第30話 除霊師のステージ

『軽音楽部の皆さん、ありがとうございました。続いては、1年A組の出し物です――』


 体育館内に響き渡るアナウンスに続いて、クラスの女子がマイクを持ってステージに出る。

 直前のライブの熱狂もまだ止まない中、彼女は観客を見渡して話し始めた。


「本日はご来場ありがとうございまーす。私達、1年A組は、『放課後の幽霊少女』って劇をやります。えっと、最新のプロジェクション・ナントカ?……を駆使した、迫力の映像表現にもご注目くださーい。あっ、でも、上手く発動するか分かんないそうなので、しくじったら笑ってやってくださいねー」


 俺の注文にちゃっかり笑いどころまで付け加えて、客席のウケを取っているクラスメイト。

 敵わないな……と思った直後、照明が消え、大道具係の男子達が手はず通りにグランドピアノをステージに運び込んでいく。


「浅桜さん、お願いねっ」

「練習通り、練習通り」

「はっはい……がんばります」


 陽キャグループの皆に小声で励まされ、ちえりは暗闇の中、ステージ下手しもてのピアノに向かって歩いていき――

 しぃんと静まり返った場内に、やがて、物悲しいメロディだけが響き始める。

 普段通り前髪に覆われた幽霊少女のの横顔を、かすかに照らし出す白い照明。幽玄さをかもし出すその雰囲気は、まるで本当にこの世のものではない存在のようで――。

 この場の誰よりちえりの演奏を知っている俺でさえ、周りの仲間や観客達と一緒に息を呑まざるを得なかった。


 それから、舞台が再び暗転して、校内のシーン。

 一般生徒役の女子二人が、ステージの上手かみてから、わざとらしい足取りでぶらぶらと歩いてくる。


「文化祭の準備で、すっかり遅くなっちゃったねー」

「夜の学校って怖いねー」

「ねえねえ、知ってる? この場所って、昔は墓場だったんだって」


 棒読みと自然体の中間を行くような、彼女達なりの迫真の演技。

 客席がそれでも真剣に見守ってくれる中、暗がりの下手しもてから、冷たく切ないピアノの音色が再び響いてくる。


「な、何か聞こえない?」

「そういえば、ここの音楽室って、ピアノを弾く女の子の幽霊が出るんだって……」


 二人が顔を見合わせたとき、ほのかな明かりがピアノのあたりを照らして――

 物言わぬ幽霊少女の影が、ステージの床を伝って背景へと長く伸びる。


「キャーッ!」

「出たぁーっ!」


 マンガみたいな悲鳴とともに、脱兎のごとく逃げ出す女子達。

 三たびステージが暗闇に包まれ、上手かみてにハケて裏に戻ってきた二人を、クラスメイト達が声には出さずねぎらう。


(……もうすぐ来る、か)


 ステージを見守っていた俺は、スマホにも四月一日わたぬきさんからの連絡が来ていないのを見て、武者震いに震える片手をぐっと握り締めていた。

 これまで、漏れ出るように小出しで生徒をおびやかしてきた悪霊どもが、肝心の今日はどこにも現れていないという。それはもちろん、霊の脅威が去ったことを意味するのではない。俺達の劇が佳境に入る、まさにここぞという場面で、それを台無しにしようとカタマリで襲ってくる可能性が最も高いはずだった。

 その予感を裏付けるように、先程から不穏な霊気をゾクゾクと感じる。恐らくはこの体育館を覆い尽くすくらいの勢いで……辺りをさまよう悪霊どもが、群体ぐんたいとなって姿を現そうとしているのに違いない。


「宮っち、緊張?」


 と、陽キャ男子のささやき声。そういうことにしておこうと思って頷くと、傍らの女子も「宮島君も緊張とかするんだ」とヒソヒソ声で言ってきた。

 にばかり気を取られてもいられない。劇の方もいよいよ俺の出番だ。

 二次元から出てきたようなコスプレ衣装のえりを正し、衣装係の二人と目配せし合って、俺は数人のクラスメイトと共にステージに出る。


「何だい、わざわざ他校生の俺に用ってのは」

「私達、SNSであなたのウワサを聞いて来たの」

「ってことは、絡みのトラブルかい?」


 両手で軽く幽霊のジェスチャーをしながら、さりげなく客席を見渡すと、最前列には私服姿の鈴鳴りんなさんと、パーカーのフードを深く被った新月にいづきさんの姿が見えた。ステージを真正面から撮影できる位置に、三脚スタンドに据え付けられた撮影機材も見える。

