんとグイグイ来るなお前……」


 心配とかじゃない、ちゃんとした理由をこの場で言えってこと?

 カップル系ゆうチューバーでも受けないだろ、そんな拷問。


「イッツー、がんばれー」


 完全に俺で遊んでいる姉弟子の声。新月さんも乗っかって何か言ってくる。


「ちゃんと動画に使ってあげるから」

「師匠に全殺しにされればいいのに……」


 とまあ、あれこれ引き伸ばしてみたところで、この空気の中で俺が果たすべきことは変わらないわけで……。

 観念した俺は、ちえりの目をまっすぐ見下ろし、除霊のとき以上に入念に呼吸を整えて、本心のままに告げた。


「だからさ……。陰キャに見えて割と前向きだったり、コミュ障に見えてしっかり人のこと見てたり。遠慮屋に見えて、実は図々しい要求ばっかりぶつけてきたりする……そんなお前と」


 ここに至るまでのドタバタを思い返し、コイツの性分を数え上げるたび、ちえりの紅潮した頬がさらに赤く染まっていく。

 俺は、ついつい恥ずかしさにらしそうになる視線を、それでも頑張って固定して――

 いつから思っていたか自分でもわからない、それでも、いつからか確かに胸を占めていた本音を言い切った。


「放課後の幽霊でも、眠れる美少女でもない、生きたお前と……。俺も本気で、付き合いたいって言ってるんだよ」


 心臓の動悸がバクバクと高まる中、ようやく「仮」の外れた恋人は、嬉しそうに俺の目を見て。


「末永くよろしくお願いします。死が二人を分かつまで」


 そう言って、あの夕日の中の別れ際と変わらない――いや、それ以上のとびきりの笑顔で、にこっと微笑んできた。

 沸き起こる万雷の拍手と喝采の波が、恥ずかしさで死にそうな俺の意識を塗りつぶしていく。……そんな中で、本能がどうしても一つツッコミを入れたがっていた。


「お前、『あっ』て付けずに喋れたの!?」

「あっ……いっ今だけ頑張りました……」


 ふふっと照れ笑いする彼女は、どんなに可愛くても、やっぱり浅桜ちえりなのだった。



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