第29話 最後の準備

 そして、それからもクラスの皆と様々な準備を重ね、ついに迎えた文化祭当日の朝。

 いつものように前夜から浅桜家に泊まり込んでいた俺だが、この日ばかりは普段より二時間ほど早く起き、ちえりを連れて自宅のマンションに一旦戻っていた。

 きたるべき除霊対応に備えて霊力を高めるべく、自室のシャワーで簡単なみず垢離ごりをするためだったが――。


「あっふふっ……イツキ君、お背中お流ししますよ……」

「そうくると思ったんだよなあ」


 浴室に立ち、冷たいシャワーを浴びて精神統一を図っていた俺の耳に、確かに響く不穏なセリフと扉の開く音。固く目を閉じていても伝わってくる、「ぬっ」とバスルームに侵入してくる幽霊少女の気配。

 万一の場合に備えて腰にタオルを巻いておいてよかった……。いや、万一も何も、絶対こうなる気はしたんだよ。一時的にでも男の部屋に上げるのはどうかと思って、わざわざ隣の鬼灯かがち姉妹の部屋に預けてきたのに……。


「お前……一応聞くけど服着てるだろうな」


 シャワーの滝に打たれたまま俺が聞くと、閉じたまぶたの向こう、「ふふっ」とニヤけるちえりの顔が見えたような気がした。


「あっ、大丈夫……ちゃんと水着に着替えてます……」

「わざわざこのために自分ちから水着持ってきたの!? バカなの!?」

「あっいえ……さっき鈴鳴りんなさんが貸してくれて……」

「その事実を聞いて俺はどう反応すればいいわけ?」


 幼馴染の水着を着た恋人(仮)カッコカリって、どういう人に刺さるシチュエーションなんだよ。

 俺は念のため腰のタオルを片手で押さえつつ、ダメ元で「しっしっ」と眼前のちえりを追い払う仕草をしてみるが、この無茶振りコミュ障が一発で引き下がるはずもなく。

 逆に、パタンと後ろ手にバスルームの扉を閉める音がして、人並みの体温を纏ったちえりの気配が一歩近付いてきた。


「あっ……鈴鳴さんは恋する乙女の味方だそうです……」

「こういう行動は止めてやるのが本当の味方じゃないですかねえ!」


 この場に居もしない姉弟子に正論をぶつけてみたところで、この新手の拷問みたいな状況が変わるわけでもないが……。


「あのさあ、お前がいると精神統一にならないんだけど。誰のためにやってると思ってんの?」


 しょうがないので代わりに本人に正論をぶつけてみると、ちえりは今にも息がかかりそうな距離で(たぶん)水しぶきを浴びて、「つめたっ……」とか呟きながら。


「あっ……だっ大事な戦いの前に、ちょっとでもイツキ君を鼓舞できたらと思って……」

「その大事な戦いの前の垢離ごりをお前がジャマしてくれちゃってんの!」

「ごっ、ゴリって何ですか……?」

「神道でいうみそぎっていうか、邪念を落として霊力を高める的なやつ」

「あっ……つまりイツキ君は……私の水着姿にちゃんと邪念を抱いてくれるんですね……」


 何が嬉しいのか、ふふっと再び笑うちえり。

 なんかもう、コイツ自身が邪念のカタマリって感じなんだけど……。陰キャがどうとか幽霊がどうとか以前に、この子は女子としてこれでいいんだろうか。

 はぁ、と俺はわざと溜息をついて、「ほら出てけ、煩悩幽霊」と退出を促すが。


「あっ……じゃ、じゃあ、私も一緒に滝行を……」

「お前がやってどーすんだよ。シャワー一つしかないし」

「えっと……じゃあ……そっそうだ、終わったらお体拭いてあげますよ……」

「じ、ぶ、ん、の、体を拭いてろっ! そこのタオル使っていいから、そんで服着て大人しく待ってろ!」


 三度目の正直とばかりに俺が声を張ると、ちえりは「ふぇっ……」と声を震わせて……いや、これは素直に引き下がったんじゃない、シャワーを浴びて寒くなっただけだな。