 ちゃっかりその近くに陣取っているのは、友達数人に囲まれて目をキラキラさせている四月一日さん。

 あっちもオールスターキャストだな……なんて思いながら、俺はどこぞの名探偵のように口元に手を当ててカッコつけ、劇中の心霊相談に耳を傾けていた。

 ピアニストの夢にも恋にも破れ、自ら命を断った少女の霊が、夜な夜な音楽室に現れては生徒を呪っている……とか。


「お願い、厳島イツクシマ君。霊媒探偵のあなただけが頼りなのっ」

「ふっ、いいだろう……そのかわり、調査費用は高くつくぜ?」

「えっ……」

「そうだな、駅前の喫茶店のスペシャル・デラックス・パフェでも奢ってもらおうか……」


 俺が言うと、客席のあちこちから、こらえきれない笑いが漏れだした。

 ちなみに、このコテコテすぎる除霊師のキャラ付けは、ちえりのリクエストを随所に取り入れた結果だそうで。アイツは一体俺に何を求めているんだろう、と稽古けいこ中から何度も思ったものだ。


(笑いの力で霊を祓うってのもアリだったかな……?)


 そんなことを考えつつ、現実の霊の気配にも気を配りながら、俺は台本通りの演技を進めていく。

 やがて、場面は、ちえり演じる幽霊少女と俺が、二人きりの音楽室で対峙するシーンへと差し掛かった。


「……」


 ピアノの椅子に腰掛けたまま、一言も言葉を発することなく、前髪越しにすっと俺を見据えてくる幽霊少女。

 皆には自前の小物ということで通している霊水晶を顔の前に掲げ、肌を刺すような霊気を感じながら俺は告げた。


「この霊水晶は、霊の秘めたる記憶を映し出す。名も無きカワイコちゃんよ、見せてもらおうか。お前の過去に一体何があったのか」


 そして、俺とちえりは下手しもてから一旦退場し、背景が切り替わって回想シーンが始まる。

 代わりにステージに出たのは、ちえりと近い背丈の女子と、陽キャグループの一員の男子だった。

 ピアノ少女とイケメン青年の間に交わされる、ほのかなラブロマンス。

 その進行をステージ裏で眺めながら、俺はワンピース姿のちえりの傍で声をひそめる。


「ちゃんとやれてるじゃん」

「あっ、ふふ……」


 黙ってピアノを弾いていただけなのに、その頬は本番の空気に紅潮しているように見えた。

 緊張を抑えるように、胸元のリボンの裏のクリップをパチパチと手でもてあそんでいるちえり。

 ステージ上の二人が悲恋の回想を演じ終え、再び場面が入れ替わる。

 皆が見守る中、俺とちえりは再びグランドピアノを挟んで向かい合う。


「音楽家の夢を絶たれ、恋人の最期を看取みとることも叶わなかった……その未練が、お前の魂を現世に繋ぎ止めているのか……」


 会場を覆うリアルな霊気の高まりを感じながら、俺は語る。

 横目に見た客席からは、鈴鳴さんが張り詰めた表情で俺を見据えていた。彼女がコクリと小さく頷くのを見て、俺は数珠を握り締め――


「だけどな……これ以上、!」


 最後の引き金とばかりに、ちえりの前できびすを返して虚空を見上げ、俺は本心を乗せて叫んだ。

 観客達がハッと息を呑む空気。クラスメイトが台本に仕込んだ渾身のどんでん返し。

 幽霊だと思っていた眼前の少女は、霊に支配されてピアノを弾かされていただけで――あの悲恋の回想は、この子に取り憑いた悪霊のものだったのだ。


「生者の魂をもてあそびし悪霊よ――真の姿を現せ!」


 そしてついに――劇中と現実が同調し、予期していたが、禍々しい瘴気しょうきもやの中に姿を現す。

 オオオォォ……と、風音とも唸り声ともつかない、引き絞るような異音とともに。ステージの照明を遮る勢いで、俺とちえりを見下ろすように現出したのは、数えきれない悪霊が束になった巨大な群体だった。


