第27話 友達だから

 ――さみしいよ。あそんでよ……――


 ほの暗い闇の底から、誰かの声が響いていた。


 ――だれか……わたしに、きづいてよ……――


 声の主を探して見やった先には、はかない煙のような霊気を放つ押し入れのふすま

 ああ、これは夢か……。ちえりの怪談で聞いたおしゃべりミカちゃん、希望小売価格6,980円が呼んでるんだな……。


 ――だれか……わたしを、あいしてよ……――


 人形の切ない声に引かれ、やれやれという気持ちで俺は襖に手をかける。

 その時、ガタッと音がして襖が倒れ、その奥からい出てきた等身大の影は……。


 ――あっふふっ……私チェリーさん、今あなたの目の前にいるの――



「ひぃぃっ!!」


 目を覚ますと、朝の日差しの中、眼前数センチの距離にちえりの寝顔があった。


「出たぁっ!」


 脊髄反射で身を引こうとして、自分が寝袋にくるまっていることに気付く。

 咄嗟に腕を出すこともできず、床の上で芋虫のように身をよじることしか出来ない俺の耳に、寝ぼけたテンションのちえりの声。


「ふぇ……あっイツくん……おはょーござましゅ……」

「言えてない言えてない。いやお前、なんでベッドから降りてるんだよっ」

「あっ……な、なんでですかね……体がイツキ君を求めてたのかも……」


 ゆっくりと上体を起こし、とろんとした声のまま首をかしげる幽霊少女は、中身がこのキャラであることを除けば普通にあざと可愛かったりして……。だから、ちえりのくせに生意気なんだって、そういうの。


「あんまり変なこと言ってると除霊するぞ」

「ふぇっ……イツキ君にぎゅってされたら成仏できるかも……」

「アイアンメイデンにでも抱かれてろっ」


 パジャマ姿の華奢な体から目をそらし、やっとのことで寝袋から這い出て体勢を整える俺。

 ちえりのお母さんが部屋の外から「大丈夫ー?」と間延びした声を掛けてくるのに、申し訳なさ全開で「大丈夫ですっ」と返しつつ、逃げるような勢いで部屋からまろび出て洗面台を借りに向かう。

 こんなドタバタがもう一週間以上も続いているが、幸か不幸か、ちえりの前に悪い霊が寄ってくる気配はない。が……。


「イツキ君が泊まりに来てくれるようになってから、朝が賑やかになったわね」

「はは……お騒がせしてすみません……」

「ところで、オバケの方はどうなの?」


 世間話みたいなテンションで聞いてくるちえりママに、俺は自前のタオルで顔を拭きながら「ええと……」と言葉を選ぶ。


「出るには出てるんですけど、ちえりさんの身には今のところ危険はないです」

「出るには出てるの。大変ねえ」

「ええ……」


 実際、なんとも報告のしづらい状況ではあった。

 あれからも何度か、文化祭の準備中にクラスメイトが変な声を聞いたとか、幽霊みたいな人影を見たといったプチ騒ぎはあったが、鈴鳴りんなさんが皆に配った御札おふだのおかげか、いずれも大事には至っていない。衣装作りを担当してくれている二人も、すっかり元気になって学校に来ているし。

 だから、それほど大きな問題はないと言えばないのだけど……。それでも、一つ一つは些細な現象とはいえ、こうも続けて皆の前に霊が現れているというのは、何だか薄気味悪い事態ではある。


「あっ……や、やっぱり私の存在が霊を呼び寄せちゃってるんですかね……」


 と、いつの間にか部屋から降りてきていたパジャマ姿のちえりが、すうっと話に入ってきた。


「わっ私みたいな、いとやんごとなききわにはあらぬ陰キャ風情が、分不相応に皆にチヤホヤされてときめきたまっちゃったりしてるから……。ふふっ、ねたそねみを募らせた霊たちが、わっ私に嫌がらせしようとして……」

