第23話 ファースト女子ルーム
「
師匠の命に逆らえず、さっそく浅桜家に護衛役として送り込まれた俺を待っていたのは、ある意味予想通りともいえるちえりのお母さんからの歓待だった。
元々娘の帰りを待っていたとはいえ、深夜にも関わらず起きていて出迎えてくれたのが本当に申し訳なくて……。というか、何もかもが申し訳なくて、人前でのちえり並みに恐縮しきっている俺である。
「あ、いえ、夜分にお邪魔してすみません……いやもう、何もかもがすみません……」
「あっ……ふふっ、イツキ君、私みたいですね……」
「面白いと思ってんの……?」
親の手前、普段より控え目に一応程度の突っ込みを入れると、ちえりママは何だか楽しそうにクスクスと笑っていた。
「ちえりちゃんね、イツキ君の話をしてるときは本当に楽しそうなのよ。最近じゃ主人ともビデオ通話で……あ、主人はいま単身赴任でウチにいないんだけど、『今日のイツキ君』って言って、その日のあなたとの出来事を私達に話してくれるのが、この子の日課になっててね」
「あっちょっ、お母さん、恥ずかしいよ……」
口調は穏やかながらも嬉しさを隠さない母親と、慌ててその服の袖を引っ張っている娘。いや、この場で一番恥ずかしいのは俺なんですけど……?
「そ、そうなんですね……。ちえりさんが楽しんでくれてるなら、おれ……僕も何よりですが……」
「いいのよ、もっとラクに話してくれて。この子にはもっとビシビシって突っ込みを入れてくれてるんでしょ?」
「あ、はは……どうもすみません……」
うーん、これじゃ俺の方が浅桜ちえりみたいだ……。そういえば自分も人付き合いが苦手な陰キャだったな、なんて、コイツの傍にいると忘れがちな事実を今さら思い知らされたりする。
「あっ……イツキ君、いっ一緒にお風呂入ります……?」
「入るわけないだろ!? 俺は出る前に自分ちで済ませてきたの知ってんじゃん!」
「ふふっ……いっ今のは私なりのジョークですよ……」
「ホームだからって気が大きくなってない?」
自宅でのコイツがどんな感じか見られるのは、まあ貴重な機会ではあるけど……。
それから、ちえりの入浴を待っている間――
引き続き思いっきり恐縮しきりながら、お母さんの淹れてくれた紅茶で一服しつつ、リビングの家庭用ピアノを俺が何の気なしに眺めていると。
「こちらの方こそ、ごめんなさいね。いつも、あの子のことで色んな無理をしてくれてるみたいで」
テーブルを挟んで俺の向かいに腰を下ろしたちえりママは、病室で会った時と同じ、しっとりとした笑顔を作って言ってくるのだった。
「あ、いえ……無理なんてことは全然……」
それにしても、姉弟子が日頃どう説明してくれてるのかは知らないけど……。ちえりが悪霊を引き寄せている恐れがあるから守りに来ただなんて非現実的な話を、親御さんはどこまで信じてくれてるんだろう、なんて考えていると。
そんな俺の思考が伝わったかのように、幽霊少女の母親は、きっと向こうもずっと気になっていたのであろう疑問を差し込んできた。
「ねえ、イツキ君。失礼なこと聞くかもしれないんだけど……」
「な、何でしょう」
「あなたが除霊師で、ちえりちゃんを悪い霊から守ってくれたっていうのは、本当のお話なの?」
こういう質問を人から向けられたことは一度や二度じゃないのに、ドキリと心臓が脈打つのは止められなかった。
聞かれたところで、証拠を見せられるようなものでもない。師匠から教わったこういう時の対応はただ一つ。正直に話したい相手には正直に話す――それだけだ。
「……本当です。信じてもらえるかは分かりませんが……あの時のちえりさんは、生きながら魂が幽体になって抜け出ていた状態で。俺自身、眠っているちえりさんと幽体の彼女が同一人物だとは分かってなかったんですけど……とにかく、襲ってくる悪霊を
鈴鳴さんやちえり自身からも聞いているに違いない説明を、改めて俺の口からも繰り返しながら……俺は、どこか胸に引っかかるようなものを感じていた。
放っておくと危険だから。師匠に言われたから。元々はそれがアイツの傍にいる理由だった。だとしたら……この先、その危険が去ったら、俺は安心してちえりの傍から離れられるんだろうか。
「それで今回、急に家にまでお邪魔することになったのも……ちえりさんを狙って、また悪霊が出てくるかもしれないからで……」
「……イツキ君が付いててくれれば、その心配は要らないのね」
「もちろん、本当に危険な事態になったら、俺が責任持って対処します」
そこだけはしっかり言い切ると、お母さんは安堵したように「ありがとう」と頷いて、表情を和らげた。
「……実際はね、本当でもウソでも、どっちでもよかったのよ」
「え?」
「イツキ君が居てくれることで、あの子が前向きになれるなら。毎日を楽しいって思ってくれるなら……って。なんだかごめんなさいね?」
「あ、いえ、こちらこそ……」
お母さんの笑顔に、俺はいたたまれなくなって視線を下げることしかできなかった。
参ったな……思った以上に親公認の責任が重い……。でも、どこかそれを悪く思えない自分も居たりして……。
と、そこへ、ヒタヒタというスリッパの足音。リビングの扉が開いて、姿を見せたのは、
「あっ……お待たせしました……」
どこか子供っぽさの残る薄ピンクのパジャマに身を包んだ、お風呂上がりのちえりだった。
先日のお泊まり会の時は、彼女の入浴前に俺は自室に帰ってしまったので、パジャマ姿のちえりなんて見るのは今が初めてだけど。相変わらず目元は前髪で隠れているが、ホームで落ち着いていることもあってか、「ふふっ……」と笑う口元にはいつもよりリラックスした雰囲気がにじみ出ている。
「じゃあ、今夜はもう遅いから、イツキ君もゆっくり休んでね」
当たり前のようにこの場を締めくくろうとするちえりママ。やっぱりこれ、俺はちえりと一緒に寝る前提で話が進んでるよな……?