「出たな……!」


 客席や舞台袖から口々に悲鳴が上がる。ちえりを庇う形でピアノの傍に立ち、悪霊どもを見上げる俺の耳に、何あれ何あれと騒ぐ皆の声が舞い込んでくる。

 背後にはハラハラとしたちえりの息遣い。俺が群体に向かって数珠を突き出したとき、瘴気しょうきの中からおぞましい悪霊どもの声が響いてきた。


 ――ウラヤマシイナ……タノシソウデ……――


 魂に直接響くような霊体の声と、それと重なって鼓膜を震わせる場内のざわめき。


 ――私達ワタシタチモ……シアワセニ……ナリタカッタ……――


 群体に取り込まれた霊たちに、もはや生前の自我はない。死の前に抱いていた未練の残滓ざんしを、ただbotのようにわめき続けるだけだ。

 それでも……いや、だからこそだろうか。

 名も無き無数の霊たちの無念が、俺の胸にはいつになく強く響いてくるような気がした。


(まさか、コイツら――?)


 悪霊どもの伸ばしてくる腕を霊気の障壁バリアで遮りながら、背後のちえりを振り返る。

 もはや初見でもないその光景を――彼女は、それでも、吸い寄せられるように見上げていた。


 ――アイサレタカッタ……――


 群体の声を受けて、ちえりの唇が「あっ……」と声を漏らす。

 その頬を伝う涙を見た瞬間――

 彼女の何が悪霊を呼び寄せていたのか、今初めてハッキリと理解できた。


(……そうか、ちえり)


 浅桜ちえりと出会ってからのあれこれが、走馬灯のように俺の脳内を駆け巡る。

 形だけでも俺と付き合い始めて、コイツが嬉しかったのも本当だろう。初めて何人もの友達に囲まれて、充実していたのも本当だろう。

 それでも。心の奥底では、お前はずっと――


(ずっと……俺が本当の恋人になってやらないのが……寂しかったんだな)


 その時、悪霊どもが吐き出す霊気の風に押し飛ばされ、俺は冷たいステージの床に背中を叩き付けられた。


「くっ……!」


 全身の痛みに耐えながら、それでも体勢を立て直す。劇の演出だと思ってくれているのか、観客達の緊迫した空気がここまで伝わってくる。


「イツキ君っ……!」


 劇の設定を無視したちえりの声。それに被さるように、悪霊の手が彼女に向かって伸びる。


 ――アナタモ、一緒イッショニ……――!


「させるかっ!」


 ちえりと霊の間に割って入るさなか、脳裏をよぎるのは、彼女と初めて会った日の思い出。

 あの日のアイツも、俺が来るのが一歩遅ければ悪霊に呑まれていたかもしれない。群体に魂を取り込まれ、眠り姫は二度と生きて目を覚まさなかったかもしれない。


(だけど……俺がいる)


 あの時も今度も。コイツを悪霊のお仲間になんかさせない。

 客席の姉弟子達や四月一日さん達の顔を見て、俺は数珠を握る手に力を込める。

 コイツには居るべき場所がある。生きるべき理由がある。勝手に連れて行かせなんかしない。


おん阿抳底あにち摩利支まりしえい娑婆訶そわか!」


 ここから先は台本にはない。クラスの誰も知らない、本職の除霊師のステージだ。


「何度だって……俺が守ってやる!」


 陽炎かげろうの気をほとばしらせ、俺は壇上で啖呵を切った。



----


現在、本作はカクヨムコン9に参加中です。

エピソードへの応援、作品フォロー、★評価を頂けると励みになりますので、よろしくお願いします!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る