「そんな、桐壺きりつぼ更衣こういじゃねーんだから」


 誰もが古文で習う源氏物語の冒頭を思い出しながら、俺は言う。


「姉弟子も言ってただろ。悪霊ってのは大抵、ネガティブな感情に引き寄せられるんだよ。お前が楽しい気持ちでいるなら大丈夫」

「あっ……ですかね……」


 口元に安堵の笑みを浮かべ、朝食のテーブルへ俺をいざなうちえり。

 そう、気休めでも何でもなく、俺もそう思っていたのだが――。



***



 その日の放課後、俺達はクラスの陽キャグループと体育館のステージに上がり、劇の流れを確認していた。

 どこのクラスも躍起になっている文化祭準備。場所を借りられる時間は限られているので、稽古は効率的にこなさなければならない。


「じゃあ次ー、ピアノのシーン。簡単にでいいから弾いてみてー」

「はっはいっ……」


 クラスメイトに促され、グランドピアノの前に座るちえり。物静かな幽霊を演じて……いるわけでもなく普段通りだが、幽玄ゆうげんという言葉がピッタリハマる雰囲気で、物悲しいメロディを奏で始める。


「アミカさんの動画で見てたけど、浅桜さんって本当にピアノ上手いよねー」

「いつも聴けるイッツー君が羨ましいよねー」


 姉弟子の呼び名をまだこすってくる女子の発言に、俺は「いつも聴いてるわけじゃ……」と苦笑するが。


「またまたぁ、夜な夜な浅桜さんちに通ってるくせにー」

「愛の調べを奏でてもらっちゃってるんでしょー?」

「勘弁してよ……」


 なんかそういう怪談ありそうだな、なんて思いながら幽霊少女の演奏を聴いていると、入口の方から慌ただしい足音。


「大変大変っ! 三葉みつばちゃんがっ!」


 黄色い声を響かせて俺の方に駆け寄ってきたのは、顔馴染みになった四月一日わたぬきさんの友達の女子だった。


「宮島君っ、ちょっと見てもらっていい!?」

「えっ、なんで俺――」

「だってフツーじゃないんだもんっ」


 周りの皆も何だ何だとざわめく中、その鬼気迫る勢いに嫌な予感がして、俺はちえりを一瞬振り返ってからステージを降りる。一緒に来いという意味と思ったのか、ちえりも俺達の後ろをパタパタと早足で付いてきた。


「ウチのクラスの模擬店の準備してたら、三葉ちゃんが急に悲鳴あげて……。フツーの貧血とかじゃなさそうだし、保健室の先生より宮島君かなって……」


 教室への廊下を急ぎながら、荒い息でそんな説明をしてくる陽キャ女子。彼女達にはただの心霊マニアの顔しか見せていないはずなのに、俺のことを一体何だと思っているんだろう……と思うが。

 B組の教室に辿り着いたとき、俺は彼女のカンが間違っていなかったことを知る。


「三葉ちゃん大丈夫っ、宮島君連れてきたよっ!」


 そこには、別の女子に付き添われ、心配そうに声を掛けられながら、教室の壁に背中を預けてへたり込んでいる四月一日さんの姿があったからだ。

 傍らには、「いまさらタピオカ」なんて文字が踊る描きかけの看板と、キャップが外れたままのマーカーペン。

 青ざめた表情で俺とちえりを見上げてくる四月一日さんは、冷凍庫の中にでも放り込まれたかのように、両肩を抱いてカタカタと体を震わせていて。


「四月一日さん……!」


 楽しそうな雰囲気をうらやんだ浮遊霊にでも行き会ったか。霊障は明らかだった。


(しまった……)