「えっと、俺は寝袋持ってきてますから、部屋の前の廊下をお借りして……」
「えっ……いっイツキ君、わっ私と寝てくれないんですか……?」
一人前に顔を火照らせたちえりに言われ、俺が「いや、あの」と助けを求めるようにお母さんを見ると、
「イツキ君なら信用できるもの。しっかり悪霊から守ってあげてね、除霊師さん」
なんて平然と言われてしまった。どういう親子なんだ、ここは……?
***
結局、親ぐるみで外堀を固められてしまった俺に、今さら
あれよあれよという間にちえりの部屋に連れ込まれた俺は、ちょこんとベッドに腰掛けた彼女の心臓の音まで聴こえてきそうな距離で、フローリングの床に寝袋を展開する羽目になるわけだった。
いや、さっきからバクバクと高鳴ってるのは俺の心臓の方か……。いくら相手がコイツでも、湯上がりの女子と部屋で二人きりなんて状況、軽口でも叩いてないと乗り切れそうにない。
「あーあ、俺のファースト女子ルーム訪問が、まさか幽霊少女の部屋なんて……」
「ふふっ……イツキ君の初めて貰っちゃいましたね……」
「意味わかって発言してんの?」
幼少期に親が整えた内装がそのまま残ったような、パステルピンクのファンシーな部屋。勉強机の傍らの小さな本棚には、ピアノの教本や楽譜の本がぎっしりと詰め込まれ、おしゃべりミカちゃんの他にはピアノしか友達がいなかったコイツの人生を物語っているようだった。
「気休め程度だけど、
「あっ……それっぽい……」
霊の通り道になりそうな何箇所かに御札を貼り、ついでに電気を消して俺が寝袋に入り込むと、ちえりもベッドに身を横たえ、暗がりの中でふふっと笑みを向けてきた。
「あっ……ちっちなみに……源氏物語の時代だったら、女性が殿方を寝床にまで招き入れるって、そっそういうことですよね……」
「千年後だから、そういうことじゃなくて残念だったな」
いやまあ、そのへんの意味合いは今も昔も変わらないとは思うけどさ……。
なんて余計なことを考えていると、文字通り余計に胸の動悸は早まるし、手のひらの汗は何度拭っても引かないし。
洗いたてのシャンプーの香りなのか何なのか、普段と違う甘い匂いまで漂ってくるし。ちえりのくせに生意気だぞ、そういうの。
「あっ……きっ緊張してます?」
「そりゃ緊張くらいするって。女子と同じ空間で寝たことなんかねーもん」
「あっ、でも、鈴鳴さんとお寺に泊まり込んだことはあるって……」
「いや、そーいうのはノーカウントじゃん……。プライベートの部屋に立ち入ったことなんかないし」
「あっでも……」
でも、の続きを言い淀んでいたちえりは、数秒の沈黙の後、ぽつりと絞り出すように言った。
「……あの、今日、イツキ君が手首を握ってくれて……。わっ私、そういうの初めてだったから、どきっとして……」
僅か数時間前の光景が何日も前のことのように感じられる。コイツと出会ってから、なんだかそんなことばっかりだな……。
「もし、あれが……イツキ君にとってもファースト手首握りだったら……嬉しいなって」
「何だよ、ファースト手首握りって……」
突っ込みで緊張を紛らせつつ、俺は無意識に子供の頃からの記憶を辿っていた。
鈴鳴さんとそういうことはあったかなあ……。仮にあっても古い話すぎて覚えてないけど……。
「……あの、イツキ君、やっぱりベッドに来ます……?」
「行、き、ま、せん。ほら、もう寝るぞ」
それからも、暗闇の中、ちえりは名残惜しそうに何か喋ろうとしていたように思えたが……。
それでも疲れが勝っていたのか、五分も経つ頃にはすうすうと静かな寝息を立て始めたので、俺もようやくホッと一息ついて――いや。
(隣に女子の吐息……ねっ眠れない……。いやいや、女子って言っても浅桜ちえりだぞ……? あっでも、コイツの素顔って……えっ待って、今隣にあるのって、病室のあの寝顔と同じ顔面……!?)
そんなことをグルグルと考えてしまうと全然寝付けず、結局、僅かでも眠れたのはもう夜明けが近くなってからだった。
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現在、本作はカクヨムコン9に参加中です。
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