 ともあれ、ようやくちえりが浴室から出ていく気配がしたので、気を取り直してプチ滝行の続きを……なんて、今更やる気になるはずもなく。

 やむを得ずシャワーを止め、外の気配をうかがいながら、目を閉じたまま扉に手をかける俺だった。


「服着ただろうな?」

「はっはい……」

「お前がウソついてて、そのせいで何が目に入っても俺の責任じゃないからな?」

「あっ、大丈夫です……」


 そこまで言うなら信じてやろうかと、俺が浴室から出て恐る恐る目を開けると……。

 視界に飛び込んできたのは、濃紺のを着て体を拭いている、水もしたたるちえりの姿だった。


「何それ!?」


 胸元にはご丁寧に「2-3 鬼灯」とかネームラベルが付いたままだし。人のカノジョ(仮)になんてもん貸してんだ、あの姉弟子は……。


「あっふふっ……みっ水着という服を着てるので、ウソは――」

「い、ふ、く、を、着用しろっ! 学校指定の制服をっ!」


 新しいバスタオルを引きつかんで、バスマットの上できびすを返す俺。

 背後では、引き際を知らないコミュ障が「わっ私のスク水姿でドキッとしましたか……?」とか何とか寝言を言っている。マジでどっかに除霊師のツテとか無いもんかな……。

 それからも何度かのグダグダを経て、ようやくまともに制服を着直したちえりは、濡れた髪を俺のドライヤーで乾かしながら、生意気に鼻歌なんか口ずさんでいる始末だった。


「ったく……みず垢離ごりが不十分だったせいで悪霊に負けても知らねーぞ……」


 そこまで本気で危機感を抱くわけでもなかったが、とりあえず当てつけのつもりで言っておくと、ちえりは口元をふっと緩めて。


「あっ、だっ大丈夫ですよ……イツキ君なら……」

「その謎の信頼は何なんだよ」


 こういう時だけは邪念なく言ってくるので、それ以上突っ込む気も失せてしまった。

 ……まあ、こういうのは結局、気の持ちようだし。

 コイツが信頼して委ねてくれるなら、それはそれで悪くないのかもしれなかった。



***



 そうして、朝からとんだトラブルを挟みながらも、再び並んで電車に揺られ、学校の最寄り駅に降り立った俺とちえり。

 クラスのグループLINEでは、どこの出し物が楽しみとか、どこの模擬店に行くとかいった話が早くも飛び交っている。


「てか、今更だけど、お母さん来ないの?」

「あっ……来ないでって言っておきました……さっさすがに恥ずかしいので……」

「恥じらいの概念あったんだ」


 そんな会話を交わしながら、多くの生徒や他校生で賑わう校内へ。

 というか、来ると言えば姉弟子も後で来るはずだけど、会ったらさっきの水着の件を小一時間くらい問い詰めないとな……。


「あっ浅桜さんと宮島君ー、今来たのー」

「同伴出勤じゃん」


 と、俺達を見つけたクラスメイト達がさっそく取り囲んでくるのも、今や予想の範疇内だった。


「あっ……おっおはようございます……きっ今日は絶好の文化祭日和びよりで……晴れてよかったですね……」

「あっそれ、アミカさんの『絶好の心霊日和びより』ってやつのマネ?」

「えっ……いえ、日本の普通の挨拶かと……」


 なんて、いつか俺ともやった会話を陽気なクラスメイトとも交わせるようになったのは、ちえりなりの成長かもしれない。

 ちなみに、くだんのアミカこと新月にいづきさんはといえば、後ほど鈴鳴さんと一緒に、公開収録の体裁で俺達のクラスのステージを撮影しに来ることになっていた。数日前、俺がその提案を皆に伝えた時から、アミカファンの女子達が大喜びしているのは言うまでもない。