 姉弟子の御札を持っていたのは、俺のクラスメイトの一部だけ。

 毎日のように顔を合わせる機会はあったんだから、余った御札を押し付けるくらいしておけばよかった――なんて、今は後悔している場合じゃない。


「俺と二人に……いや、ちえりも居ていいから、とにかく俺達だけにしてっ」

「えっ……うん、宮島君ならヘンなことしないよねっ」

「しないしない」


 友達二人が「お願いっ」と口々に言って出ていくのを見送り、同じく顔面蒼白のちえりを視線でなだめつつ、俺は四月一日さんの前に片膝をついた。


「み……やじま、くん……?」


 清めの塩を振りまき、ポケットサイズの霊水晶を取り出した俺を、朦朧とした意識で見上げてくる陽キャクイーン。

 ちえり以外にこの学校で俺の力は見せたくなかったが、姉弟子を今から呼び出している余裕はない。四月一日さんなら口はカタいと言ってたし、皆に言いふらしはしないだろう。

 そういえば、実際にちえりとの仲も黙ってくれてるんだよな……なんて、今になって思い返したりする。


おん呼呂呼呂ころころせん荼利だりとう娑婆訶そわか……!」


 薬師やくし如来にょらい真言しんごんを唱え、霊水晶を通じて彼女のひたいから力を送り込む。

 ちえりがハラハラした表情で見守る中、温かな生命力の波が彼女の体に行き渡るのが感じられて――

 やがて、四月一日さんは、一度閉じたまぶたをぱちっと開き直し、正気の戻った視線を俺達に向けてきた。


「宮島君……浅桜さん……」


 まだ微かに震えている彼女の声。どんなに驚いただろうと思っていたら、次に口から出たのは意外な言葉だった。


「ありがとう、宮島君……。宮島君は、本当にそういう人だったのね。ずっと、そうだろうなって思ってたの……」

「え……」


 思わず絶句する俺。

 彼女の前では、姉弟子や新月にいづきさんにも口裏を合わせてもらっていたし……。お泊まり会の時の怪談も、あくまでそういうネタってことで済ませたはずなのに。


「わかるわよ、私、人を見る目はあるんだから。……その力で、浅桜さんのことも助けてあげたんでしょ?」


 壁に背を預けたまま、にこっと笑いかけてくる四月一日さん。

 ずっとバレバレだったのか……。面映おもはゆいやら照れくさいやらで、俺が無意識に視線をそらしたとき、


「あっ……わっ私、やっぱり……文化祭に出るのは、やめた方がいいですよね……」


 ずっと黙って事態を見守っていたちえりが、唐突にそんなことを言い出すので、俺は唖然となってその顔を見た。


「だ、だって……わっ私のせいで、四月一日さんにまで苦しい思いをさせちゃって……。こっこれからも、悪霊が私を妬んで襲ってくるんだったら、私が主役を降りるしかないのかなって……」


 顔をうつむけ、絞り出すように声を震わせるちえり。

 その空気を打ち破ったのは、俺達の前でゆっくりと立ち上がった四月一日さんだった。


「何言ってるの、浅桜さん。ここまで来て降りるなんてダメよ」


 えっ、と顔を上げるちえりに、彼女は笑顔で続ける。


「私なら大丈夫よ。浅桜さんの大好きな彼氏さんが助けてくれたものっ」


 やっと彼女らしく声を弾ませたその言葉に、二人揃って赤面する俺達だった。


「それより、浅桜さんは文化祭で活躍して、宮島君に約束守ってもらうんでしょ? それが浅桜さんのやりたいことなら、逃げずにやり通さなきゃっ」

「あっ……わっ私なんかに……なんでそこまで気を遣ってくれるんですか……」


 ちえりの湿っぽい疑問を吹き飛ばすように、陽キャの女王は、何でもないようにくすっと笑った。


「友達だからに決まってるじゃない」


 一点の曇りもない笑みを向けられ、ちえりは、「あっ……」と一瞬黙り込んで。

 それから、俺と彼女の顔を順に見渡して、


「わっ私……やります!」


 いつになく声を張って、そう宣言していた。

 慣れない大声なんか出すものだから、裏返って変な声になって、キョドって口元を押さえていて。その恥ずかしがる仕草も、ちえりのくせに健気で可愛くて。

 この文化祭、絶対に成功させなければならないと、俺もまた心に誓った。



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