「浅桜さんっ、B組のタピオカ屋さん行こー」

「ダンナ様もご一緒にいかがですかぁ?」

「旦那は勘弁してって言ってんじゃん……」


 数人の陽キャグループに連行されるようにして、隣のクラスの模擬店へと足を向ける俺達。

 看板を持って客引きを担当していた四月一日わたぬきさんは、俺達を見つけるや、満面の笑みで手を振ってきた。


「来てくれたのねっ。今更だけどタピオカいかがっ?」


 どうやらそれが、「いまさらタピオカ」の看板を掲げたこの模擬店の宣伝文句らしい。


「あっ……わっ私、タピオカなんて、流行ってる時に一度も飲まなかったから……ふふっ、ほんとに今更ですね……」

「えっホント!? 浅桜さんも令和のJKなら一度はタピっといた方がいいわよっ」

「あっ……いっ一度もタピらずに死んだら、タピの河原でえ積みの刑ですかね……」

「? ごめん、それはちょっと、何言ってるのかわからないけど」


 相変わらず、波長が合うのか合わないのかよくわからない陰キャ代表と陽キャ代表。それでも、カップを受け取って初めての味を口にするちえりは、掛け値なしに楽しそうで。

 それは、大一番の前の束の間の息抜きとしては申し分ない時間だった。


「ところで、どうかな、例の件」


 皆と一緒にタピオカドリンクを賞味しながら、俺がそっと小声で尋ねると、四月一日さんは「うん」と小さく前置きして。


「今のところ、どこからも幽霊を見たとかの話は入ってきてないわよ。上級生のほうでも、特に変なことは起きてないみたい」

「そっか……ありがと」

「いいえっ。もし劇の前に何かあったら、すぐラインで知らせるわね」


 情報収集は得意技だからとばかりに、にこっと微笑みかけてくる陽キャクイーン。

 彼女自身にも怖い思いをさせてしまったというのに、俺が今日の作戦を話すと、彼女は快くアンテナ役を引き受けてくれたのだ。これが終わったら、この子にも何か奢らないとな……。


 そんな賑やかなひと時を経て――

 お昼時を挟んで、いよいよ俺達のクラスの出し物の時間が目前に迫る。

 コスプレ感満載の霊媒師の衣装に着替えた俺は、同じくクラスメイトお手製のお嬢風ワンピースを纏ったちえりと一緒に、体育館のステージ裏で皆に囲まれていた。


「あれ、なんか装飾増えてんじゃん」


 胸元のリボンを指して俺が言うと、ちえりは「ふふっ……」と笑って。


「あっ、さっき、野々村さんが付けてくれて……」

「ちょっと見た目が寂しかったからね。ウチに余ってたリボンクリップだけど」


 衣装担当の女子が横から得意げに言ってきた。その彼氏も隣で頷いている。

 ギリギリまで準備に妥協しない……クラスメイト達の熱意に、俺は胸が熱くなる思いがした。


 そして本番直前。一つ前の出し物である軽音部の演奏が響く中、今日の劇の司会を担当する女子に、俺はメモ用紙を渡して最後の頼み事をする。


「これを最初の説明で言ったらいいの? 『最新のプロジェクション・ナントカを駆使した迫力の映像表現にもご注目ください』……って、実際そんなの無くない?」

「やー、アミカさんのツテでさ。ちゃんと発動するか分かんないけど、ちょっと特殊な演出を手伝えるかもしれないって。だから頼むよ」


 言うまでもなく、それは神月しんげつアミカの来場にかこつけた作り話だった。想定通り、ステージの上で本物の除霊を披露することになった時のための。

 司会の子はキョトンと首をかしげていたが、すぐに笑って言ってくれた。


「いいよ、宮島君がそうしてって言うなら、何でもやったげる」

「ありがとう。よろしく」


 お礼を述べながら、俺はポケットの数珠を握り締める。

 皆の輪の中から、ちえりが前髪越しにこちらを見つめてくるので、俺は「任せとけ」とばかりに小さく頷いた。


 ――さあ、来るなら来い悪霊ども。こっちは準備万端整ったぞ。



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